第5話 不意打ちで「お前のこと分かってる」感を出すのやめてもらっていいですか。

「はあー、よかったぁぁぁ。」

「気い抜くな馬鹿、これからだよ。」


 会議室を出て、ache達に見送られながらエレベータに乗り込んだあと、扉が閉まるや否や、谷口が盛大に息を吐いた。すると、坂上がすかさず苦い顔をしていた。ただ、その坂上も珍しく声が軽く、滲み出る開放感を隠しきれていなかった。二人の様子に少し噴き出しながら、紗恵子は労った。


「まあまあ、坂上さんも、谷口も、お疲れ様でした。」

「山下もお疲れ。なんとか決まってよかったな。」

「最後の社長の圧すごかったっすね。」

 

 先ほど、acheが坂上と谷口のハートを笑顔で射抜いた後、彼はどこか腹が決まった顔で両隣に意見を求めた。

「俺はこの方向でこの人たちとやりたいんだけど、どう思う?」

「購買意欲の促進と、露出は詰めたいですが…方向性は、悪くないと思います。」

 acheの問いかけに、彼の左隣に座っていた和田というマネージャーがコメントすると、その反対の隣に座っていたハルオもにっこりと笑いながら口を開いた。


「回収できなかったプロモーション費はあんたが出してくれるんでしょ?なら、私が言うことなんてないわ、好きなようにやりなさい。」

 ハルオの言葉に、『そんなリスク背負ってりゃ、怖気付くよ…」と紗恵子は思ったが、acheの顔が揺らぐことはなかった。そして、この言葉が決定打となり、企画のお買い上げが決まった。


 紗恵子には普段見せない顔をしていたハルオと、弱くなったのか強くなったのか分からない元カレ、二人の顔をなんとなく思い返していると、谷口がパンと音を立てて手を合わせてきた。

「まーじで、山下さん入ってくれて良かったです。」

 珍しく、坂上も同意するように頷いた。

「プレゼンもだが、裏情報も助かった。でも、情報源が社長からだとは思ってたかった…。」

「まさか同席されるとは思ってなくて…隠しててすみません。」


 終電間際までデモを聞いた次の日、ランチに出かけようとした頃、紗恵子が入れていたメッセージを見たハルオが電話をくれた。

『あいつのソロは、戦略とかじゃ全然ないわよ。あの馬鹿、急に言い出したから、こっちもてんてこ舞いでねぇ…。』

 そして、文句を言いながらも、色々と教えてくれたのだった。

『詳しい理由は教えてくんないけど、たまにいるのよ、どこに立ってるか急に分からなくなる子が。あいつはそれとの向き合い方がソロだったのかしらね。』

『そう…。」

 珍しく案じるようなハルオの言葉の後、ふふっと電話口でハルオが笑みをこぼす声が聞こえた。

『ソロもいい曲書きそうだし、せいぜい両方稼いでもらうわよ。』

『あれ、さっきまで心配してたよね?』

『はぁ?あんな紗恵子を泣かした男の心配なんてするわけないじゃない。金づる、金づるよ。』

 地声で締めた最後の言葉が、どことなくヴィランの響きを残していて、売れても社長からの扱いだけが変わらない秋に、オリエンの薄さの怒りが少し小さくなった。


 そして、その日のうちに、『裏情報』として、社内の企画メンバーにその話をしたところ、谷口が「じゃあ、撮りたいっすね。迷える天才が、自分の立ってる場所を見つけて、その地面をしっかり蹴ってもっと高く飛ぶところを。」と言ったのが再調整の企画の始まりだ。


「裏情報はあくまで参考で、みんなの頑張りだったともいますけどね…でも、これで、わたし胸を張って高級寿司食べられますよね?」

「ああ、俺からも一番いいネタ奢れって言っとくよ。」

「俺も言っとくんで、お土産も買ってもらってくださいね!」

「あんたの発案だしね、頼んどくわ。」

 むしろリクエストよりちょっと価格は下がるが、別の銀座の店に3人とも連れってもらうように頼んでみよう…そんなことを思いながら、入館証を受付に返した後、二人に声をかけた。


「あ、ちょっとお手洗いに行ってくるんで、先に帰っててください。」

「おう、後で飲みに行こうぜ。」

「帰り道に店探しときますー。」

 二人はひらひらと手を振ってそのまま、エントランスに向かって歩いて行った。


「ふう…」

 暖かくて綺麗なトイレの上に座って、やっと、落ち着いた気がする。

 テレビで見て知っていたつもりだが、実際目にすると、人間ってのは数年でああも変わってしまうものなのかとひどく実感した。身にまとう華も、服もアクセサリーも何も変わっていたし、何よりあんな迷いのある目は見たことがなかった。

 元々が、自信家というわけでもないし、繊細なところだってあったけれど、あの野良猫はもっと気ままな目をして生きていたはずだ。


 首を傾げながらも、用を済ませて個室を出た後、手を洗いながら、鏡に映った顔を見る。そこには化粧直しのおかげでよれずに済んでいた、強めに引いたアイラインと眉毛、濃い口紅で武装した見せかけだけ強くなった女がいた。

「まあ、私だって似たようなもんか。」


 洗った手を拭きつつ、頭も切り替えて、余計なことを考えないように、打ち上げに間に合うように仕事の段取りを頭に並べながら、出口へと向かった。が、その思考はすぐにとっ散らかってしまった。

「帰ったら、引き継ぎ資料作っておくかぁ…って、あ゛ぁ゛ッ!?」


 トイレを出てすぐのところに、acheが立っていたからだ。


「声大きい。」

「いやだって、なんでいるん…ですか??」

「坂上さんって人がトイレ行ってるって教えてくれたから待ってた。」

「坂上あの野郎…ってそうじゃなくて、なんでいるの?」

「さっき喋ってばっかりで喉渇いたでしょ?お茶ご馳走するよ、ほら。」

 手に持っているのは、事務所の備品と思われる、小さいペットボトルのコーヒーとジャスミン茶だった。

「いえ、大丈夫です。」

「まあ、そう言わずに…あ、外のフラペチーノでもいいよ?」

「もっといらん!週刊誌にとられるやろ!」

 秋は、「案外とられないもんだけどね。」と言いながら、じゃあこっちにどうぞ〜と、紗恵子をロビーラウンジの一角に引き摺っていった。


「じゃあ、初めまして?久しぶり?」

 私の好きなジャスミン茶を差し出しながら、秋は笑って確認をするから、紗恵子は受け取りながら、渋々さっきの設定を捨てた。

「…久しぶりです。」

「よかった、さっきは人違いか、記憶喪失なのかなってびっくりしたよ。」

 悪戯っぽく笑う様子は、かつて飼っていた野良猫の表情にもどっていた。秋の話し方に引っ張られるように、紗恵子の口調も再び砕けたものになった。

「帰されるかと思ってたから…名刺交換の時も、そのサングラスしてて表情わかんないけど、ハルちゃんと話してる時とか、嫌そうな顔してたし。みんなが作った企画の説明だけはちゃんとしたくて、焦ったの。」

「それは、びっくりしただけだよ。っていうかあいつがいるのに、紗恵子帰せるわけないじゃん。」

 苦い顔をする秋に、ハルオのあの態度は、紗恵子への気遣いなのではなく、ガチで秋にも向けられているものなんだなと改めて実感して、少しかわいそうに思った。


「それはごめんね…って、それよりさ、あのオリエンはなんだったの?ペラッペラの内容で…売れなかったらあんたが補填するって自覚あんの?」

 言外に「私と暮らしてる時に、内容のないオリエンで愚痴ってる姿何度も見せたよね??」と圧をかけるが秋はどこ吹く風だった。

「…だってめんどくさかった。」

 真顔で言ってのける目の前の男に軽く殺意が湧いてしまった。さっきの同情を返せ。


「…今舌打ちした?」

「してません。大金惜しくないくらい売れたみたいでよかったなって思っただけですー。」

「万が一プロモ費回収できたら海外旅行行こうかな。連れてったげようか?」

「行きません、いっそ売れるな。」

「えぇーひどいなぁ。」


 のれんと相撲を取ってるみたいだ…とため息をつきながら、紗恵子は温くなり始めたジャスミン茶を煽った。

「売れるなは嘘、企画通してくれてありがとう。」

「いい企画ありがとう。」

「調整は元のメンバーも結構やってくれたから、うまくやってくれると思うわ。」

 紗恵子が安心させるように秋に告げると、彼はキョトンとしたような顔をした。


「…え?てことは、紗恵子はチームに入らないの?」

「…NG出すでしょ?」

「何で出すの?」

「何で出ないの…やりづらいでしょう?」

 出ていく前のこと忘れたわけじゃないはずだ…普通の人間なら、あれで仕事しようなんて思えるはずがない。めんどくさめの元カノと仕事なんて絶対しない方がいい。


 なのに目の前の男は、

「紗恵子がいないとだめだよ。」

 今まで出会った人の中で一番綺麗な顔を近づけて、一番好きな声でそんなことをのたまう。


「私がいつまでもその顔に弱いと思うなよ。」

「そうなの?」

 悪びれなくいう秋の頭を押さえて遠ざける。

「…そんな顔しなくても、仕事だしちゃんとやるよ。」

「紗恵子が仕事を大事にするのは知ってるし、安心だよ。」

「あんたもね。精々、いい曲書いてよ。」

 紗恵子の言葉に、押さえつけていた手をどけようとしていた秋はただ微笑んだ。



「山下、遅かったな。」

「acheさんに誘われて行っちゃったのかと思いましたよ。」

「そんなわけないわよ、あ、メガハイボール全員分おかわください!」

「お前、自分のペースに俺らを巻き込むなよ!」

「そうですよ。ていうか山下さん、なんで、提案成功したのに怒ってるんですか?」


 ちなみに、その日は久しぶりによく飲んで、三人とも次の日は二日酔いになっていた。もちろん、一番ひどいのは紗恵子だった。

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