2-12 ライヴの後で

「サイコーの気分!」

 小気味よい音をたててプルトップを開け、響が一気に炭酸飲料水の缶をあおった。「フィールド・オブ・サウンド」の「風の街」がコマーシャル曲として使われている商品だ。口元をぬぐう響の様子を見て鈴が笑った。

「響、晩酌のビールを飲んでいる時のあたしのお父さんみたい」

「笑うな。一仕事した後はこうなるんだって!」

 響は二口目を口にし、ふうとため息をもらした。笑うなと言われた鈴がまた笑った。

 心地よい疲労を四人全員が感じていた。一仕事、ちょっとしたライヴをやり終えた後、体はけだるいものの気持ちは高ぶっている。

 ライヴをしようと言いだしたのは静佳だった。毎週水曜日、梓たちが音楽室で練習していると吉元たちがやってきてはドアを叩いていく。時間はきっかり午後四時。やめろと言い返したくても言い返せない静佳がやりきれない気持ちを歌いたいと意思表示した。

 静佳が歌いたいといった歌は「五月蠅い」。吉元たちをうとましく思い、吉元たちがドアを叩いていく音の方が「うるさい」と思っている静佳の気持ちと歌詞が似通っているのだという。響も鈴も面白そうだと言って、歌で吉元たちをぎゃふんと言わせる案に二つ返事で乗った。始めと終わりの机を叩くパーカッションはドアを叩く行為を模している。

「吉元たちの顔みた? ぽかーんと口開けちゃってさ。すっごい間抜けだった」

 響が思い出し笑いをしていた。

「僕らがやり返すとは思っていなかったんだろうね」

「いつまでも黙っていないよ。二度と、うるさいなんて言わせないんだから!」

 いつもはおとなしい鈴が珍しく興奮していた。

「大成功だったよね。吉元たちに『物申すライヴ』だったけど、人がたくさん集まってきちゃってさ。ちょっとしたミニライヴになっちゃった。この分だと文化祭の発表がすごく楽しみ!」

 響が目を輝かせ、鈴も静佳も満面の笑みで頷いた。十月の文化祭まで一か月もない。夏休み中の合宿、立華のガレージ、バーンハウスでの練習を積み重ね、バンドとしての形がまとまりつつあった。

「それにしてもさ、『五月蠅い』って、私たちの吉元たちに対する気持ちそのものが歌になっているよね。まるで私たちが作ったみたいにさ」

 響が苦笑いを浮かべてみせた。

「若者の大人への反抗ソングだっていわれて批判されているけど、本当は蚊がうるさくて寝れない夜についての歌なんだってさ」

 梓がインタビューで聞きかじった話をすると、「そんな単純な歌なんだ」と響が両足をバタつかせて笑い転げた。

「聞く人によるんじゃないかな?」と鈴が言った。

「あたしの家、お寺じゃん? 大晦日に除夜の鐘を鳴らすんだけど、鐘の音がうるさいって苦情がくるんだ」

「煩悩を取り除くはずの鐘の音がうるさいと寺に苦情って、終わってるわー。吉元みたいじゃん」

 響が眉をひそめた。

「お父さんが言うには、うるさいと思うのは心がわずらっているからなんだって。心が悩まされてうるさいと思う気持ちを『わずらわしい』と言うんだけど、それは心がわずらっている、病気であるという状態を表しているんだって」

「さすが住職。よいお話でした」

 響が両手を合わせた。

「お父さんによると、音は聞く人によって受け取り方が違うんだって。だから、『あれしろ、これしろ、それはやるな』って言う大人がうるさいと思っているあたしたちには『五月蠅い』は、あたしたちの気持ちを代弁している歌になるし、うるさいことを言っているなと自覚がある大人にしてみれば自分たちにむかって『うるさいな』と言っていると思えてしまう」

「蚊がうるさいって歌なのにね」と響が笑った。

「僕たちには、吉元が『うるさい』っていう歌に聞こえたわけだ」

「だね」と響が片目をつぶってみせた。

《僕は、吉元に『うるさい』って言い返しているつもりで歌ったよ》

「つもりどころか、しっかり自分の言葉で言い返していたよね」

 梓が指摘すると、「あっ!」と響が突然大きな声をあげた。

「歌詞、間違えてるなって思ってたんだよね」

 へへっと笑い、静佳が舌を出してみせた。

「そうなの? あたし、気づかなかった」と鈴が言った。「みんなも気づいていなかったと思うよ」

「気づいても、替え歌ぐらいに思ってたかもね」

《吉元たちの顔を見て歌っていたら、むかついてきて、歌詞が飛んじゃったんだ。思い出そうとしたけど、頭が真っ白になっちゃって。吉元に対して感じていることをそのまま言葉にしたような歌詞だったよなって考えて、吉元たちを目の前にしているから、言いたくても言えないことを歌ってやろうって思ったら、歌ってた》

「なるほどね。歌詞を間違えていたわけじゃなくて、忘れたから適当に歌ってたってことか」

 響は納得したかのように何度もうなずいていた。

「適当に歌った割には曲と歌詞がマッチしてたと思うよ。違和感がなかった。最初からそういう歌詞だったっていうくらい自然だった」

 鈴も感心しきりでいる。

「吉元たちにはどう聞こえたんだろう? 私たちの音楽をうるさいって言うけど、うるさいのはそっちの方だっていうメッセージは受け取れたのかな。いや、聞く耳がないから無理かな」

 自分で言っておいて響はすぐさま否定した。「聞く耳がないって」と鈴はクスクスと笑った。

「伝わってはいると思うよ」

 梓は演奏中の吉元たちの顔を思い出した。松田と浜尾はぽかんと口を開けただらしない顔をしていたが、吉元はむすっとしていた。歌に込めた静佳の気持ちを受け取れるだけの言語能力があったのかと梓は意地悪な気持ちで思ったのだった。

「よかった。これで通じなかったらどうしようもなかったもん」と響が皮肉たっぷりに言った。「それならそれで、しょうがないかってあきらめてだろうけどね」

「もう練習中にドアを叩いたり、『うるさい』って怒鳴ったりしなくなるかなあ」と、鈴が不安をもらした。

「懲りずに練習の邪魔をしてきたら、また歌って撃退するまでよ」と、響は威勢よくそう言った。「静佳、これからは吉元に何か言われたら、歌って返してやりなよ」

 響にたきつけられ、静佳は頬を赤く染めて頷いた。

《さっき言った言葉、歌詞として覚えていないけど》

「いいんだって、覚えてなくて。その時思い浮かんだ言葉を適当な歌のメロディに乗せて歌えば? 替え歌のノリでさ」

 替え歌のノリ……そうか、そういうことかと梓はポンと手を打った。

「静佳、歌でなら言いたいことが口に出来るんじゃない? 適当なメロディに乗せちゃってさ。そうすれば、もう歌詞という他人の言葉を借りなくても自分の言葉で気持ちや考えを伝えられるのじゃないのかな」

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