第24話

 寮にある風呂場の脱衣所は手狭ということはなかったが、銭湯でも温泉宿でもないのでゆっくり座って過ごせる場所などはない。


 洋子ようこは脱衣籠の並んだ棚に背中を凭れ、着衣のまま周囲の様子に目を光らせていた。はっきりいって怪しい。まず全員が顔見知りに等しい寮内でなければ痴女として通報されてもやむを得ないところだ。


 せめてもの救いは、利用する子がもうほとんどいないことだった。もちろんそれを見越して遅い時間にしたのだが。

 脱衣所にいた最後の一人が出て行って、洋子はひとまず気詰まりから解放された。同じ六年生だったが、クラスが一緒になったこともなく余り親しくない相手だ。


 何度か洋子をちら見してきたものの、結局話し掛けてくることはなかった。気にはなるけど訊くのも気まずい。そんなところだろうか。なんにせよ洋子としては助かった。


 もし訊かれたとしても困るのだ。

 適当な口実が思い浮かばなかったので、「ちょっとね」などといっそう不審を煽るような答えしか返せない。

 そんな落ち着かない気分を味わいながらも洋子がこの場所に陣取っている理由は。


 もちろん女子小学生達の瑞々しい肢体を堪能するため、ではなかった。そんなもの今さら何の興味もない、といえば嘘になる。まるっきり子供の下級生はともかく、同じ年頃の相手の成長具合は気になるところだ。遥か発展途上の身としてはついどうしても己と引き比べ、いや思春期にある仲間としての共感を抱いてしまう。


 しかし今の洋子にとって大事なのは中身ではなかった。下着だ。

 などと口に出せば変態扱いは必定だが、もちろん違う。誰彼見境なく手を出そうというのではない。ターゲットは空のパンツだけだ。

 いやそれも違う。


「あれ、珍しいね」

綾香あやか

 浴場利用時間が終わるまでもう十分を切っていた。このまま誰も来ないだろうと思っていたのだが、洋子の予想は外れた。


「今からなの?」

「私はいつもこのぐらいだよ。退院して寮に戻ってからは」

 洋子の疑問に答える間にも遊佐ゆさはさっさと服を脱いでいく。


「ああ……」

 洋子は咄嗟に顔を逸らしそうになり、だがそれも失礼な気がして目の焦点をずらした。遊佐の左足に残る火傷痕が水に絵の具を垂らしたみたいに視界の中で拡散する。


「入らないの?」

 タオルで前を隠した遊佐が訊いた。

「あたしはもう入ったから」

 なんとなく後ろめたく感じながら答える。それなら何をしているのか、と問われることはなかった。


「そう」

 遊佐は短く相槌を打っただけで浴室へ向かった。その淡白さに洋子はかえって全てを話したいという衝動に駆られる。

 もし遊佐が手を貸してくれたら、きっと心強い。


「あら」

「綾香ちゃん、こんばんはー」

 遊佐の目の前で浴室の戸が開いた。遊佐は一瞬だけ戸惑ったようだったが、相手がそらだと分るとすぐに固さが抜けた。


「こんばんは逢田あいださん、王子様がお待ちかねみたいよ」

 誰が王子様よ、と洋子が突っ込む暇はなかった。空がすぐに否定した。

「違うよ綾香ちゃん、洋子ちゃんは王子様なんかじゃないよ」


「あら、そうなの?」

「うん、だって洋子ちゃんは空のお姫様だもん」

「そう。妬けるわね」

 遊佐は軽口を残して空と入れ違いに浴室に入った。カラカラと扉が閉められる。


「洋子ちゃん?」

「ああ、ごめん」

 洋子は棚の前からどいた。空は脱衣籠からバスタオルを取り出して体を拭き始める。こうして見ると、空はやっぱり、色々と大人だ。太っているわけではないのに体のところどころが丸みを帯びている。とてもきれいだ。触ってみたい。


「洋子ちゃん?」

 ぎくりとする。万引きを見つかったみたいな気分だった。

 だが空は洋子を咎めはしない。むしろ何かを期待するように火照った体をさらして迫る。


「だ、駄目だよ空、あたしだって空のことは嫌いじゃないけど、向こうには綾香だっているんだし、まだ誰か入って来るかもしれないし、だから早く来て、じゃなかった早く服着て!」

「だけどパンツは?」

 その一言で鉈を叩き付けられたみたいに洋子の意識が切り替わる。


「このままでいっか。スカートじゃないから見えないもんね」

 空は素肌に直接パジャマのズボンをはいた。スカートでも平気でノーパンで歩き回っていたくせに何を今さらと思ったが、そんなことは後回しだ。


「ちょっと待って空、あんたパンツは?」

「ないみたい。洋子ちゃんが他の子にあげちゃったの?」

「冗談言わないで。他の子にあげるぐらいならあたしが貰うわよ」


 図らずも本音をだだ洩らしながら洋子は籠の中を探った。棚の奥に顔を突っ込み、空がさっきまで着ていたデニムとシャツを裏返してもパンツはなかった。


「そんな……」

 信じられない。空が服を脱いだ後、棚の前には洋子がずっと立っていたのだ。誰も手を出せたはずがない。それこそ幽霊でもない限り。


「ごめん空、あたし役立たずだ」

 もう絶対に空の下着を盗ませない。そう決意して見張っていたというのに、犯人を捕まえるどころか、みすみす貴重なお宝を奪われてしまった。つくづく自分が情けなくなってくる。

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