たまごもりの夜

たかだ

幕前①

「世界は卵から生まれたって知ってる?」

 真夜中の散歩中のことだった。

 深夜の二時、私たち以外誰の姿も見えない田舎道、隣を歩く彼女がだしぬけにそんなことを言った。冗談なのか本気なのかわからない言葉に、どう答えたらいいのかわからず、問いを宙に浮かせてしまう。

「卵生(らんせい)神話っていってね、世界だけじゃなくて、神さまも動物も人間だって卵から生まれたっていう話があるの」

「へぇ……」

 でも、それが何だっていうのだろう。そんな私の戸惑いを確かめるように、彼女は小さくうなずいてみせた。

「例えばヘレネーって知ってる? 絶世の美女なんて言われる人だけど、ギリシア神話に出てくるゼウスとレダの間にできた卵から生まれたの」

 その表情と同じく、感情の起伏を感じられないぼそぼそ声で、彼女は話しをつづけていく。

「白鳥になったゼウスがね、レダっていう女の人とあれをしちゃって、子どもができるの。その一人がヘレネ―」

「めちゃくちゃな話……」

「ほんとに。でも、あれもさ……」

 そう口にしながら、彼女は空を指さした。

「ふたご座の神さまも同じ兄弟姉妹の卵から生まれたんだよ」

 空に浮かぶ星のどれがふたご座か知らないけれど、話の腰を折りたくもなくて、黙ってうなずいてみる。

「ヨーロッパだけじゃなくて、アジアでも高句麗……、昔の韓国だよ、そこでも王さまが卵から生まれたっていうお話があるし」

 昔の人たちはずいぶんと想像力がたくましかったらしい。けれども、その話を聞く私は現代人だ。

「そんなこと……」

 言いかける口が止まった。あるわけないのに、というつづきの言葉が出なかった。

 考えてみれば、確かに卵は不思議の塊だ。

 一口に卵と言っても、鳥の卵に魚の卵、虫の卵に蛇やトカゲといったは虫類の卵と色々あるけれど、どうしてあの丸いものなかから、まったく別の形をした生き物が現れるのだろう。

 今の時代ならネットで調べて、孵化の仕組みだってすぐわかる。けれども、その不思議さを思えば、世界が卵から生まれたという昔の人の想像も、それほどおかしなことではないかもしれない。

 歩きながら、頭のなかに卵の姿を思い浮かべてみる。

 どろりとした色の濃い黄身と、透明でねとねとした白身。その二つを包む殻は力を込めて握れば、すぐにでも壊れてしまうくらいにもろくもある……。

「でも、どうして生まれちゃうんだろう?」

 その言葉に足が止まった。はじかれたように顔をあげた私を、薄い笑いで彼女が見つめ返した。

「卵って命だとか生命の象徴みたいに言うでしょ」

「うん……」

「でも、私はそれだけとは思わない」

「…………」

「ずっと殻のなかにいて、卵のまま生まれないほうがよかったものだってあるよね」

 問いかけに、私は答えることができなかった。

 そう、確かにそうかもしれない。この世界には生まれないまま、自分の殻のなかでこもりつづけたほうがいいものだってあるかもしれない。

 ――ひきこもりの私みたいにか……。

 皮肉な笑いを顔に浮かべることも、返事をすることもできず、私は空を見あげた。

 肌に痛みを覚えるような凍てついた空気、散り散りに浮かぶ星たちの間に、白く輝く月が浮かぶ。その輪から放たれる光が、はっきりとした線をもって冷たい夜に伸びていた。

 そんな冴え冴えとした月明かりの下、私たちは黙って、また歩き出した。

 深夜の二時、二人の足音以外に何も聞こえない田舎道。夜の暗闇にほとんど溶けてしまったかのように、道の先は見通せない。

 ひどく寒い日に特有の、わぁんと耳鳴りがするような静けさに、白い吐息が二つ、浮かんでは消えていく……。

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