第5話

「あいつが鶴川さんを振ったって例の男か?」


「ただの冴えないチビじゃん。あんなののどこがいいの?」


「あれなら俺の方がモテそうだぜ」


 僕もそう思うよ。


 登校中、矢のように降り注ぐ視線を全身に感じながら、小太郎は内心で苦笑していた。


 千鳥が自ら認めた事もあり、翌日には告白の一件は正しく広まったらしい。


 一緒に帰ろうが、告白されようが、それを振ろうが、周りの反応は似たようなものだったろう。


 どう転んでも、冴えないチビの小太郎が揶揄される運命に変わりはない。


 なんだか面倒な事になってしまったが、その事で千鳥を恨む気持ちはなかった。


 彼女自身が言っていたように、学校一の美少女だって普通の人間だ。


 周りが勝手に騒いで特別扱いしているだけである。


 その事を思うと、むしろ小太郎は同情した。


 裏サイトに晒された画像だって、元々はただ知らない男の子と一緒に楽しそうに帰っていただけだ。


 ただそれだけの事なのに、ニュース扱いでゴシップになってしまう。


 告白の事だって、普通に考えれば他人に説明する義理はない。


 むしろ、恥ずかしいから隠しておきたいと思う事だろう。


 でも、それでは周りが納得しない。


 大騒ぎになって、小太郎にも迷惑がかかる。


 そう思って、恥を忍んで自ら説明したに違いない。


 まったく、難儀な人生である。


 生徒達の尊敬と羨望とエッチな視線を一身に集める千鳥だが、本人は不自由な立場に辟易している事だろう。


 こんな事になって、小太郎に対して罪悪感を覚えているはずだから、機会があれば励ましてあげようと思った。


 恋人ではないけれど、友達にはなったのだ。


 友達が困っている時は、助けてあげるものだろう。


「あ、千鳥さん。おはようございます」


「こ、小森君!? おふ、お、おはよう……」


 学校に着くと、廊下を歩いている千鳥に出くわした。


 朝から会議でもしていたのか、手には分厚いファイルを抱いていた。


 告白の事で照れているのか、少し挙動が不審である。


 太陽でも見るように、視線を合わせては外し、また合わせては外しておろおろしている。


 クールな生徒会長もこんな風になるんだなと、小太郎は微笑ましく思った。


 そしてふと考える。


 この感情には好きが含まれるのだろうか。


 ……いいや。多分含まれない。赤ちゃんや猫を可愛がるような気持ちである。


 昨日栞に告白されてから、小太郎は真面目に考えてみた。


 好きってなんだろう。


 考えても分からない。


 でも、考えなければいけない。


 勘違いだと思うのだが、それでも二人は自分なんかに好意を寄せてくれている。


 ならばこちらも、真面目にその気持ちと向き合わなければいけない。


 好きになる努力をするのは違うと思ったので、せめて好きという気持ちを理解しようと努力する事にした。


 今の所、突破口すら見つかりそうになかったが。


「寝不足ですか?」


 千鳥の目元には少しクマが出来ていた。


 顔色もちょっと悪い。


「あ、あぁ。少し気になることがあってね……」


 やはり、告白による影響を気にしているのだろう。


 今日の千鳥はどこか元気のない様子だった。


 こうしてお互いの教室に着くまで並んで歩いているだけでも、周囲の視線を集め、奇異の目を向けられ、変な顔をされたりひそひそ話をされている。


「僕の事なら気にしなくていいですよ。元々チビだし、からかわれるのには慣れてますから」


「ん? なんの話だね?」


「えっと、周りの反応を気にしてるのかと思ったんですけど、違ったみたいですね」


 どうやら思い違いだったらしい。


 自意識過剰のようになってしまい、小太郎は恥ずかしくて苦笑いを浮かべた。


 千鳥はパチパチ瞬きをすると、周りを見渡して青ざめた。


「あぁ!? す、すまない。その事で君には迷惑をかけてしまった! 悪いとは思っていたんだ! 本当なら付き合った段階で私が守ってあげるつもりで! 昨日までは気にしていたんだ!? 今はたまたま、別の事で頭がいっぱいで! き、気にしてなかったわけじゃないんだ! 信じてくれ!?」


 大慌てで千鳥が弁明する。


 弾みで手からファイルが落ち、なかの書類が廊下に散らばる。


「あぁ!?」


「落ち着いて下さい。僕は気にしてませんから」


 笑いかけると、小太郎は散らばった書類をかき集めた。


「す、すまない……。こんなはずじゃなくて……。君には情けない所ばかり見せてしまうな……」


 しょんぼりと肩を落とす千鳥は、どこにでもいる普通の女の子に見えた。


「気にしてませんってば。むしろ安心しました。もっととっつきにくい人だと思ってたので」


「小森君……」


 笑顔で励ますと、千鳥はうっとり涙ぐんだ。


「それで、どんな事で悩んでるんですか? 僕でよければ相談にのりますけど」


 なんの役にも立てないだろうが、人に話すだけで気持ちが軽くなるものである。


 友達だし、告白を断った負い目もある。


 まぁ、そんな事がなくたってお節介を焼くのが小森小太郎という少年なのだが。


「……大丈夫だ。気持ちだけ受け取っておくよ」


 言いかけた言葉を飲み込んで、千鳥は苦い笑みを浮かべた。


「無理はしないで下さいね。友達ですし、なにかあれば力になるので」


「……あぁ。その時は遠慮なく頼らせて貰うよ」


 苦みの抜けた笑みを浮かべると、千鳥は不意に思い立った。


「そうだね。友達と言うのなら、もう少しフランクに話して欲しいかな?」


「おっけ~」


 指で丸を作ってお道化て見せると、千鳥が吹き出した。

 

 †


 小太郎が周りの反応をあまり気にしなかったのは、教室の中が比較的平穏だったからという事もある。


 学校生活の大半は教室で過ごすから、こちらが平穏なら問題ない。


 慧伍を筆頭に、二年一組の生徒だって千鳥との関係には興味津々だが、小太郎にちょっかいを出すとリリカが黙っていないので、表面上は大人しくしていた。


 そういう意味では、リリカは小太郎の守護天使のような存在と言えた。


 こちらから頼んだ事はないし、自分の身くらい自分で守れるのだが、それはそれとしてリリカと一緒にいるとちょっかいを出されないのは事実である。


 それについては感謝するべきだろう。


 周りに対して心を閉ざし、小太郎に依存している状況に不満があるだけで、小太郎も別にリリカの事は嫌いではない。


 色々問題はあるが、普通に友達だとは思っている。


 しかしだ。


「でさー! も~ちょっとでチャンピオンだったのに、味方が回線落ちしちゃって! もう、ゴミ回線ならランクマ来んなし! って感じじゃん? それで台パンしたらエナドリこぼしちゃって、おニューのキーボードがダメになっちゃったし!」


「……ねぇリリカちゃん。狭いんだけど」


 昼休みである。


 例によって、リリカは当然のように小太郎の所に来て一緒に昼飯を食べている。


 小太郎は母親の作った弁当だが、リリカはコンビニ弁当である。


 リリカは料理が出来ないし、お父さんも忙しくてお弁当を作る時間はない。


 仕方のない事だが、放っておくとリリカは全く野菜を食べない。その事を家で話したら、心配した母親がリリカ用にちょっとしたオカズと野菜の入ったミニお弁当を持たせるようになった。


 小森家は家族そろってお人よしなのである。


 偏食家のリリカも、小太郎の持ってきた弁当なら喜んで食べる。


 甘やかしすぎなのではと思いつつ、母親の手料理を嬉しそうに食べているリリカを見ているとまぁいいかなと思ってしまう。


 それは別にいいのだが、普段は正面に座るリリカが、今日は何故か隣に座っていた。


 一つの机に対して二人が横並びになったら当然狭い。


 しかもリリカは、半ば寄り掛かるようにしてグイグイ密着してくる。


 香水交じりの甘い体臭がふわっと香り、制服越しに少し高めの体温と肌の柔らかさを感じてしまう。


 小太郎はドキドキして、昼食どころではない。


「仕方ないじゃん。くっつかないと通路にはみ出しちゃうし」


「いつもみたいに向かいに座ればいいでしょ!」


「やだ」


「なんで!」


「あーしちょっと風邪っぽいかも? 正面に座るとツバ飛んじゃうかもしれないし? 飛沫感染的な?」


「だったら隣もよくないと思うけど」


「うっさいなぁ! 今日は隣の気分なの!」


「わけわかんないよ! 恥ずかしいし、絶対変だって! ほら、向こう行って!」


 肩でリリカを押すのだが、リリカは楽しそうに押し返してくるだけだ。


「あははは。こもりんにおしくら饅頭で負けるわけないし?」


「遊んでるわけじゃないから!」


「あ~! 押し合ったらなんか暑くなってきちゃった~」


 わざとらしく言うと、リリカがシャツのボタンを開けた。


 パカッと開いた胸元から、褐色の大きな胸と派手なブラが覗く。


「ちょ、リリカちゃん!? なにしてるの!? 隠して隠して!」


「だって、暑いんだもん。ふ~、あち~。もうすぐ夏かな~?」


「まだ五月だよ!?」


 見せつけるように胸元を開くと、パタパタと右手で仰ぐ。


 平静を装っているが、リリカの顔は真っ赤で、声もブルブル震えていた。


 恥ずかしいのだろう。


 周りの男子もギョッとして、箸を止めてガン見している。


 小太郎が背中で隠すと、一斉に舌打ちが鳴った。


 知った事ではない。こちらはリリカのお父さんによろしく言われているのだ。


 男手一つで必死に子育てをしているお父さんの為にも、こんな奇行を許すわけにはいかない。


「風邪ひきやすいんだから、バカな事しないでよ!?」


「バカは風邪ひかないし! てか、風邪引いたらこもりんがお見舞いに来てくれるし? あーしは別に平気だけど?」


「いいから、シャツのボタン留めて!」


「きゃ~! こもりんのえっち~!」


 リリカの手首を掴み、無理やりシャツのボタンを留めさせようと揉み合っていると。


「……小森君。君はなにをやっているんだね?」


 底冷えのするような声に振り向くと、学校一の美少女が見たこともない怖い顔で教室の入口に立っていた。

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