第40話 忠犬の暴走(カーティス視点)

 一カ月振りに聞いた、ルフィナ嬢からの名前呼びに思わず抱き締める。


「っ!」


 周りから聞こえてくる歓声は、さほど気にならなかった。むしろ、一瞬固まったルフィナ嬢の体が、次第に柔らかくなっていくのが心地よく感じるほどだ。


 体を離せば、今にも泣き出しそうな顔に、胸が締め付けられた。どうにかしたい。ただそれだけのつもりだったんだが、俺は吸い寄せられるように顔をルフィナ嬢に……。


「きゃーーーーーー!!!!」


 唇に触れたのは一瞬だった。が、その歓声に驚いたのか、ルフィナ嬢は顔を真っ赤にして固まっている。


 あぁ、ダメだ。こんな顔を他の連中に見せたくない。


 気がつくと俺はルフィナ嬢を横抱きにして、ダンスホールを後にしていた。


 まぁ、俺がいなくとも近衛騎士団は大丈夫だろう。

 心配なのは、一人残すこたになったルフィナ嬢の妹だ。先ほどのやり取りを見ていても、仲の良い姉妹なのは分かる。だがこちらは、ジルケがどうにかしてくれる筈だろう。


 何せ、将来はルフィナ嬢の護衛をしたいと言ってきた人間だ。その妹君を無下に扱うとは思えない。


 それよりも今はルフィナ嬢だ。何も言葉を発しないのが気になる。やはり怒っているのだろうか。

 まぁ、怒るよな、これは。


「すまない、ルフィナ嬢」


 ダンスホールから出ても、会場を後にしても何の反応も示さない。落ち着いて話をできる場所に行きたかった俺は、ルフィナ嬢を横抱きにしたまま馬車に乗り込んだ。


 目的地に着くまでこのままでもいいんだが、その胸の内が気になって仕方がない。

 すでに我慢の限界を超えていた俺は、放心状態のルフィナ嬢の頬をそっと撫でる。すると、ハッと我に返ったのか、ようやく俺の存在に気づいてくれた。


「えっ! カーティス様!? ここは?」

「馬車の中だ」

「なんで……ではなく、どうしてこの場に? いえ、そういうことではないですね。ええっと、何から聞けば良いのか……」


 どうやらルフィナ嬢の中では、今も舞踏会にいると思っているらしい。俺の膝の上に座っていることにも理解していないようだった。


 まぁ、猫のように暴れられたら困るから、指摘しないでおこう。


「とりあえず話は後にしよう。落ち着いてできる場所に着いてから、ゆっくりとしたい」

「着いてって、どういうことですか? それにここは……」


 やはりさっきの言葉はルフィナ嬢に届いていなかったらしい。俺は改めて告げた。


「馬車の中だ」

「ぶ、舞踏会は?」

「騎士団に任せてきた」

「クラリッサ! そうクラリッサはどこですか?」

「……舞踏会に」


 そう言うと、ルフィナ嬢の顔は蒼白になった。


「大丈夫だ。騎士団の中にはジルケがいる。妹君を放っておくことはしないだろう」

「その根拠は?」

「……ジルケは将来、ルフィナ嬢の護衛をしたいと言っていたんだ」

「私もお母様も、護衛を雇うつもりはありませんよ?」

「……マクギニス伯爵にはなくても、俺にあったら?」


 ルフィナ嬢はまだ混乱しているのか、その言葉の真意を理解できずにいた。首を傾けて、眉を下げる。

 そんな顔をされたら答えられずにはいられない。


「未来のグルーバー侯爵夫人の護衛をしたいそうだ」

「っ!」


 仮面舞踏会の時も思ったが、そういうところだけ素直になるのは、ルフィナ嬢の良いところだな。

 けれどずっと触れていることに、気づかないのは少しだけ心配になった。



 ***



「お、下ろしてください。自分で歩けます!」


 馬車から降ろそうとした時になって、ようやく自身の現状を理解したらしい。だが、もう遅い。


「ダメだ。また逃げられたら立ち直れそうにないからな」

「あっ……」


 狡いと思いつつ、そういうとルフィナ嬢は俺の腕の中で大人しくなった。けれど馬車を降りた瞬間、身を固くする。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 執事がいつものように出迎える。けれどルフィナ嬢が反応したのは、それではない。後ろだ。

 何故か今日に限って使用人が総出で出迎えてくれたのだ。命じたわけではないというのに。


 あの日、モディカ公園からルフィナ嬢を連れて帰ってきた時でさえも、こんなことはしなかった。

 一体、どういうことだと思っていると、玄関からゆっくりとラリマーがやって来た。ルフィナ嬢に向かって「にゃ~」と鳴く。


「ラリマー?」


 俺の首にしがみついて、体全体で拒絶していたルフィナ嬢が、そっと振り返った。名前を呼ぶと、再び鳴くラリマー。


「そう、よくしてもらっているのね」

「皆、ラリマーに甘いからな。お陰で邸宅内の空気が良くなったように感じる」


 ここのところ、酷い目に遭っている猫を見てきたせいか、ルフィナ嬢の顔がほころんだ。

 その隙にラリマーが屋敷の方に向かって歩き出す。進んでは振り返り、進んでは振り返りを繰り返す姿に、俺はルフィナ嬢を見た。


 ラリマーが絡んでいるせいか、すぐにその真意に気づいたようだった。


「私だってラリマーに甘いんですよ」


 恥ずかしそうに、再び俺の首に手を回しながら、耳元でそっと囁く。


「知っている」


 勿論、俺も、という言葉は、ルフィナ嬢にしか聞こえない距離で言った。

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