2-10 塵も積もれば

 立華だった。知り合いに会わない場所を選んだというのに今日は思いがけなく知り合いに出くわす日だ。

 立華は、ギターケースいっぱいの一円玉を見下ろし、あきれていた。

「いくらぐらいだ?」

「さあ。全然見当もつかないです」

「全部一円玉とはちょっとした嫌がらせだな」

「こういう嫌がらせには頭を使えて行動力のある連中なんです」

「知り合いか?」

「同じクラスの奴らです。知られたくないから、わざわざ遠い場所を選んで路上ライヴしてたのに、今日はあいつらが来て、立華さんまで」

「俺はたまたまこっちに用事があったんだ。聞き覚えのある歌声がすると思ったら、まさかのお前たちだったとは」

 あっと梓は小さく声をあげた。梓たちは立華が嫌いな「フィールド・オブ・サウンド」の曲ばかりを演奏していたのだ。

「えっと……すいません。立華さんが『フィールド・オブ・サウンド』の曲を嫌いなのは知っているんですけど、路上ライヴではウケがいいんで」

「いいさ。ここは俺のガレージじゃないんだ。好きにしろ」

 立華は怒ってはいなかった。

「それより、なんだって路上ライヴなんか?」

「度胸をつけるためと、お金も欲しくて。でも、ちっとも儲からないや」

 梓はギターケースの一円玉に目をやった。量だけなら多いが、金額は少ない。一円玉の量が努力の程度、金額が評価のように思えて気持ちが暗くなった。

「ギター、貸してみな」

「あ、はい」

 もともと立華から借りていたアコースティックギターだ。梓は言われるままにギターを手渡した。

「そこをどきな」

「何するんですか?」

 立華にせっつかれ、梓は折り畳み椅子から立ち上がった。

「いいから、黙ってみてな」

 折り畳み椅子に腰かけ、立華はギターを膝に抱えた。一呼吸置いた後、吐きだした息と共に発射されたのは歌声だった。いきなりの「風の街」のサビ部分。追いかけるようにしてギターをかき鳴らし、イントロが始まる。嫌いな歌のはずでは、という驚きはすぐに感嘆に取ってかわられた。

 二十年のブランクがあるとは思えない艶のある歌声だ。時がじっくりと熟成させた深みと柔らかさ。当時のまっすぐで軽やかな歌声とはまた違った趣の良さがある。

 間の取り方、抑揚のつけ方、囁くような歌い方をしていてもはっきりと聞き取れる言葉、その言葉たちが紡ぎ出す物語とあふれ出す情感。歌唱力は言うまでもない。立華の歌の凄みはその表現力にあった。目に見えぬもの、形として存在していないものを的確な言葉に音にしてみせる。

 梓も静佳も我を忘れて聞き入った。三分が三十分にも感じられる濃密な時間だった。一本の映画を見たような心地よい疲労感で、立華が歌い終えた後も耳がじんと痺れている。感動のあまり、静佳は震えてさえいる。

 パチパチと拍手があがった。いつの間にか人々がまた集まって来ていた。

「おっさん、歌うまいね」

 誰かがヤジを飛ばした。彼らが今聞いた歌声はプロ、しかも「フィールド・オブ・サウンド」のボーカル本人のものだと知ったら、さぞかし驚くだろう。

 立華が歌い終えると、人々は去っていった。誰ひとりとしてギターケースには一円も払いはしなかった。

「本人だってのに! 本当だったら、お金払わないと聞けない歌声だよ?!」

 梓は一人で腹を立てていた。対して立華は冷ややかだった。

「わかっただろう? 人はタダで手に入るものに金を払おうとは思わないのさ。たとえそれがどんなに良いものであろうともね。だから、金がもらえないことで落ち込む必要はない」

《僕はお金が欲しいです。僕の歌がうまいっていうんなら、お金で評価してもらいたい》

 守銭奴とは違う真剣な静佳の眼差しだった。立華は小さくため息をつきながら、頭を横に振った。

「金と評価は仲よく手を取り合っているわけじゃない。評価を望むなら金はあきらめることだ。金が欲しいのなら、違う方法を考えるんだな」

《でも、僕には歌うことしかできないんです》

 口がきけないから――静佳が言わない理由を立華は即座に察した。

「歌うことで金を儲けたいというのなら、歌うバカになれ。自分のエゴは捨てるんだ。歌いたいように歌ってはダメだ。人が聞きたいと思っているような歌を歌うんだ」

「なんか、嫌です。それじゃあ、ただの歌うマシーンだ」

 梓はぽつりとつぶやいた。何も言い返さない静佳だが、思いはきっと同じだろう。

「もしかして、立華さんも歌うマシーンだったんですか?」

 さっと青ざめた立華の顔色を見、当たらずとも遠からずだったかと梓は思った。「フィールド・オブ・サウンド」は大人気を博したバンドだった。今に至るまで収入を注ぎ続ける、まるで打ち出の小づちだ。本人が歌っていないところで金を生み続ける。それこそマシーンではないか。

「人として歌っていたいというのなら、ずっと路上にいろ」

 去り際に立華が残していった言葉が引っかかった。言葉通りに路上にいろという意味ではない。儲けは考えるな、聞いてすらもらえない覚悟でいろ、という忠告にもとらえられた。

「厳しいな、立華さんは」

《プロだった人だから》

 落ち込んでいる梓に対し、静佳は冷静だ。

「僕ら、プロじゃないし、なりたいとも思ってないし」

《一円でも金を貰おうというのならプロじゃないの?》

「プロになりたいの?」

《え? 考えたことないの?》

 驚いた梓に静佳がかえって驚いていた。

「ないよ……。響がプロのミュージシャンを目指しているのは知っているけど、静佳までとはね」

《僕は選択肢が他にないんだ》

 悩んでいるのかと思いきや、静佳は意外にもすっきりとした表情でいる。自分の意思がしっかりと固まっている、そういう目をしていた。

《でも、歌うマシーンにはならない。だから、言われた通り、路上にいるよ》

「実際に、路上にいろっていう意味じゃないよ?」

《わかってるよ》

 静佳がくすりと笑った。

《いる路上の場所を増やせばいいんだ。一つ一つの路上で稼ぐお金は少なくても、路上そのものの数が増えれば掛け算で手に入るものは増えるよね?》

「そうだけど……。つまりは、いろんな場所で路上ライヴをするってこと?」

 静佳が首を横に振った。

《僕に考えがあるんだ》

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