二話⑮

 大泣きした疲れからか、いつの間にか眠っていた。

 さっきまでの出来事は……、夢ではなかった。手のなかに、卵となってしまったましろの感触が、そのことを俺に伝える。

 それにしても、今、何時だろう。こうして目覚めた今も、どれくらい時間が過ぎたのか、もともと薄暗い部屋だからわからなかった。

「…………」

 隣の部屋から、強い雨音に混じって話し声が聞こえる。方丈と、聞き覚えのある誰かの声。知っているはずなのに、頭がぼんやりして、すぐには思い出せない。

 起き抜けの意識からだんだんともやがはれていくけれども、ひどくだるくて、体が動ききらない。首だけで、隣室の様子をうかがうと、

「……!」

 そこには方丈としんらんさまがいた。頭巾を脱ぎ、薄く微笑む方丈を、しんらんさまがやさしく抱きしめている。

 これまでで、一番明るく、また近い場所でしんらんさまの姿を見ていると、全身に戦慄が走った。

 その姿に見覚えがある。

 その直感にますます体が硬くなってしまうなか、方丈がいつも身に着けていた制服を脱ぎはじめた。制服のスカーフをするすると抜き取り、チャックを外して、スカートを腰から外す。

 俺がいることを少しも気にすることがないのか、下着も脱ぎさり、方丈はしんらんさまの前で裸となる。

 ろく日を浴びていないためにか、紙のように白く、やせてあばらが浮き出た姿の方丈は、安心しきった、まるで眠る赤ん坊のような顔で、しんらんさまを抱きしめ、しんらんさまもそんな方丈をやさしく、あやすようになでつづける。

 そうしていると、ふいに、しんらんさまが天井に顔を向けた。

 そして、あの夜のように、大きく、それこそあごが壊れるのではないかと思うほど、しんらんさまが大きく口を開けた。

 ――なんなんだ、これ……。

 それから、目の前で起こったことをごく単純に表現するなら、方丈がしんらんさまに食われていた。

 ありえないほどに大きく開いた口に、方丈は抵抗をすることもなく、ただただ飲み込まれていく。

 んぐ、ぐ、んぐぐ……。

 方丈を飲み込む音が薄暗い部屋に響く。

 蛇は自分より大きな相手を飲み込むこともあるというのだから、しんらんさまが方丈の体を丸のみするのも不可能ではないかもしれない。

 けれど、それはあまりにも現実離れした光景だった。

 これは単なる食事なのか、それとも別の何かなのか。

 異様としかいえない光景に、逃げ出せという頭からの指示を拒否して、体は動かない。

 何もできず、あぜんとする間に、方丈の体はもう半分ほど飲み込まれていた。

 そこまでいけば、あとはあっという間だった。

 しんらんさまが方丈の体を抱えるようにして持ちあげ、一気に飲み下していく。足の指が見えなくなってしまったとき、ごくりという喉音が俺の耳に聞こえた気がした。

「……ふふっ」

 方丈を飲み込んだしんらんさまは、妊婦のようにでっぷりと膨らんだ腹を愛おしげになでている。

 ――これがたまごもりなのか。

 このあと、方丈は卵になって、しんらんさまから産まれるのか……。

 床に寝たまま、立ちあがれないでいる俺の元に、蛇の下半身をくねらせ、しんらんさまがするすると近づいてきた。

「開くん」

 暗がりのなか、髪の毛がざんばらに顔にかかり、はっきりとは見えないけれど、しんらんさまが誰かはもうわかっていた。

「……ん」

 しんらんさまが俺に手を伸ばし、体を起こす。そして、俺に顔を近づけ、味わうかのように唇を重ねてきた。

「ふふ……」

 口を離すと、今度は胸の間に、俺の顔をうずめる。すると、温めた牛乳のような香りが鼻腔に入り込み、再び頭にもやがかかっていく。

 しんらんさまは俺を抱きしめ、洞穴のなかでのように、頭や背中を柔らかい手でなでてくれる。気持ちはぼんやりを通り越し、再び眠気さえ覚えてしまう。

 手足の先からも力が抜けていき、方丈や、あの夜のましろがそうしたように、俺もしんらんさまにすっかり体を預けてしまう。

 俺も方丈やましろと同じように、卵になってしまうのか。

 それは……、いや、もう、このまま……。

 それから、どれくらい経ったときにか、しんらんさまが俺から体を引き離した。

 なんで、どうしてという切ない気持ちで胸がいっぱいになったまま、しんらんさまの姿を見つめていると、がば、と音がするほどにその口が開かれた。

「……うわぁ!」

 目にした口内の赤さに、我に返った。

 そのまま力いっぱいしんらんさま……、いや、異形の姿となった市女先輩の体を突き飛ばす。その隙に、卵となってしまったましろを手にし、部屋から逃げ出す。

 廊下に出た瞬間、横殴りの雨風が顔にぶつかった。雨の勢いで、少し先も見えないなかを、酔っぱらいのようにもつれた足で進んでいく。

 しんらんさまの正体は市女先輩だった。

 思えば、初めて家に現れたときからそうだった。

 しんらんさまは俺の名前を呼んでいた。

 間違った思い込みなどのせいで、今の今まで気づかなかった。俺のことを名前で呼ぶのは、身内以外では市女先輩しかいない。

「ましろ……」

 降りしきる雨のなか、口からひぃひぃと妙な声がもれる。

 卵になってしまったましろを手に、ずぶぬれになりながら、俺は歩きつづけた。

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