第27話:俺んち来れば?


「……お前、帰んないの?」

「ん、帰るよー。もうちょいしたら」


 カウンター席に並ぶ二つのトレイの上に食べ物はもうない。俺に至っては飲み物も空だ。なのに帰る素振りもみせない瑠奈はストローを啜りながら、スマホの画面上で人差し指を上下させている。


「……じゃあ付き合うよ」

「えっ、いいよ!」


 俺の言葉に瑠奈は顔をあげてぶんぶんと頭を横に振る。いやいや、今何時だと思ってんだ、もう九時です。カラオケもあるし居酒屋もあるこんな駅前に一人で残せるわけがない。しかも制服だぞ。

 何があったんだ、と聞いたとこで言う気はないのだろうな。頬杖をついて先ほどから視界に入っていた足元のリュックを改めて見る。


 うちの高校は学校指定の鞄を使う生徒が多いが、たまにリュックの奴もいる。でも瑠奈は違うし、何より膨らみがあるように思う。ずっと違和感だったんだ。


「……瑠奈ぁ、お前それ何」

「え、あ、今日はバッグを変えたんだよー」

「まさか家出じゃねぇだろうな」

「ちっ、違う!」


 少々膨らんでいるリュック=荷物がいっぱい=家出は安易過ぎたか。まぁお母さん大好きな瑠奈だから考えられないけれど。

 じとっと視線を送り続けること数秒。瑠奈がスマホを置いて口を開いた。


 かいつまんで説明すると、福間さんが温泉に行かないかとお母さんを誘っていたらしい。それを断ろうとしていたから、自分も泊まりに行こうと思ってたと言って半ば強引にオーケーさせたと。

 嘘がバレないようきちんと着替えを入れて登校。そして放課後、友達とカラオケ。お開きになった40分程前、あることに気付く。


 コイツは鍵の入った通学用の鞄を家に置いてきたというのだ。


「わ、笑うなぁ!」


 そうは言われても肩が震える。公共の場だから声を殺してはいるが、そうでなければ爆笑している。


「で、山本さん家に泊まろうかと思ったが都合が悪かったと」

「……はい、宇美はおばあちゃん家に行くのです、カラオケにも来ておりませんでした」

「こんな遅くなる前に気付けよ」

「やー、カラオケ楽しくって!」


 パッと笑顔を見せるが眉は下がっていて、なんとも情けない笑顔である。なんかこんな顔どっかで見たな。

 あ、この前タイムラインで流れてきた犬の笑った顔に似てる。


「どうすんの」

「……と、りあえずー、私服はあるからそれに着替えて。友達当たろうかなって思って」


 それでさっきスマホいじってたのか。だけどその指は上下に滑らせるだけで、ちっとも動きを見せなかったじゃないか。

 瑠奈が啜るストローから空っぽになったお知らせの音が響いた。俺は瑠奈に聞こえないよう、口元に拳を当てて小さく咳をした。


 そして視線を外にやる。さすが金曜の夜、人が多い。


「じゃあ、俺んち来れば?」


 声が上擦ってなかった自分を褒めたい。



 ***



 今このリビングには俺と瑠奈の二人きりである。

 瑠奈はソファに座っていて、俺はダイニングテーブルでお茶を飲んでいる。リビングに響くのはテレビの音、日本が誇るアニメ映画が映し出されている。


 あの後ファストフードを出て瑠奈のスキンケアグッズや、お菓子なんかを買いに行った。激辛のスナック菓子に盛り上がったりした。ここに来るまでも何か喋っていたと思う。夜道のおかげか顔をまともに見ることもなかったし、口は動かせていた。


 だが状況が一転したのは家に着いてからだった。自分で誘ったとはいえ、俺はとんでもない発言をしたのだとそこで改めて感じた。だって俺の家に女子が泊まるのだ、ご存知の通り一人暮らしのこの家に。分かってはいたけど、改めてね。


 俺の心臓は何度か大爆発を起こした。よく生きているなと思う程である。

 一度目は「お世話になります」との言葉と共に見せた頬を赤らめた笑顔だ。「二人きりなんだね、緊張してきた」と両手で頬を覆う様にもやられた。


 制服を着替えるついでに風呂入れば? と言った。言っておくがそこに下心はない。断じてない。俺んち来れば? のお誘いだって何もないからな。


 まるでスマートにこなしていると我ながら思うが、ちっともそうじゃない。シャワーの音は俺の鼓膜をどうにかしてしまいそうだったし、ベランダに出ていないと呼吸困難に陥りそうだった。たかが風呂、それだけでこんな状態になるのだ。そんな俺が下心など持てる筈がないだろう、そんな余裕ない。


 風呂からあがった瑠奈の姿に三度目の爆発。ドライヤーのせいか、頭がふわんふわんしてるし。色白な肌がより透き通ってる気がしたし頬とか唇が赤いし俺と同じシャンプーの匂いするし。

 そして、俺のスウェット着てるしね。「千早くんの服、おっきぃねぇ」ってぶっかぶかの袖で頭を掻く姿には脳みそ破裂したか思ったわ。えへへってすんな。


 コイツはお泊りするという嘘をついて家を出てきた。バレないように私服は入れて来たがなんせ嘘なのだ、部屋着までは持ってきていなかった。だから俺のを貸したのだが、サイズが違いすぎた。

 いや、サイズに関しては安易に想像は出来ていたのでちゃんと下も渡した。もし上だけ渡していてもある程度隠せていただろうと思う、だがある程度では困るのだ、全部隠していただかないと!

 彼シャツっていうの? あんなもん俺の息を止めてしまう。


 まぁ上がぶかぶかならば下もお察しなわけで。懸命にウエスト部分を握って歩いている姿は、少々申し訳なく思ったが、それはそれで可愛かった。裾を引きずるのも、なんつーか、もう、もう。「殿様みたいー」って笑ってたけど、こんな可愛い殿様がいてたまるか。



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