2-3 住宅街の花畑

「また来ます」

「何度来てもらっても俺の考えは変わらない」

「あきらめませんから」

 話し声が大きくなったかと思うと樹の鼻をかすめるようにして勢いよくドアが開いた。ドアを開けた立華は、出ていけといわんばかりに開け放したドアを抑えている。ドアの後ろに立つ樹に一瞥をくれたなり、客の男は立華の家を後にした。

「お客さん?」

「招かれざる、だ」

「また来るって」

「来ても追い返すだけだ」

 樹は、客の男の後ろ姿を追った。三十代前半ぐらいの男で、白縁のメガネをかけていた。

「畑を売れって?」

「まあ、そんなところだ」

 立華は言葉を濁した。

 立華の花畑は住宅街にある。住宅地として開発したい不動産業者が喉から手が出るほど欲しがってちょくちょく立華のもとを訪れる。そういった不動産会社の人間だったのだろうか。不動産会社の人間がデニム姿で商談に訪れるものだろうか……。

「で、お前は何の用だ?」

「嫌だなあ。今日は公民館で生け花教室をやっている柊兄さんのところへ花を持っていく日ですよ、忘れてたんですか」

「お前が覚えていればいいだろう」

「そういうものですか」

 苦笑いを浮かべながら、樹は先だって花畑へむかう立華の後を追った。

 立華の花畑は周囲を住宅に囲まれている。住宅街に突如として出現する花畑に、車はスピードを落とし、道行く人は足をとめて花を眺める。

 花農家を名乗り、花畑というが、立華の花畑は花野原といった方がふさわしい。収穫しやすいように整えられて花が育てられている状態が畑だが、立華の花畑は花が咲いている場所というだけである。一年草であろうと多年草であろうと立華が好きな花の種や球根が植えられてあり、一年を通して何かしらの花が常に咲いている。収穫は、その日に咲いている花を摘むだけだ。

 立華の花畑の花は樹の店で売られている。買い取り価格は立華が決めた金額で、樹が安すぎると言っても立華は必要以上の金はいらないと主張して譲らなかった。生活していけるのかと老婆心ながら不安になるが、当人の立華は困っている様子がない。野菜は自分で育てているし、野菜畑に放し飼いにしている鶏は卵をうむ上に害虫も駆除している。

 二十年前、立華の花畑は野菜畑だった。周囲の農地が次々と住宅地に開発されていくなか、まるでバリアでもはられているかのようにその畑だけには開発の手がつけられなかった。それでもいつかは家が建てられるのだろうと思っていたら、立華に買われ、花が植えられた。

 立華との付き合いは三年になる。花畑のおじさんとして立華の存在は幼い頃から知っていた。立華の育てた花を仕入れ、店で売るようになってから親しい付き合いが始まった。立華が花を店に持ってくることもあるが、大抵は樹が出向いて自ら花を収穫する。この日は、柊に頼まれて立華の花を買いに来た。

「ヘックシっ!」

 軽トラックに花を積んでいた立華が見事なくしゃみをした。

「花粉症ですか?」

「花農家が花粉症でどうする? 誰かが噂しているんだろう」

 立華は鼻頭をこすった。

「噂される心当たりでもあるんですか?」

「住宅地で花畑をやっている変わりの者だとでも言われているんだろう」

「昔からそう言われていますよ。今は別のことでいろいろ言われているんじゃないですか?」

「その話をするなら乗せてやらんが?」

 立華はさっさと運転席に乗り込んだ。樹を待たずにエンジンがかかった。急いで助手席にかけこんだ。シートベルトをしめたその瞬間に軽トラックは走り出していた。

 運転中、立華は一言も口をきかなかった。普段はおしゃべりに興じるのに、考え事をしているかのようで押し黙っている。

間が持たず、樹はラジオをつけた。日曜の午前中の軽い気分を象徴するかのように明るい調子の曲が続く。

「あ、この曲」

 「フィールド・オブ・サウンド」の「風の街」が流れてきた。店でかけている有線でも散々流されているため、イントロを聞くだけで何の曲かわかるようになってしまった。

「消せ」

「どうして?」

「いいから、消せって」

 樹が消そうとしないものだから、苛立った立華は自らラジオに手をのばした。片手だけのハンドル操作で車体がぐらりと揺れる。ひやっとしたのもつかの間、車内には静寂が戻り、軽トラックの車体は元に戻った。


「いつもながらきれいな花ばかりだね」

 運んできた花を柊は目を細めながら眺めまわしていた。ろくな手入れをしているようにはみえない立華の畑の花だが、発色も強く、艶もしっかりとして生き生きとしている。

 花のある日常生活をというコンセプトで、柊は公民館で生け花教室を開催している。この日は毎月第三日曜日に開く生け花教室の日で、花をもってくるように頼まれていた。

「そうだろう?」

 花を褒められ、立華はいつもの快活さを取り戻した。

「いつも、きれいだね、ありがとうって声をかけているからな。水だけじゃないんだよ、きれいな花を咲かせるのに必要なものは」

「なるほど、それが立華さんの花がきれいな秘密だったのか」

「企業秘密をばらしてしまったな」

 はははと立華は声をたてて笑った。男性にしてはやや高めの声は柔らかく、話し声でも聞いていて心地いいのだが、立華の笑い声は気持ちを明るくさせる力があった。この声で「きれい」「ありがとう」と話しかけられたら花も嬉しくなって美しく咲くだろう。

「ところで、さっきから気になっているんだが、今日は公民館でコンサートか何かやっているのか?」

「コンサート? そういう話は聞いてないですけど?」

 柊が首を傾げてみせた。

「そうか? ギターやら歌声が聞こえているんだが、俺の空耳か?」

「ああ、それなら」

 柊が手を打った。

「バンドの練習をしている子たちがいるんですよ。設備は整っているし、スタジオより格安なので、借りる競争率は高いみたいですね」

「道理で下手くそなわけだ」

 花には優しい言葉をかける立華だが、人に対しては手厳しい。

「技術はまだまだだが……」

 立華は黙りこみ、耳をそばだてた。それまで気づかなかったが、樹の耳にも歌声がかすかに聞こえてきた。

「熱量は伝わってくるよ。練習を重ねたら、いいバンドになるだろう」

「それ、直接本人たちに言ってあげてください」

 柊が含み笑いを浮かべていた。

「練習しているのは、弟の梓のバンドなんです」

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