Episode6:転び、立ち上がり、また転ぶ

 手に握られた、人の殺意が固められた鉄の塊はまだ温かい。自分のものでない血が、私の進む道を赤く染め上げる。私が一歩前へ進むごとに、耳の中に入るノイズは大きくなる。だが、足は止まらない。私はまず、死体に駆け寄りながら涙を流す女の前に足を運んだ。女は私の方を一切見なかった。それは私への恐怖が無かったとかいう話ではない。真横の男の死によって、女は周りを見れなくなっていたのだ。女の頭の横へ静かに銃口を運ぶ。そして、女の頭の中を弾丸が貫通する。手に残る銃から生み出された大きな振動の余韻は、女に直接触れて殺した訳でもないのに、手に人を殺したという感触を強く刻んだ。最初に殺された男の血溜まりに、自分が殺した女の血がみるみる混ざっていく。


「あと………。4人…………」


 そう呟いた私が死体から目を逸らそうとした時、右足首に強い痛みが走った。


「オ゛マ゛エ゛!! オ゛バ エ゛ダ ゲ バ!! ゴ ロ゛シ゛テ゛ヤ゛ル゛…………。 ゴ ロ゛ジ デ ヤ゛ル゛!!!!!!」


 残った男の一人が私の足を噛み付きながら、殺意を言葉に込めてぶつけてくる。今殺した女は彼にとって大切な何かだったのかもしれない。それでもその行動は、手足を拘束された人間の行える、最期の悪足掻きに過ぎなかった。歯の先が私の肉の中にめり込んでいくのを感じながら、銃口は既にその男の頭を捉えていた。引き金に指を掛けた瞬間、先まで私の足を嚙み砕こうと、私の足を睨みつけていた赤い瞳がギョロっと私の目を貫く。


「オ゛マ゛エ゛ダ ッ゛デ…………オ゛レ゛タ゛チ゛ト゛ナ゛ニ゛モ゛カ゛ワ゛ラ゛ナ゛イ゛ゾ……………………カ゛ン゛チ゛カ゛イ゛ス゛ル゛ナ゛……………………カ゛ン゛チ゛カ゛イ゛ス゛ル゛ナ゛ヨ゛!!」


 背筋を引き抜かれたかのようにゾッとした。得体の知れない恐怖感を掻き消すために、私は思いっきり引き金を引いた――――。


 そこからの記憶は全くなかった。気が付いた頃には血溜まりの真ん中で、銃を抱えて仰向けに倒れていた。静寂と暗闇の広がる空間の中に、笑顔に満ちた声と、優し気な手が私の前に差し出された。私はその手を静かに取った。


「改めてよろしく!ラーカス・フロイト! ようこそ僕のオルターランププロジェクトへ!」


 死臭が入り混じる、彼岸の花が咲乱れたような騒然としたこの場所に、小さな種子が静かに芽吹こうとしていた。私はこの日を忘れることはなかった。忘れようとしても、忘れられない。今も昔もこれからも………。






 「あれ?おじさんー!何でここに居るのー?お父さんは?」


 昔を思い出していた私の背後には、少女の活気に溢れた声があった。私はこんな太陽のような存在を今まで何人も見殺しにしてきたんだ。いや、見殺しではない。


「起きたのか?お父さんなら今さっき仕事に行ってしまったよ」


「えー!お父さん見送りたかったのにー!起こしてよーおじさん!」


「あまりに気持ちよさそうに寝ていたもので、キミのお父さんから起こすのを止められていたんだよ」


「それでも起こしてよー!!もーーーー」


 もう私は道を間違えたりなんてしない。私を照らしてくれるこの小さな太陽少女に自由を届けて見せる。それを、この少女がたとえ。絶対に。絶対に………………。






 突然だが、人間とは学ばない生き物だ。転んで膝に傷を作ったとしよう。一度転んだら最初はその失敗を注意深く気を付ける。だがその傷がカサブタになり、やがてもともとの肌に戻る。そうすると注意は散漫になり、また転ぶ。人間なんてその繰り返し。今、怪我なく立っていることを、さも当たり前だと思って生きている。


 今、ルピナリアの人間はと一緒だ。どうして自分が立てているかなんて誰一人考えていない。時間という薬に溺れたルピナリアは、またもイリアルたちの注意を散漫にしていた。ラーカス・フロイトはこの何十年間を掛けて、イリアルでありながらルピナリアの信頼を勝ち取ってきた。監守の中にはラーカスのことを密かに友と呼ぶ者も居た。結局、種族が違う、目の色が違う、立場が違うなんて、それほどに薄っぺらいものなのだ。イリアルとルピナリアは争うことなく手を取り合うことだって可能なのだ。


 でも、それはここから更に10年、100年、1000年後のことかもしれない。そんな淡い希望などを待っては居られない。だから、今は目の前にある自由を手に入れる。後のことなんて、後の者に任せればいい。ラーカスはイリアルの多くをもう見てなどいなかった。側に居るイリアル一人だけを見ていた。


 ラーカス・フロイトの計画が今夜、決行される―――――――。

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