3-13 行方不明

「静佳と一緒ではありませんか?」

 電話の主は静佳の父親だった。静佳の父親だと名乗った後、静佳のスマホを使っていると森川氏は説明した。

 スマホが鳴り、条件反射的に通話に応じたが、よく考えてみたら静佳が電話をかけてくるはずがなかった。

 梓は胸騒ぎを覚えた。

「何かあったんですか?」

 バクバク鳴る心臓を落ち着かせながら梓は尋ねた。

「今帰宅したばかりなんですが、静佳がいなくて。スマホが食卓の上に置きっぱなしになっていたので、もしかしたら忘れて友達と遊びに行ったのかと思い、スマホに登録してある連絡先にかけているんです」

 ちらりとリビングの壁掛け時計を見る。時刻は七時を過ぎていた。

「今日は文化祭で、静佳とは学校で会ったきりです。僕、気分が悪くなって保健室で休んでいたので……」

「文化祭……そうですか。文化祭だなんて一言も……」

 後夜祭に、と言いかけて梓は口をつぐんだ。大雨のため、後夜祭は中止になっているはずだ。

「軽音学部のバンド仲間と一緒かもしれません。馬場響と土門鈴には連絡しましたか?」

「軽音学部? 静佳が?」

 驚いている森川氏の反応に梓の方が驚いた。歌を歌う時には声が出せること、軽音学部に所属し、バンドのボーカルを努めていたこと、今は退部していること……何もかも静佳は父親に伝えていないのだろう。

「ああ、すいません。あの子の学校のことはよくわからないもので。その、交友関係もまったく把握できていなくて」

「僕の方で心当たりをあたってみます。響と鈴にも僕から連絡してみます」

「ありがとう……」

 何かわかったら連絡しあうと約束し、梓は通話を切った。

「柊兄さん!」

 梓は柊に詰め寄った。

「今、静佳のお父さんから連絡があった。静佳が家にいないって。ねえ、まさか……」

 静佳がスマホを忘れて外出するわけがない。スマホは静佳の体の一部であり、意思を伝える大切な手段なのだから。そのスマホを家に置いていったということは、もうスマホを必要としないという静佳の意思の表れだ。生きていれば必ず手にしていなければならないものを手放した――その事実に梓は背筋が寒くなった。森川氏も事態の深刻さを理解している。努めて平静でいようとしていたが、電話の向こうの声は微かに震えていた。

「言霊は編みかえたんじゃなかった?!」

「編みかえたよ」

「でも、静佳が行方不明になっているみたいだけど」

「その子の身に何が起こったのか、何が起こるのか、僕にはわからない。ひとつだけ確かなのは『死』そのものは確実に現実化するということだ。言霊が生まれてしまった限りはね……」

「こうしちゃいられないや。僕、さがしてくる!」

「待ちなさい!」

 玄関まで走っていった梓を、少し遅れて柊が追いかけてきた。

「とめても無駄だよ。僕は絶対に静佳を死なせたりしない!」

 スニーカーを履くのに手間取っている背中に何かがふわりと被せられた。レインコートだった。

「着ていきなさい。外はすごい雨だ。傘は使いものにならない」


 勢いよく飛び出してきたものの、静佳の居場所に心当たりなどない。生きているのかどうかも不明だ。嫌な考えを振り払うように梓は頭を振った。顔の周りで雨粒が散った。振り払っても振り払っても、雨は頭上から降り注いでくる。

「こんな雨の中、何をしている?! 早く家に戻りなさい!」

 降りしきる雨の中をあてもなく歩いていると、中年の男性に怒鳴られた。消防団員とみえ、ヘルメットをかぶり、救命胴衣を身につけている。

「増水した川を見に行こうだなんてバカなことをするんじゃないぞ!」

 男は、スマホを手に大雨の中を歩いている若者たちに声をかけてまわっていた。若者たちはしぶしぶ来た道を引き返していった。

 川と聞いて梓は足を止めた。高校の近くを川が流れている。大きな川で、野球部の部員が時々河川敷をランニングしている。

 高校から立華のところへ向かう時にはこの川にかかる橋を渡っていく。普段は流れの穏やかな川だが、橋の上から川を見下ろすと吸い込まれそうな感覚に襲われ、足がすくむ。普段の流れでも恐ろしく感じる川だというのに大雨で水嵩が増しているとなれば飲み込まれてしまうのではないかという恐怖が現実味を帯びる。

 「死ね」という言葉を浴びせかけられた静佳は今、死に近い場所にいる。大雨の降る中、増水した川は死に近い場所のひとつだ。

もしかしたら――梓は川のある方角に向かって走り出した。背後で消防団員の男性が大声をあげていた。激しい雨音にかき消されて何を言っているのかは聞き取れなかった。

 川には水が溢れていた。水面が橋に迫ろうとしている。河川敷はすでに水底に沈んでいた。足元にせりあがってくる水面におびえながら梓は橋を渡り始めた。

 雨は激しさを増し、いまやカーテンのように視界を塞いでいる。橋を渡っているのか、増水した川の水面を歩いているのか、一歩踏み出していく足元に不安を感じる。

 煙る雨の向こう側に黒く細長い影があった。梓はじっと目を凝らした。激しい雨脚のせいで視界がざらつき、影は橋の一部にも人にも見える。

 影の近くを舞う玉があった。言霊だ。橋の一部が言霊を生むはずがない。

「ごめんなさい」――言霊を音として聞いた梓は影の方に向かって駆け出した。雨の抵抗が思いのほか強く、足がもつれた。

 泳ぐように手足をばたつかせ、雨をかきわけて必死に前へと進んだ。

 

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