Episode2:だって少女は何も知らないんだもの

 リビングの奥にある扉を開くと、そこは先ほどまでの雰囲気とは比べ物にならない程に暗く冷たい。少女は父に手を引かれながらその道を進んでいく。その時の少女に恐怖なんてものはない。だってそれは少女にとって当たり前のことなのだから――――。




 少し進むと鉄でできた頑丈な扉にたどり着いた。


「少し待っててね」


 父はそう言うと、5本の鍵をポケットから取り出してそれぞれを各鍵穴へ差し込んでいく。少女はそれを背伸びをしながら茫然と眺めていた。するとたちまち 『ガチャ』という重々しい音と共に扉は開閉する。開いた先に見えたのは電気に灯されていない暗闇の世界だった。


「さあ、入ろうか…」


 父に言われるがままに私はその部屋の中に入っていく――――


 入った直後、父はどこかに手を伸ばし部屋の明かりを点灯させた。だが、それは明かりと言うには些か物足りないもので、少女はあまり部屋の全貌を見渡すことができないでいた。そうやって周りをフラフラと眺めていると父は問いかけてくる。


「そこにある椅子に座ってもらってもいいかい?」


 そう言って父の指さす方を見ると確かに椅子がある。でもそれはただの椅子ではない。大人は座れない子供専用のもので、もっと言ってしまうのであるなら少女のサイズにピッタリの椅子。


「うん、分かった!いつも通りだね!」


 少女はそう言うやいなや、飛び乗るように椅子へと着席する。その行動には少女のワクワクする気持ちが伝わってくる。


「お父さん早くー。早く始めよ!」


「少し待ってね。すぐ準備に取り掛かるから」


 待ち切れない気持ちが十分伝わったのか、父の作業スピードはみるみる速くなっていく。そうして最後の準備と言って父は両手に鉄製の輪のようなものを持って少女の座る椅子へと向かう。そしてその鉄製の輪、言うなればを少女の両腕、両足首へ取り付けていく。少女はそれに抵抗することもなく、堂々とした態度を見せていた。


「締め方がきつかったりはしないかい?」


「全然大丈夫!準備満タンだよ!」


 少女は満面の笑みを浮かべる。それに応える父も笑顔を向ける。その表情だけを切り取ったとすれば、それは幸せな家族の形と言えるだろう。だが、突如その時少女の腕にチクッとした痛みが走る。痛みの震源には父が刺した先端が細い針になった注射器が少女の身体に何かを注ぎ込む光景があった。


 何かを注ぎ終わると、注射器はそっと引き抜かれた。そして父は少女に優し気な言葉を掛ける。


「痛かっただろうによく泣かずに頑張れたね。偉いぞ」


「もーお父さんったら。こんなので泣くなんて赤ちゃんじゃないんだから!バカにしないで!」


「それもそうだね。少し子ども扱いし過ぎたのかもしれない」


「そうだよ!お父さん、またおじさんにまた怒られちゃ――――――― 」


 言葉を言いかけたところで少女の意識はそっと消えていく。それはまるで電池の切れたおもちゃの兵隊が歩くのをやめてしまうかのように前触れもなく突然に。





 それから少し経ち、少女の肩が揺さぶられハッと意識が覚醒する。視界はぼやけてはいるが、確かにその目は父を捉えていた。視界が回復するのを待ちながら、自分が気を失ったところの記憶を思い返す。でもその思い返した記憶の断片は、あまりに突然の出来事過ぎて少女自身まだあれが現実のことだったのか理解できないでいた。


「ごめんお父さん…。寝ちゃったみたい……?」


「どこか具合が悪かったりはしないかい?」


「具合は大丈夫…!むしろ寝たから元気なくらい…!!」


「そっか、じゃあするね」


 またも少女の腕に痛みが走る。だが次は先ほどとは様子が違うかった。注射が引き抜かれた瞬間、少女が喋る隙を与えないかのように視界がぐちゃぐちゃに曲がっていく。次第に気分も悪くなっていく。そして少女の喉から出てきたのは悲痛の叫びなどではなく、自分が胃の中に入れたはずの栄養分、トースト、スクランブルエッグ、サラダ、牛乳が混ざり合いながら胃を拒絶し逆流し始める。少女は自分の身体に何が起こったのか一向に理解ができない。いや、むしろもう理解することを諦めていた。そして少女の視界は暗転する。





 これで終わった。それならばどれだけ良かったであろうか。それから数時間、少女には約10本もの注射器による非人道的実験が行われた。もちろん打たれるたびに副作用が少女を襲う。


 それらを少女は過去から現在にかけて父が仕事から帰宅するたびに、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、経験する。


 だが、少女は苦しまない。悲しみもしない。疑おうともしない。だって少女は本当の世界を何も知らず、小さな箱庭の世界の当たり前に侵されているのだから。


 少女は今日も本心のままに笑顔を父に向け続ける。






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