第29話:殿は大変


 **



「千早くんのお布団は?」

「は?」

「どこで寝るの?」

「部屋だけど」

「えっ」

「えっ」


 夜も更けてきた、瑠奈が欠伸をしたところで俺は客間に布団を敷いた。それを見ていた瑠奈が首を傾げておかしなことを言う。当然のように答えれば目を丸くさせて驚くからその様に俺も驚いた。


「寝るの別々なの?」

「何言ってんだお前は」

「だってさ、お泊まりって布団の中でもお喋りするじゃん」

「それは山本さんとでもやってくれ」


 ぶかぶかのウエストを引っ張る瑠奈の口がツンと尖っていく。つまんないと呟いた声にため息が出てしまった。


「一応言っておくけど俺、男なんで」

「私は女だよ」

「知ってるよ、だから駄目なんだろうが」

「……寂しいねぇ」


 こんな牽制をしたとて瑠奈には何も響かないらしい。ちょっとはドキッとかしろよ、意識していないにも程がある。はふぅと息を吐くな、しょぼんとしたって駄目。


「私何もしないから、一緒に寝ようよ」

「いや、それは俺の台詞……」


 下心満載の男が言う信じられない言葉ナンバーワンを何故お前が言う。ほんと勘弁してくれ、俺の服を掴むな、上目遣いも禁止。

 ぽんっと瑠奈の頭に手の平を置いて「おやすみ」と言えば、頬を膨らませながらも諦めてくれたのか「おやすみ」と小さな声で返してくれた。


 廊下に出て扉を閉める。少し、数秒、そこに留まってしまったのは、別に部屋に戻るのが惜しいとかじゃない。俺だって一緒に寝たいとか思ってるわけじゃない。


 ……ゼロとは言わないけども。


 あーっ、何でアイツはあぁも無防備でいてくれちゃうんかな! 俺が理性保つために必死になってもアイツがあんな調子で迫ってきたらすぐに崩壊するんですけど。



 *



「あーーーーー」


 寝れない。眠れるわけがない。一緒に寝なくても同じ家の中にいるのに変わらないわけで、結局俺はもやもやするんじゃんか。だったら同じ部屋にいれば良かっ……いやいやないない。


 なんてことを俺はさっきから何度も繰り返し思っている。ぎゅっと瞼を閉じても耳を塞いでも思考が止まらない。

 ので小さく声を出してみたのだが、一瞬消えた気はしたがじんわりともやもやが復活してくる。


 このまま朝を迎えてしまいそうだ、何か飲もう。布団を剥がして起き上がり床に足の裏をつけた。ひんやりと冷たくて一層目が覚醒してしまった。


 瑠奈はもう寝たかな……。頭をぐしゃぐしゃと搔きながらドアノブに手を伸ばした時だった。


「ぅぎゃっ!!」


 変な声とフローリングに何かが叩きつけられる音がすぐそばで響いて、俺はドアを開ける。

 廊下に出ると客間から数歩進んだ辺りに瑠奈が転がっていた。


「えっ、どしたっ」


 廊下に人が倒れている。こんな光景、この家で見たことがない。のそっと起き上がりそこに正座する瑠奈に駆け寄りしゃがめば、額を擦りながら顔をあげる。


「喉乾いて……殿が……、痛い」

「殿?」


 夢でも見たのか? と思ったが正座の下から不自然に伸びているズボンの裾を見つけた。あぁ、殿ってこれか、裾踏んだのね。

 ……それで転んだの? と理解した瞬間、スッテーンと転ぶ瑠奈を想像してしまって思わず顔を背けた。人が転んでるのを久々に見たのだ、しかも自宅で。そこに想像出来た姿が加わって、可哀想だとは重々承知で笑いが込み上げてくる。

 すかさず「……オイ、笑ってんな」と突っ込まれたので呼吸を整えて、瑠奈に向き合う。あ、駄目、油断すると笑っちゃう。


「……どこ、ぶつけた」

「顔面っスよ、おでこビターンっていった」

「! 赤くなってんな……っ」


 瑠奈は擦っていた手で前髪をあげて額を見せてくる。額の中央部分がほんのり赤くなっていて、心配の気持ち半分、笑いも半分。


「鼻ある? 潰れてない?」

「低くなった気が……あぁ、元からか」

「千早くん、ちょっと話そうや」

「すいません」


 てか何で転べんの、踏ん張るだろ普通。……あ、踏ん張ったところで裾が滑ったのか?

 はたと目が合う。瞬間、二人で笑い声をあげた。


「あははっ、めっちゃコケたー」

「怪我してないか?」

「うん。いやぁ恥ずかしやー」


 ハーと一息ついて先に立ち上がり瑠奈へ手を差し出す。瑠奈も笑いながら俺の手を取ると腰をあげた。


「お茶でいい?」

「うん、喉カラッカ、らぁぁ!!」


 繋いだ形になった手にぐんっと力がかかった。また!? と瑠奈に振り返り肩を支えれば、今度は床にダイブすることはなかった。だけど。


「あ」


 声が重なる。立ち上がった瑠奈のズボンが脱げてしまったから。


「あ、涼しい」

「あ、涼しい。じゃねぇ! あげろあげろ!」


 床に伸びる裾は長い。思わず瑠奈の下半身に目がいきそうになって、俺はぐりんと前方へ顔を向けた。


「えー、だってあれ大き過ぎよ」

「ベルト持ってきてやるから!」

「えー、そんな窮屈な。安眠できない」

「寝る時は外していいの、今だけしてて!」

「どうして?」

「下半身丸出し駄目!」

「大事なとこは隠れてるよ?」

「そ、そういうことじゃ」

「普段だって私短いスカートとか履いてんじゃん」


 それとはちょっと違う。いや、あれだって目のやり場に困る。だけどそれよりも、なんか生々しいんだよ。その、見えてる部分は一緒だとしても、危うさが違うし、その、あの。端的に言うとエロいんだよ!

 履くまではお茶あげない、と言って顔を背ける俺の手を離して、分かりましたよとぶつぶつ言いながら瑠奈が動く。ズボンの擦れる音がしてほっと胸を撫でおろした。



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