第06話

 

 空を震わす程の禍々しい大音量──これが竜の咆哮だとは、誰に聞くまでもなかった。

「な、なに」

 それでも竜は大人しくしているのでは無かったのか。小山のように動かない筈では?

 

 聞いていた、調べてきた竜の話に加え、今迄の彼らの態度でセシリアは勝手に楽観視していた。一切の危険などないのだと、誠に勝手ながらそう思い込んでいたのだ。

 

 しかし響き渡る竜の咆哮はどう聞いても怒号であり、脅威を感じずにはいられない。それこそ竜の風評被害の信憑性を裏付けるものでしかない程に。


 一体何故。


 そんな疑問が頭を巡り、セシリアは慌てて視線をザカリーに走らせた。

 異常事態となってしまったこの場に、護衛たちに緊張が張り詰める。


「ザカリー。これは一体どういう状況なのかな?」 

 緊迫を断ち切るような……静かに、けれど毅然とした声音は、一同をその空気から解放した。

「ミルフォード殿下。……いえ、これは……私も初めてで……」

「ザ、ザカリー様!」


 恐怖と動揺で視線を泳がせるザカリーの名を呼びながら、山の上から兵士が転がるように駆けてきた。

「どうした! 何があったんだ!」


 ノラード領の私兵であろう彼に、ザカリーは弾かれたように顔をそちらに向けた。

「お、お子様方が……」

 地面に這いつくばるような体制の彼から漏れた言葉に、ザカリーの顔が強張った。

「双子様が! 竜の巣に!」


 気力を振り絞るように声を張り上げた兵士はそのままその場に蹲った。

 誰もが息を呑む瞬間。

 呆然と立ち竦むザカリーの脇を抜け、セシリアは山頂へ向かって勢いよく駆け出した。

「セシリア!」


 後ろから追いかけるミルフォードの声にセシリアも同じく声だけで応じる。


「あなたは戻って!」


 フォート国で起こった竜害に他国の王族を巻き込んだなど、醜聞以外の何者でもない。

 ……まあセシリアが負傷しても青褪める者はいるだろうが。この場合、陣頭指揮は自分であるべきだ。何もせず逃げ帰った王女だなどと、惰弱な噂を広げるつもりはない。

「姫さん!」

 後に続くモーリスの気配にセシリアは無言で頷いた。

「モーリス、戦闘準備をして頂戴!」

 ──人を傷つけた竜は討伐しなければならない。

 それがどれほど難易度の高いものであろうとも。


 ブルードラゴンの生体。ザカリーの子供たちの安否。押し寄せる不安にセシリアはごくりと唾を飲み込んだ。



 ◇



 踏み出した先は山の中腹。

 開けた場所にはテントと、監視の為の設備だろう、簡易な小屋が建てられている。


 監視の兵は片手程の人数もいないようだ。

 しかし先程駆け降りて来た一人を合わせると、成る程ここの本来の人員はその数らしい。


 高台の丘を監視するここは、竜の様子は見えるが手も足も出ない。現に監視たちは突如現れたセシリアに驚きを顕にしつつも、その視界の先に顔を青褪め立ち尽くしたままだ。


「状況は!?」


 そう叫ぶと共にセシリアは彼らの目線の先を追った。


「っ」


 先程の兵士の言葉の通り。

 山腹の、やや高い位置から見下ろす約百メートル先の丘の上。確かにザカリーの邸宅で会った双子がブルードラゴンと相対し震えていた。


 ──一体何故、どうして!


 そんな言葉を飲み込み、セシリアは素早く上着の内ポケットを弄った。


 ……多分ミルフォードはセシリアが向かった先が山頂﹅﹅だから止めなかった。この距離を飛ぶ﹅﹅事などできはしないから。

 けれど、「神秘」と呼ばれる力が働くこの世界では、普通に生きる中では理解できない、する必要のない作用が確かに存在する。

 歴史に潜み、語り継がれる奇跡。人々の安寧に寄り添う伝承は、神殿や王家の創設に利用されてきた。その権威に信憑性をもたらす為に。諍いや混乱を避ける手段として。


 セシリアはフォート国の王族の血を引く公女だ。その血は直系より薄くはあるが、以前、神秘の力は確かに彼女の意志に順じた。


 ……つまり自分は飛べる﹅﹅﹅


 確信を持ったセシリアは懐から一丁の銃を取り出した。

「ひ、姫さん!」

 セシリアが何をするつもりか分かったらしいモーリスが背後から焦った声を上げる。


 ……流石に王家が秘匿する、国宝とも言われる神樹の葉を、ブチブチ抜くわけにはいかない。

 セシリアだってそれくらいの分別はある。

 ──が、巨額な借金を背負った我が身なのだ。背に腹は変えられない、と……神秘の力で自身の能力強化を図る研究をこっそり行っていた。

 

 とはいえ「神秘」などという胡散臭い言葉を素直に受け取る者の方が少ない。しかし少なくはあるが、いない事はない。

 そしてセシリアにとって否定する者こそ相応しく、都合が良かった。父や伯父に勘づかれる心配が薄まるからだ。

 そうしてセシリアは見つけた。

 自身の望む結果を出せそうな研究者を。

 その人とがっしりと握手を交わすセシリアの横で、モーリスは女性のような高い悲鳴を上げていたが……


 モーリスの杞憂はセシリアがパトロンであると同時に、その研究成果に一役買っているからだ。……具体的には研究成果の実用性の試験……という、試し打ちだ。

 これも借金返済の為である。致し方あるまい。


 こうしてお互いの理に適った研究は、日々研磨されているのである。


 セシリアが今握るのはその集大成。改造銃Ⅻくん。

 その照準を合わせ片目を瞑り。


「転置!」

 真っ直ぐに自分が向かう場所を目視し、セシリアは叫んだ。

 いつか聞いたモーリスの悲鳴が背後から響く。

 と、同時に衝撃が走った。誰かが自分の身体に飛びついたのだ。

 しかし振り返る余地もなくセシリアの身体は遠く──怯える双子の元へと、光の筋となって飛び立った。

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