第34話

「まずは簡単なことから済ませよう」

 ホームズは切り出した。他の寮生の不審を招くのを承知でワトソンも部屋に入れたというのに、主導するのはあくまでホームズの方らしかった。


「最初に行うのは調査ではなく、単なる事実の確認だ。そらくんのなくした二枚の縞パンと」

「一枚はチェックです」


「そうだったか。一見つまらないと思える細部こそが最も重要というのよくあることだからね。情報提供を感謝する」

 空に話の腰を折られてもホームズはわずかもペースを乱さない。


「その二枚のパンツと体育着の短パンを持っているのは――きみだね」

 洋子ようこは顔色を変えた。全く薄っぺらい存在のくせに、亜麻色の髪を編み上げた少女がその鋭い砂色の瞳に誰を捉え、陶器のような繊手で誰を指差しているのかは明白だった。


先坂さきさかはじめくん。きみの手によって空くんの衣類は持ち出されたんだ。一度目はおとといの朝、日課のランニングの途中でゲストハウスの傍を通りかかったきみは、入浴している空くんのシャンプーの香に誘われるようにして部屋の中に侵入、脱いだまま置かれていたパンツと新しく用意されていたパンツの両方を取り上げ、匂いを嗅いだり頬擦りをしたりしているさなかに、浴室から人が出る気配でふと我に返り、急に恐ろしくなってパンツを握り締めたまま逃走した」


 そんなわけがないでしょう、縊るわよ。

 先坂が憤激する様を洋子は当然予想した。

 だがなぜか先坂は沈黙したままだ。余りの屈辱に、それとも馬鹿馬鹿し過ぎて反論する気にもなれないのか。


 ホームズは背中の後ろで手を組んで部屋の中を行ったり来たりする。

 いやそうではない。ホームズは画面の中から動いていない。タブレットPCを抱えた白衣姿の青年が、定員オーバーの室内を窮屈そうに歩き回っているだけだ。


「二度目は昨日。これはほとんど説明するまでもないね。その朝、姫木ひめぎくんの言葉に腹を立てて教室を出たきみは、クラスの皆が理科室に行っている間に一人で教室に戻った。その時に空くんの手提げの中から短パンが持ち出され、きみの荷物の中にしまわれた。今朝きみが着用していたのは空くんのものだね」


「それは……」

「言ったはずだよ。これは質問ではなく事実の確認だと。それともやはりきみの部屋まで行って物的証拠を差し押さえなければ認められないかな」

 先坂は真っ直ぐにホームズを見返した。


「いえ、その必要はありません。後できちんと洗濯して私から逢田あいださんに返します」

 事実上の自白だった。


「……信じらんない。どうしてそんなこと」

 洋子は我慢できずに口を挟んだ。ドーナツを食べ過ぎてしまった後みたいにひどく胸がむかむかしていた。


「嫌がらせ? やっぱり空が万智子まちこ首相の親戚なのが気に入らないの?」

「そんなのじゃないわ」

 先坂は即座に否定する。


「じゃあなんなのよ」

 だが洋子が追及すると答えずに顔を伏せる。


「言えないようなことなのね。もういい。ワトソン、あんたが処分の内容決めるのよね。どうするつもり?」

「未定だ。まだ事件は解決していない」

 ワトソンは表情を動かさない。


「犯人は先坂さん。本人が認めてるんだからそれで十分じゃない。言いたくないっていうならこれ以上無理に聞かなくたっていいわ。やったことの責任だけ取って貰えれば」


「いや、語られるべきことはまだ多く残っている」

 ワトソンとは対照的に、ホームズは明らかな意志を込めて主張する。

「何度も言わせないでくれたまえ。これまでのは単なる事実の確認だ。真相の解明でもなければ犯行の告白でもない。本番はこれからだよ。そこで、姫木くん」


「な、なによ」

「きみが先坂くんにしたのと同じ質問をする。きみはなぜ昨晩空くんのパンツを取ったのかな。それも物理的にきみ以外の実行者があり得ないような状況において」

 洋子はみぞおちに穴を開けられたみたいに息を詰まらせた。


「あ、あたしは、もう空のパンツが盗まれたりしないよう見張ってただけで……」

「いくらきみでも、その説明がおかしいことぐらい自分で分るだろう?」

 ホームズは容赦なく指摘した。


 見張っていたのは事実だ。だがそれは空のパンツをポケットに入れる理由にはならないし、空に黙ったままでいるなら洋子こそ泥棒だ。そしてもし先坂が実力行使に出なければ実際にそうなっていたはずだった。


「ではもう少し答え易い質問にしようか。『はい』か『いいえ』で答えられる。難しいことはない」

 ホームズは、というかワトソンは洋子の前で足を止めた。洋子は思わず身を固くした。空の勉強机の椅子に腰を掛けた先坂が顔を上げて洋子を見る。


「きみは空くんのパンツを取ったことを覚えているかな?」

 下らない質問だった。洋子は長い時を生きて想い出に微睡む老人でもなければ、記憶を飛ばすほどの大酒をかっ喰らった酔っぱらいでもない。身心共に健康な十一歳児が昨日の夜に自分がやったことも忘れているなんて笑い話にもならない。


「覚えてない」

 だが洋子はそう答えた。

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