三話③

「君は何しにここに来た?」

「…………」

「こんな夜中に、市女に何の用があった?」

 捕まった俺は、屋敷の敷地にある蔵の一つに連れていかれた。狭く、ほこりだらけで息苦しい蔵のなかで、いつかの日のように尾形秀治は少しも笑顔を見せることなく、俺に向かっていた。

「話したくないか?」

「…………」

「わかった。なら、このことはこちらも警察には言わないでおこう。だから、君も早く家に……」

 こんな場所まで引っ張ってきたはよいものの、俺をどう扱ったらいいのか判断つきかねたのだろう、尾形秀治は早々に話を切りあげ、俺を家に帰そうとする。

「先輩は……」

 ただ、俺にとっては、不測の事態となったものの、絶好の機会だった。尾形秀治が俺を引き留めざるをえないように、問いの言葉を口にする。

「市女先輩はしんらんさまなんですか?」

 俺の問いかけには答えず、尾形秀治は黙って蔵の隅に立つ玉森に目を向けた。玉森は先ほどから一言も言葉を発することなく、顔をうつむけていた。

「仕方がないな……」

 俺と玉森を交互に見た尾形秀治が、あからさまに顔をしかめてみせた。

「それで、君は何が知りたい?」

「……全部。今までのこと全部です」

 率直な言葉に、尾形秀治は一度、唇を強く引き結んだ。

「先輩はやっぱり普通の人間じゃないんですか」

「そもそも、尾形家のことはどこまで知ってる?」

「蛇神憑きの家だって噂されていることは……」

「本当だよ」

 と、尾形秀治がため息をはさんで言った。

「あのたまむかえの祭りも本来ならば、蛇神を我が家に迎えるためのものだった」

「本来ならって、どういう意味です?」

「巫女役の娘に蛇神をおろすことがたまむかえの祭りの意味だ。あんなふうに提灯を飾るだのなんだのは、最近になってはじめた、いわば余技のようなことだよ」

「…………」

「もちろん、いきなり我が家に神がおりてきたわけじゃない。そもそもは山で捕まえてきた蛇を壺のなかに入れて、飼っていたんだ」

 明かされていく尾形家としんらんさまの秘密に、あいづちすらろくに打てなくなる。

「ここまでは憑き物筋の家の話としては、けして珍しいものではない。ただ、我が家の場合はここから違う。もともとそういう血筋だったのか、代を重ねるごとに、蛇の力が強くなっていったのか定かではないが、あるときに、蛇が尾形家の娘と交わった」

「それがたまむかえの儀式のもとになった……」

「あぁ、蛇神をその身に宿した巫女は神の卵を産む」

「…………」

「ただ、禍福はあざなえる縄のごとしだ。その神が強大な力を持たないように封印を施す。そうして、卵のまま生まれないようにするのだ」

 それだからか。尾形家が蛇ではなく、卵を信仰の対象としていたのは、このためだったのだ。

「その卵をしんらんさまと呼んで、我が家では代々まつってきた」

 尾形秀治の話を聞くうちに、いつの間にか日付も変わっていた。日をまたいでも、蔵のなかは蒸し暑く、背中にはじとじとした汗が浮かぶ。けれども今は、汗でべったりと肌から離れないTシャツの感触も気にならない。

「古い人間たちにとって、それは公然の秘密ではあったよ。……昔は憑きもの筋といえば差別の対象にもなったが、先祖たちは手に入れた富を、地域のためにもずいぶん使ったんだ」

「それで、人々の羨望の情やねたみをかわそうとしたってことですか」

 もっと乱暴に言えば、手に入れた金の力で人々の口をふさいだということだ。

「あぁ、それは今もつづいているよ」

 そこまで話を聞いたところで、玉森に目を向ける。

「玉森はどうしてここにいるんだ?」

「…………」

「俺がここに来るって思ってたのか? 俺が電話をかけたから?」

「…………」

 俺の問いかけに、玉森はただ辛そうに顔をゆがめるばかりで、返事をしない。

「この子も本当ならば、しんらんさまを守るためにいるんだよ」

 その代わりのように、尾形秀治が言った。

「守る?」

 言葉とともに、問いかけるように視線を向けてみるも、やはり玉森が答えを返すことはなかった。

「そう。玉森家の人間が代々その役目を担ってきた」

「玉森家? 代々?」

 玉森というその名を繰り返しつぶやいているうちに、あることに気がついた。

「玉森の名前には卵を守る、卵守り(たまもり)の意味がある……?」

「そうだよ」

 ようやく重い口を開いたものの、玉森の言葉はごく短かった。いつもの明るい表情はかき消え、今も苦渋が顔に満ちている。

「あのとき……、方丈のところにいたとき、俺たちを連れだしてくれたのも玉森だったのか」

「そう。もしものときのために、彼女の一族がいる」

 再び黙ってしまったと玉森にかわって、尾形秀治がつづける。

「玉森が剣術の道場をやっているのっていうのは……」

「しんらんさまには敵が多かったからね」

 詳細ははっきりわからないけれど、要するに、玉森の一族はしんらんさまを守ることで、そのおこぼれにあずかっていたということだろう。

「話を戻そう。……前回の儀式の巫女に選ばれたのが私の姉だったんだがね、姉は子どもを妊娠したことを隠して儀式に臨んだんだ」

「それで生まれたのが、市女先輩ってことですか?」

「あぁ……、私たちも驚いたよ。こんなことが起こるなんて伝わっていなかったからね」

「でも、それなら、蛇の神さまが人に自分の子を産ますなんてことだって……」

 ありえないのではないか。つづきの言葉をさえぎるようにして尾形秀治が答える。

「そんなことはない。実際、蛇神と人間の間に子ができる話は多くある。『日本書紀』のなかにオオモノヌシノカミ、正体は蛇の姿をもった神がとある姫と交わる話がのっている。『古事記』でも同じ神が便所で用をたしている最中の女に……」

 そこまでで言葉を止め、尾形秀治はまた別の例を口にした。

「いわゆる異類婚姻譚の類だ。蛇だけでなく、馬が人と交わる話は『遠野物語』で、フィクションではあるが、『南総里見八犬伝』では犬と人間の姫の間に子どもができるのを知っているかい?」

「…………」

「とにかく、蛇神と人間の娘が交わる話はあるが、胎児に神がおりるというようなことは聞いたことはなかった。要は、半人半神の子どもだ。どうしたらいいかわからないなりに、普通の子どものように育てようともしてみたが……」

「できなかったんですか」

「不思議というより、奇妙な子だったよ、あれは。君も経験ないかな? あの子に見つめられると、まるで心を奪われたみたいに動けなくなってしまうことが」

 聞かれれば、その覚えは一度ならず、何度かあった。夏休み前の会議のときのこと、ましろが姿を消してからのこと……。

「性格も普通の子どもとは違った。幼いころは、ほとんど誰とも口をきかなかったし、気がつけば、この家を抜け出て、あの山に通っていた」

「…………」

「こういう言い方も変だが、一度、あれがため池に落ちて死んだことがある」

 それはたまむかえの祭りの夜に聞いたことがあるものだった。

「確かに死んでいたよ。病院で見たときも心臓は止まっていた」

「…………」

「正直、ほっとしたよ。あぁ、自分で勝手に死んでくれたって。これで悩みの種がつきたって」

「でも、生き返ったんですか?」

「そう、葬式の夜だったよ。棺に納めていたあの子がすーっと起きあがったんだ。……会場はとんでもない大騒ぎになったよ」

 そう口にしたとき、ほんのわずかに尾形秀治が笑った。ただ、その苦い笑みもすぐに顔から消えてしまった。

「ただ、それだけならば、まだよかった。まだ害はなかったんだよ。今のように、閉じ込め、封印する必要もなかった」

「…………」

「君は方丈の娘を知っているか? あれが……、そう、あれが市女を狂い神にした」

「狂い神?」

「そう。ひきこもりたちを卵に変えているだなんて、まともじゃないだろう」

 まともじゃない。その言葉がざらりとした感触を俺の耳に残す。

「そもそも我が家は方丈家を……、いや、金光しんらん教の開祖、方丈たまのをひどく嫌っていてね。私の祖父母など、罰当たりだとか本家を冒涜しただのと、彼女をひどく悪しざまにののしっていたよ。今となっては、方丈たまのに本当に蛇神が宿ったのか、それとも単に気がふれただけなのかもわからない」

「…………」

「要は目の上のたんこぶだった。それが消えたんだ。金光しんらん教が解散しても、残された人間の生活費だけは出したけれど、それ以上のことはしなかった。町の連中からも、ずいぶんとひどい目にあわされたようだったが、放っておいて、気にもしなかった」

「そんな……」

「それが災いしたよ。市女もあの葬式の夜からいないもののように扱ってきたから、方丈の娘が近づいたことにも気がつかなかった」

 話を聞きながら、俺は不思議に思っていた。求められたからとはいえ、尾形秀治はどうしてここまであけすけに秘密を話すのだろう。話の内容は真実ではないのか。それとも、何か魂胆があるのか……。

「君、浅宮くんっていったか……」

 俺の内心の疑問に気づいたのか、尾形秀治は品定めするような視線をはわせてきた。

「君はあれのお気に入りのようだ。実際、何度も君の元にあの姿で現れ、ひきこもりではない君も卵にしようとした。安珍清姫でもあるまいに、ずいぶんと君に執着している」

「…………」

「そんな君に頼みたいことがある」

 ぐっと顔を近づけ、尾形秀治が声をひそめてつづけた。

「あれを……、市女を殺してくれないか」

「なっ……!」

 その言葉に驚いたのは俺だけではなかった。見れば、玉森も目を見開いている。

「あれはもうおかしくなっているんだ。方丈の娘も、君の妹もあれのせいで卵にされたんだろう」

 その二人だけではない。安藤の姉、そして、失踪したというひきこもりたちの何人かも先輩の手にかかって、卵にされているかもしれない。

「このままあれを放っておいていいと思うか? 今はひきこもりだけかもしれないが、いずれは、その手がそれ以外の人間にも及ぶかもしれない」

 俺の気持ちを揺さぶるように、尾形秀治は言葉をつづけていき、

「それに市女を殺せば……、君の妹も元の姿に戻るかもしれない」

 そうして、とうとうとどめの言葉を俺にぶつけた。

「そんなことが……」

「ああなったのは神の力のようなものだ。ならば、元を正せば、それも解けるかもしれない」

 確かに、そうかもしれない。力の元となる存在が消えれば、その影響が消えるというのは、一つの道理だ。

「決心がつかないか? いや……、それも当然か」

 理解を見せるような言葉を口にしたあと、

「君に、市女の正体を見せよう」

 蔵の外を出て、雅卵堂の前へと連れてこられた。

「ほら……」

 と、尾形秀治に促されるままに、鉄扉の間に顔を近づける。

 雅卵堂のなかにともっているのは電気ではなく、ろうそくの炎だった。いくつもの卵型の燭台にろうそくが立てられているものの、一つ一つの光は弱く、なかなか目が慣れない。

 それでも、そのまま目を細めていると、ようやっと視界が立ちあらわれ、耳にも人の声が通りはじめる。

「うぅ……!」

 雅卵堂にいる市女先輩が大きく足を開いて、うめきの声をあげていた。

 何をするのか、傍らにいる尾形秀治に問わずともわかった。

 先輩は卵を産もうとしているのだ。

 産まれる卵のなかに入っているのは、方丈だろう。

 先輩はいつものように制服を身につけているものの、下着は履いていない。広げられた長い脚の間で、性器があらわになっていた。

「う……、あっ!」

 俺にのぞかれていることに気づくことなく、先輩はいきんだ声をあげつづける。

 ――ましろも、こんなふうに卵になったのか。

 無意識のうちに、首下げの巾着袋を手の内に包んでいた。

 固唾をのんで、その姿を見守っているうちに、だんだんと先輩の息づかいが荒くなってきた。まるでそれ自体が生きているかのように、膣口が大きく広がっていき、とうとう先輩は一つの卵を産んだ。

「ふふ……」

 産まれたばかりで、ぬらぬらと光る卵を、先輩は愛おしげに胸に抱く。その顔は満たされた、幸せそうな笑顔でいっぱいになっていた。

 あぁ、これがたまごもりだ。

 あの卵のなかに、方丈がいる。

 あのなかで、方丈は永遠に閉じこもっているつもりなのだ。卵になった方丈は、決してあの殻から出ることはないだろう。

 殻の外へと産まれることも、もちろん成長することも、誰からも傷つけられることもなく、卵のまま、先輩の腕のなかで抱かれることを方丈は選んだのだ。

 本人の口から直接に聞いたわけではないけれど、方丈もかなりひどいいじめを受けてきたらしい。それから、方丈がどのような生活を送ってきたかを、本人から直接聞くすべはない。

 けれども、なんとなくその想像はつく。きっとそれは楽しいだとか、幸せだったとはいえないものだったろう。

 生きることの苦しから逃れるために、白頭巾を被り、部屋にこもって一日中、ゲームばかりしていた方丈……。

 今、俺の目の前で起こっていることは、そんな方丈が作り出した救いの形なのだ。

 同じことをましろも望んだのだろうか。ほかのひきこもりたちもそうなのか? 

 でも、これは本当に救いなのか? 部屋にひきこもりつづけることと、何が違うんだ……。

「浅宮くん」

 肩に触れられた瞬間、我に返った。尾形秀治がすぐそばにいることを、すっかり忘れてしまっていた。

「無理な頼みをしているのは、私もわかっているよ」

 俺の耳元で、尾形秀治がささやきをつづける。

「だから、考える時間も必要だろう」

「…………」

「何度も言うけれど、君は妹を元の姿に戻したくはないのか?」

「それは……」

「君の答えを待っているよ」

 短く言い残し、尾形秀治は去っていった。

「どうしたらいい……?」

 一人になった俺は、俺は卵となったましろを手につぶやいた、自問した答えは出てくることはなく、雅卵堂の前で、俺はいつまでもつっ立っていた。

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