第21話 化石 附:宣伝

 校本全集の作業を私は「考古学のよう」とたとえました。

 別のたとえを使うと、それは、化石から、過去に絶滅した生物の姿を復元する古生物学のようです。

 古生物学というと、「銀河鉄道の夜」には、白鳥の停車場近く、プリオシン海岸というところで「ボス」という牛の先祖の化石を発掘する大学士が出て来ます。

 「ボス」というのはラテン語で牛のことです(ここではラテン語の長音と短音の区別は無視します)。学名はラテン語でつけますから、「ボス」はウシ属の学名です。現生の牛は「ボス・プリミゲニウス・タウルス Bos primigenius taurus」といいます。ここで発掘しているのは「ボス」より後の部分の学名が違う種類なのでしょう。家畜牛の祖先はオーロックスといって「ボス・プリミゲニウス」(「タウルス」がつかない)という絶滅動物ですので、ここで発掘しているのはそのオーロックスの化石なのかも知れません。

 この大学士は、つるはしやスコップ(「スコープ」と表記している)やのみを使い分けるように、乱暴しないように、ていねいに、と何度も指図をしています。骨になって、つぶれて、古生物の原形をとどめていないのに、それでもその化石を、できるだけそこに埋もれているままの姿で、ていねいに掘り出そうとしているのです。

 「標本にするんですか」と(おそらく)ジョバンニにきかれた大学士は答えます。

 「証明するにるんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれど、ぼくらとちがったやつらからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか。あるいは風や水やがらんとした空に見えやしないかということなのだ。わかったかい」(引用は新かなづかいに改めました)と答えています。

 このプリオシン海岸の描写は花巻市内の北上川の河岸での賢治の体験をもとにしているとされます。

 この大学士に出会う前にジョバンニとカムパネルラはくるみの化石を見つけます。実際に賢治はこの北上川の河岸で古い時代のくるみの化石を見つけています(この場面は、細田守監督の『時をかける少女』の描写にも影響を与えています)。

 この河岸を賢治は「イギリス海岸」と名づけました。イギリス海岸は現在も花巻市の観光名所となっていますが、現在は、北上川の流量の変化などで賢治がくるみの化石を発見したところまでなかなか水位が下がらなくなっています。花巻観光協会のホームページによると「毎年賢治の命日である9月21日には、関係各所にご協力いただき、5つのダムや猿ケ石さるがいし発電所にて水量を調整して川の水位を下げる試みを行っています」(https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/)とのことです。

 このエピソードからもわかるように、賢治は、石に埋まっているくるみが現生のくるみではないことを見抜いたくらいに古生物に詳しかったのです。

 詩では、長い時間を表現するのに、爬虫類が鳥に進化するまでの時間というたとえも使っています。


   胸はいま

   熱くかなしい鹹湖かんこであって

   岸にはじつに二百里の

   まっ黒な鱗木りんぼく類の林がつづく

   そしていったいわたくしは

   爬虫はちゅうがどれか鳥の形にかわるまで

   じっとうごかず

   寝ていなければならないのか


 病気に倒れて寝ていたときの詩です(詩集『疾中しっちゅう』に収録。原文はhttps://ihatov.cc/shitchu/448_d.htm)。鱗木(リンボク)も絶滅した古生代の植物です。

 鱗木が栄えた時代はまだ両生類の時代で、爬虫類が登場したごく初期に当たるので、そのどれかが「鳥の形にかわる」までは一億年ほどの時間が必要です。賢治の時代にはまだ年代まで正確に測定されてはいなかったと思いますが。

 賢治は、学生時代に地質調査で岩手県内を歩き回り、「ちがったやつら」からは平凡な土地にしか見えないところが「立派な地層」であることを見抜くことができました。

 また、農学校の仕事をして、農村で活動していた賢治は、家畜をはじめ現生の動物と接する機会も多かったはずです。そこでいまの牛の骨格と化石の牛の骨格が違うということを体験的に知り、そして、人間が飼い慣らす前の牛が「たくさんいた」時代の野原を想像できた。「生物の進化」を体感として知っていたのかも知れません。

 そんな賢治ならば、中学生の女子が昭島あきしまの海で化石のクジラが泳いでいるのを見たいと言っても笑わなかっただろうと思います……ってこれは私の自作の宣伝です。

 『空飛ぶクジラ』

 https://kakuyomu.jp/works/16817330649060061809

 ……失礼しました。


 ※ なお、賢治と化石の関係、その「化石」が意味するものについては、私は見田宗介『宮沢賢治』で最初に教えられました。

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