第13話:柔らかい膨らみ


 **



 とりあえず空腹は満たされた。ハンバーガーのセットメニューをドリンクまで全てたいらげ、満腹とまではいかないが十分だ。ごちそうさまでした、と手を合わせる俺に瑠奈が笑う。


「ちゃんと噛んでた? 異常な速さだったんだけど」

「男なんてみんなこんなもん」

「うそだー」


 あははと声をあげて楽しそうな瑠奈に口元が緩む。それを悟られぬようわざと大きな音を出して包み紙たちを片付けた。

 立ち上がったついでに新しい飲み物でも出そうか、と空っぽになった瑠奈のグラスを取る。


「お茶でいい?」

「ううん、もう大丈夫! なんか今日冷えるから」

「あー、じゃああったかいのにする? コーヒー、緑茶、ココア」

「えっじゃあココア!」


 了解、と俺はキッチンへ向かうとゴミを捨ててココアの粉が入った袋を手にした。



 というわけで、そういうわけだ。

 麗華以外の他人を家に入れたのはいつぶりだろう。「お邪魔します」なんてアイツは言わないから瑠奈の言葉は新鮮だった。

 当たり前に誰もいないから、しーんと静まっていることに妙に焦ったな。


「一人暮らしなんだよね。寂しくない?」

「全然」


 ココアを入れたマグカップをテーブルに置くと、俺はソファを背もたれにして床に腰を下ろす。ソファに座っている瑠奈の膝小僧が視界に飛び込んできて目をテーブルへ移した。


「おいしそー」

「熱いぞ、気をつけろよ」


 にゅっと伸びた瑠奈の手がカップを取る。「はぁい」と返事をしてフーフーと息をかけるその口元。ツンと尖った唇はその動きをする人間全てがなる形なのに、何で俺はガン見してんだ、バカなのか、俺はバカなのか。


 そんな邪な感情など想像もしていないであろう瑠奈の口はカップにつけられた。懸命にやっていた温度調整は終わったようだ。普段俺が使っているライトグレーのカップがドヤってる気がするなんて、俺はどうかしている。


 もう見るのやめようぜと自嘲気味に目を逸らした瞬間だった。


「ぅあちっ」


 小さな叫び声がしてぐるんと瑠奈に向き直れば、顔をしかめて舌を出している。

 はっ? あんなフーフーしてたのに。


「火傷した?」

「ベロがぁ」

「見せてみ」


 俺はソファに座り瑠奈の顎を右の拳で持ち上げた。

 ちょこっと出されたその先端は赤い。でもこれは火傷によるものなのだろうか。光の加減で分かるか? いろんな角度からそれを見るがやっぱりよく分からなかった。


「ち、ちひゃやきゅん」


 舌を出しているせいだろう、うまく言葉になっていない声にハッとした。瑠奈の視線は横に逸らされていて、ぎゅっと俺の右袖を握っている小さな手は震えてるような気がした。


 慌てて顎から手を離せば、瑠奈は舌を出したまま何故か笑った。イヒヒと。字面にするとどこぞの小悪党のような感じだが、実際は違う。イヒヒのくせに可愛い。

 とりあえず瑠奈の手からカップを取ってテーブルに戻した。


「千早くん、照れたじゃんかよー」


 照れたらイヒヒって笑うのか。それとも舌を出してたせいか。

 瑠奈はぺちぺちと俺の手の甲を叩いた。ぜんっぜん痛くない。まるで撫でられてるレベル。だけどもその指摘は痛い、己がやらかしたことを自覚させられて恥ずかしくなる。だから「ごめん」との謝罪はぶっきらぼうになった。


「千早くんって、実は女の子慣れしてる?」

「……してないよ。何で」

「フツーに女子を家に入れちゃうし」

「それ言うならお前だって、フツーに男の家にあがってんぞ」

「えっ、私、男慣れしてる? かっこいい」

「それがかっこいいのかは知らんが……まぁ、距離感は近い」

「残念ながら、してないよ」


 瑠奈はそう言うと俺の右手を引いて自分の左胸に押し当てた。突然の出来事に俺は何の反応も出来なかった。は? とすら言えず息を呑んでビシッと固まってしまった。

 サラッとした手触りのトップス、その奥に柔らかい感触。なんだこれ、なんだこれ、あったかいんだけど。


「ドキドキしてるもん、分かる?」


 それは分かる。めちゃくちゃいってる、ドキドキいってる。だけど、手の平に伝わるのはそれだけじゃなくて、人体に押し当てられてる筈なのにそこに骨のような硬さはない、ただただ柔らかい膨らみ。

 つか、お前やっぱり慣れてるの? それとも何も考えてないの?


「昨日もさぁ、千早くんがお母さんに言ってくれたこととか、お芝居って分かってるのにね、なんか、かっこよくて」


 手の平に伝わる鼓動と温度と感触に、俺の全神経はもっていかれている。

 仕方ないだろ、初めて触るしお年頃だし家には二人っきりだし。俺は健全な男子高校生だ。こんな柔らかくて弾力を感じるような不思議なものを与えられている状況で他のことを考えられるわけがない。


「……ごめんね、帰り。ちょっと私緊張しちゃってね、あんま喋れなくなっちゃった。ふふ、自分でも変だぞって思ってたんだけどずーっとドキドキしててさぁ」


 だけどそんな魅惑的なものより、瑠奈の言葉にどきりとした。「あのね」と続ける声がちょっとだけ震えるから、やましい気持ちが薄れていく。


「お芝居なの嫌だなって思っちゃった」

「……」


 恥ずかしそうに微笑む瑠奈に、感情が揺れた。

 抽象的なんかじゃなくハッキリと浮かんだ思いはあまりにも突然で、自分で自分に驚いた。


 俺は今、何を思った。


 瑠奈を抱きしめたい、とは。



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