第40話

 洋子は陸の経験を自分の身に置き換えた。物凄くハードな勉強合宿とかに連れて行かれて、一週間経ってようやく空に会えると縋るような思いで帰ってみたら、既にいなくなっていたとしたら。


 これはひどい。想像しただけで心が折れる。

 しかも知り合ってまだ間もない洋子に比べ、この人は空が生まれてからずっと傍にいたのだ。心が壊れてしまっても無理はない。


「ただ空のことばかり考えていた。今頃何をしているんだろう。夜はよく眠れただろうか。お腹を空かせてはいないだろうか。悪い虫は付いていないか。最近着け始めたブラジャーはきつくないか」


「お兄ちゃんがおみやげにくれたやつなら大丈夫だよ。少し大きめなぐらい」

「成長期だからな。ぴったりなのよりいいと思ったんだ」

 心は元から壊れていたのかもしれない。洋子は陸の評価を下方修整する。


「ふと空の気配がするのを感じた。僕はいつのまにか全然知らない場所を走っていた。それもどうも自分は女の子になっているようだ。かなり奇天烈な状況だったが、その時の僕はほとんど奇妙と感じることもなく、空の匂いがする建物に入った。一階にある部屋のベッドの上にパンツが二枚置いてあった。間違えるはずもない。空のだ。僕は手に取って空の温もりに触れ、その最中に目が覚めた。その後も似たようなことがあった。比較的はっきりと覚えているのは、誰もいない教室で空の短パンに顔を埋めたことと、風呂の脱衣所で空のパンツにくちづけをしたことだ。空本人に触れようとしたこともあったが、その時は女の子ではなく自分のままだった気がする。しかしやはり自分の体では空には手が届かなかった」

 陸は告白を終えた。ホームズが後を引き取る。


「ありがとう。これで大方の事情は明らかになった。姫木くんと先坂くんもいいね」

 洋子と先坂は顔を見合わせた。言葉には出さなくても、互いに似たような心境でいるのが伝わる。


 確かに突拍子もない内容だった。だがでたらめだと退ける気にもなれない。なにしろまさに現在進行形で常識はずれの存在を目の当りにしているのだ。


「つまり、あたしが見た白衣の怪人も、あたしと先坂さんにおかしな真似をさせたのも、全部空のお兄さんだったっていうわけね。空に会えない淋しさの余りに血迷ったのが原因で」

「おおむね正しい理解だ」


「それで結局どうするわけ? どうやって迷惑行為をやめさせるの? 遊佐はいつ元に戻るの?」

 原因が分ったところで解決できなければ意味がない。むしろ現状事態は悪化しているといっていい。もともと無関係だった遊佐が全面的に乗っ取られてしまっているのだ。


「だいたいどうして綾香なの?」

「遊佐くんなら憑かれるだけで済むからね。きみや先坂くんのように憑き動かされることはない。だから駆り出し先に使わせてもらった」


 陸が思い出したように尋ねた。

「それが君が最初に言っていたことの意味か。憑坐に入れていないという」

「その通り。きみはこちらではほとんど先坂くんの中にいた。時には浮遊したり姫木くんの中に入ったりすることもあったようだけどね。理由は分るかい?」


 陸は慎重に答えを探る。

「その子、先坂さんは始終空のことを考えていた。だから同期し易かったのかもしれないな」

 陸の推測を、先坂は否定しなかった。特に動揺することもなく素直に受け入れているように見える。


 先坂、そうだったんだ。些か複雑な感情を抱きながらも洋子は納得する。やたらと空に突っ掛かっていたのも素直になれなかったせいなんだ。応援はできないけれど、おかしいとは思わない。だって空ぐらい可愛ければ好きになっても当然だ。それに空と同じく先坂だって洋子の大切な友達なのだ。


「きみが空くんとの突然の別離に放心していたのと同じ時、やはり空くんのことを考えていた先坂くんがたまたま空くんの近くを通り掛かった。その瞬間、想いが繋がったんだろうね」


「……想いが繋がった」

 水面に波紋が広がるように、先坂が言葉をなぞった。


「とりわけ先坂くんの心情は屈折したものだったからね。プライベートに深く立ち入るつもりはないが、あえて抽象化していえば、義務と反発との板挟みといったところかな。やはり屈折したところのある陸くんと波長が合ったのも不思議はない。空くんの近くにいるという目的のためには姫木くんに憑いた方が都合はよかった。しかしそれは諸刃の剣だった。姫木くんの欲情に引きずられて暴走してしまう恐れがあったからね。長く憑いているのは危険だときみは直感的に覚ったんだろう。昨夜の出来事がいい例だ。一時的に姫木くんに取り込まれたきみは、すぐにこのままではまずいと気付いて先坂くんの中に戻った」


「確かにそういう感じだった気がする」

「片や遊佐くんが空くんに対して抱いているのは純粋に友人としての好意だけだ。故にきみが憑いても精神が融合してしまうことがない。いわば表面に“付いて”いるだけの状態だ。きみの意識がはっきりしている反面、体を動かすことができないのはそういう理由だよ」

「よく分ったよ」


 陸は深く頷いた。先坂もすっきりした面持ちだ。空は静かに聞き入っている。

 だが洋子は釈然としなかった。あたしの欲情のせいで暴走とか意味不明だし。事実無根だし。名誉毀損だし。空はあたしのものだし。あれ?

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