第7話 デートそして

 東八道路を東に走り、人見街道を経て井の頭通りへ。ちょっとした渋滞はあったが順調に走った。京王線の下を潜ると彼女のアパートはすぐそこだ。慶菜の実家は八王子市南部の地主で、大学に通うにはいささか遠いという理由を盾に一人暮らしをさせて貰っていると聞いた。

 年頃の娘を持つ親は、心配で実家に置いておきたがるが、娘本人は年頃だからこそ実家を出たいものだ。異性との交際に口を出されるのが嫌だからに決まっている。

 ふと、加古は、同じ車が後ろをずっと走っていると感じた。確か車種も車体の色も同じだ。『尾行されているのか?』あまりいい予感はしなかった。慶菜のアパート近くだが、まだ時間に余裕がある。わざと路地に入り迷走して目的地を特定させず、かつ繰り返し早く角を曲って、尾行を振りほどいた。10時20分、あと10分あれば十分着く場所にいる。

 加古は慎重に後方確認をしながら、車を彼女のアパートへと走らせた。また尾行されては意味がない。わざと一度南側へ行ってから右、右と曲がるようにアパート前に着いた。怪しい車はいない。

 慶菜に電話する。

「おはよう。いま前に着いたよ」

「あ、おはようというかこんにちは?」と笑い、

「ちょっとだけ待ってね」と言う。

「うん。いいよ」

加古は服装や髪型を再確認し「よし」と独り言ちた。

 3分ほどで彼女が出てきた。

加古は服装を見てびっくりした。上はかなり胸元が開いた白キャミソール、下はネイビーブルーの超マイクロタイトミニ。同色のスエードブーツを履いている。顔や佇まいが清楚だから下品ではないが、大学では見たこともない露出度だ。隣に座られただけで興奮しそうで、彼女が乗ってくるまでに胸の動悸を抑え込んだ。助手席に座った慶菜は、すでにスカートの中がほの見えた。すべすべの太腿の奥に白いレースが。

「なに見てるの?」彼女は悪戯っぽく微笑む。

「いや、いつもとは違う服だから。でも似合うね」やっと言う。

「だってこれ、デート用だもの。普段こんなの着て電車乗れないし」

 メイクも多少濃い目だ。付け睫毛ではないものの、しっかりビューラーで上げてマスカラは青。眼の下にはラメを散らしている。きょうはミドルヘアを後ろに纏めて、知的な額を出していた。いかにも大人の女という感じだ。

「湘南方面に行こうと思うけどいい」と加古は訊く。

「いいわね。海見たくない?」

「そう思ってた。じゃあ走るよ」

 加古はそう言って、エンジンをかけた。周囲を見たが、通行人が一人いるだけだ。尾行されたかも知れないのは慶菜には言わないでおこうと思った。余計な心配はさせたくない。

「これ、なんて言う車?カッコいい」

「フェアレディZ。初めて乗るけど、まあまあだね」と微笑む。

「ドライブなんて、大学に入ってから初めて。嬉しいなあ」と声が弾んだ。

「そうなの?でも湘南は結構行ったでしょ、東京の人だから」

「うん。でもいつも夏に電車で泳ぎに行っただけ。車で、しかも人の少ない海は新鮮だわ」嬉しそうに言う。

「そうなんだ。僕は初めての湘南だよ」と苦笑した。

 遠回りだが早めに海沿いに出て、左に海を見ながら西へと走る。慶菜は半分窓を開けて、

「わあ、潮風の匂いする」とはしゃいだ。キャミソールの胸元がひらひらして谷間が強調されている。加古は運転に集中するのに大変だ。チューブトップだけの胸が見えるからだ。

「ねえねえ、いまどの辺?」慶菜は無邪気だ。

「いま由比ヶ浜を過ぎたところ。遠くに葉山マリーナ見えない?」と下調べの知識で言う。

「あ、ホント。遠いけどボートがたくさん見える」

 信号が少ないので快調に飛ばした。ここでは60キロくらいが普通の流れだ。厳密にはスピードオーバーだが、警察もうるさくはないと思える。徐々に渋滞してきたが、稲村ケ崎、七里ヶ浜を経て、12時過ぎに江ノ島に着いた。神社に行くか、食事が先か。

「時間的にはお昼だけど、どうする?」

「まだお腹すいてないわ。きょうは朝ごはん遅かったから」

「じゃあ先に神社にお参りしようか」加古は少し腹が減っていたが、それは我慢した。

「ええ、そうね」

調べて置いたパーキングに車を停めて、二人は外へ出た。そのとき慶菜が

「なにこれ」と言う。座席の下から拾ったのは、透明プラスチックの、なにかのキャップだ。にゃあこが落としていったのか。『マズい』と思ったが、

「なんだろね。借りたときに、前の人が落としたのを気付かなかったんだね」としらばくれる。幸い、慶菜は気にしなかったので、加古は内心ほっとした。ドキリとした自分に、言えない罪の意識が芽生えたが、あえて、浮気というほどではないと考える。

 江ノ島に歩いて渡る。日曜日だけに、かなりの人出だ。

「ねえ、後ろ歩いて」

「どうして?」

「これ、後ろからすぐ見えちゃうの」とスカートの裾を気にしている。

慶菜の後ろに回るとわかった。スカートが少しでもずり上がると、尻チラしてしまうようだ。もう太腿ではない部位が少し見えていた。神社には、有料のエスカーというエスカレーターもあるのだが、慶菜はローヒールだし歩けると言うので、長い階段を上ることにした。 

 階段では、後ろからお尻どころかレースのTバックすら見える。加古は平静心を保つのが難しい。お参りをする前に人気のない場所に誘い、そっとキスだけさせて貰った。

「わたしもHな気分になっちゃう」と慶菜は眼を潤ませた。甘い体臭が漂う。

「ごめん。だって…」

「際ど過ぎる服だったわね」とすまなそうにする。

「いや、素敵だよ、とても」本心だ。すべての人に自慢したいくらいセクシーだと思った。

 二人で並んで参拝する。加古はいつも無心になる。何も具体的に願わない。ただよろしくお願いしますと祈る。慶菜は前かがみになれないので真っすぐ立ったまま拝んでいた。それでも若い男の目はかなり惹いている。本人ではない加古ですら、彼女に視線が集まるのがわかった。縁結びのお守りを二人、色違いで買う。加古が江ノ島を選んだのは縁結びの神社だからでもあった。

 神殿から折り返すとき、擦れ違った男の三人組が、小声で

「凄いね」「見えそう」「ヤバい」と囁き合っているのが聞こえた。

慶菜は露出に慣れてきたのか、スカートの裾を気にせず、姿勢よく歩いている。階段を降りるとずり上がりを直しながら、

「わたし、露出服好き過ぎかも」と恥ずかしそうに俯く。

「そんなことない。似合ってるよ。きょうはデートだから、なんでしょ」と笑うと、

「そうよね。若いうちしかできない服装したいんだもん」顔を上げて微笑む。


 お目当てのレストランに慶菜をいざなうと、空席待ちの行列ができていた。加古は念のため予約していたので、入口で名前を言うとすぐに窓際の予約席に導かれた。やっぱり予約していてよかった、と加古は喜んだ。席からは海が一望できて最高の眺めである。

 加古が1品、慶菜が1品を選び、サラダときょうのお勧めを聞いてそれも注文した。ここはもちろんカードで決済できる。

 海藻系のサラダが来て、二人でシェアした。すでに塩味がついていますと言われ、確かにそのままでとても美味しい。慶菜も一口食べて、

「凄く美味しいサラダ!こんなの食べたことない」とニコニコしている。まあ値段が安いものではないので当たり前ではある。女性に見せるメニューには値段が記載されていないから、彼女はそこそこの高級店とは知らない。慶菜が頼んだマリネ風の小海老料理と、加古が注文したシーフードパスタが来た。テーブルに小皿があり、これもシェアして食べる。

「美味しい」「美味しいね」のやりとりが続いた。

「よくこんなお店」と慶菜。

「いまはネットで探せるからね」

「でもこんないい席、予約で取ってくれたの嬉しい」満面の笑みだ。

「そう言ってくれると僕も嬉しい」加古も破顔した。

お勧めのアヒージョも来た。海老とマッシュルームがよく合っている。

「なんか飲む?」

「わたしだけアルコール飲めないからレモンティーで」

「わかった、ありがとう」と言って店員を呼び、自分はアイスコーヒーを頼んだ。

 彼女が化粧を直しに立った間に、加古は会計を済ませた。ランチで六千円超だから身の丈以上の店ではあるが、改めて初めてのデートだからと背伸びしたのだ。その代わり、夕食は自分の部屋で簡単に、と思っていた。

 慶菜は赤い口紅の上にグロスも乗せてきた。いよいよデートモードというわけか。パーキングに歩きながら、

「道が混んでなかったら鎌倉もちょっと行こうよ」と言うと、

「うん、鶴ヶ丘八幡宮と、できたら由比ヶ浜も」

「わかった。夕方の由比ヶ浜に行きたい?」

「え?知らないの?超デートスポットよ」

「そうなんだ。日没ギリギリになりそうだけどね」

「それがいいの。ダーってカップルが並んでいちゃいちゃするんだから」そう含み笑いする。

少し道が混んでいたが、15時半に鶴ヶ丘八幡宮に着いた。

「じつはね、高島の先祖はこの辺りの出身なのよ」

「へえ。でも東京人なんでしょ?」

「遠い先祖は銀座生まれだけど、いま分家の本家があるのは鎌倉市。明治にはそこの分家が東京に戻って、ウチはその末裔なの」

「じゃあ、こっちのほうのデートでよかったんだ」

「そう、あなた、高島家のこと知ってるのかと思ったくらい」

「そんなこと、調べられるわけないでしょ」と二人で笑い転げた。

「高島易断って知ってる?」と慶菜。

「聞いたことはある」

「その高島は親戚なの。横浜では恩人扱いらしいわ」

「凄いね」ちょっと驚いた。

「わたしには直接なにも関係ないけどね」と彼女はまた笑う。

 もう参道も終わりで本殿が目の前だ。きょうは神社巡りか。悪くはないなと加古は思う。きょう二度目のお賽銭を投げ、また無心になる。隣に露出服の彼女がいるのも脳裏から消す。この集中力は剣道のお陰だ。雑念を消さねば、すぐ相手の竹刀が飛んでくる。隙を作ったほうが負ける勝負なのだ。

八幡宮を出るときには夕日が眩しい時間帯で、由比ヶ浜に着いたのは薄暮だった。ずらっと路駐の車。加古もその隙間にフェアレディを入れて停めた。浜辺に自然に手を繋いで降りると、慶菜が言った通り、カップルばかりが皆腰を下ろして肩を寄せ合っている。

「ね?わたしたちも並んで座りましょ」彼女の声が踊る。

お互いの顔も段々見えにくくなっていた。少しの隙間を見つけて二人で砂浜に座る。昼間なら、慶菜の服装で体育座りは前から丸見えだが、誰も振り返らず日没も近い。

 加古は故郷の波の音を思い出していた。子供の頃は飽きずに聞いていた音だ。

 左の耳元で慶菜の囁きが聞こえる。普段よりもっとハスキーな声だ。

「ちょっとハグして」

「うん」と体を左に向けて、手探りで彼女の肩を抱く。

口に柔らかいものが当たった。彼女の唇だ。自分から舌を入れてきた。何分にも思える間、激しくキスをした。つい太腿に手を伸ばすと、

「ダメ。もう、触られたら帰るまで我慢できなくなるから」

「ごめん。もう少しキスしたい」

彼女は無言で加古の唇を口で吸う。もう舌は入れてこない。興奮し過ぎないようにか。しばらくすると慶菜は唇を離し、

「ちょっと待ってね」と言って、ほぼ暗闇でポーチを探る。ティッシュが唇に当たる。

「口紅が付いてるはずだから」と丁寧に拭ってくれた。自分の口も拭いている。

 しばらく海や景色の話をして砂浜から立ち上がると二人は砂を払った。

「お尻に砂ついちゃった」肌を叩く音がして、

「えへへ」と照れ笑いする。

「挑発するなよ」と加古はわざと怒った口調で言うと、

「ごめん、だってホントだもん」と甘える。

手を繋ぎ直して無言で車に戻った。

「ちょっと向こう見てて」と慶菜。そっぽを向くと服を直す衣擦れがして、

「いいわよ」と言う。

「スカートとか下着とかいろいろ大変」普通の話し方だ。

「ほら、細かい砂とか、下着もずれちゃって」お嬢様育ちにありがちな、ありのままを言う。

「ウチでシャワー浴びるときに風呂場で砂落としていいよ。服に付いたのも」

「うん。ちょっとルームライト点けて」

ミラーと口紅を出すと塗り直している。またグロスを乗せた。昼間は気付かなかったが、少しラメが入っている。それがキラリと光って、よりセクシーな雰囲気になる。メイクも簡単に整えた。加古のアパートまで着いたときには、もう20時前だった。慶菜は疲れたのか居眠りをしている。『女の子にしては、きょうはずいぶん歩いたからな』と思い、優しく

「着いたよ」と揺すって起こした。

「あ、ごめん、寝てた」

「僕の部屋に行って、きみがシャワー浴びたりしている間に車を返して来るから」

「うん。ご飯はどうするの?」

「飯はタイマーで炊けている。あとは悪いけど買ってあるコンビニ総菜でいいかな」

「全然いいわよ」と欠伸をする。

加古は助手席側に行ってドアを開けて手を貸す。

「疲れたでしょ」

「大丈夫。よ、る、は、よ、る」と区切る癖が出た。

 106号の加古の部屋に入り、シャワーの使い方を教える。室内はできる限り片付けておいた。

「10分程度で帰ると思う。鍵かけて行くから部屋からは出ないでね」

「わかった~」と風呂場のほうから反響した声で返事がした。

 加古も運転疲れが出ていたが、「よ、る、は、よ、る」だ。車を返し、レンタカー代金もカードで払う。2万円以上の支払いだ。『バイトもちゃんとしなきゃ』と思った。ちょうど春休み限定の熟講師の目星は付いていた。早く決めないと他人に持って行かれる。自分の自転車でアパートに戻ると、慶菜はもう服を着て待っていた。纏めていた髪は解いている。

「パンツ脱いで洗ったの、干していい?」

「ああ、脱衣場に干せるよ」

そう答えると、慶菜はポーチを持って立った。戻ってくると

「恥ずかしいからあんまり見ないでよ」と言う。

「うん」とは返事したものの、シャワーのときに嫌でも目に入る。が、言わなかった。

「だからいまノーパン」

「夕飯の前に犯すぞ」と冗談で言うと、

「うそうそ。替えの下着穿いてるわよ。でも服着たままはいいかも」と意外な反応。

「いまはスカートの中、見えないように気を付けてくれよ」

「はい」わりと素直に答えるところに品がある。

 21時過ぎに夕飯を終えた加古は、シャワーを浴びた。慶菜はベッドを椅子代わりにテレビを見ている。レースのTバックが干してあったが気にしない。いや見ると眼の毒だから。

潮風に当たって全身がベトついている。髪を洗うと時間がかかるので、顔と体を念入りに洗った。そういえば慶菜はメイクを落としていない。一昨日も始めはそうだったな、と気付いた。できればすっぴんでしたくはない女心だろう。彼女はノーメイクでも十分美しかったが。

 部屋に戻ると、

「スマホ鳴ってたわよ」と言う。

スマホを見ると岩田からの着信だった。折り返すとすぐ出た。

「加古です。電話頂きましたよね」

「ああ、いまちょっといいかな」返事を待たず岩田は続けた。

「その後、身の危険はないか。何かあってからでは遅い。じつは、ウチの車両が不審車を追跡中、故意に追突されたんだ。覆面と知っててやったようで。しかも逃げられた」

「アズキ色のワゴンですか?」

「なぜわかる!」電話の向こうで岩田が声を荒げた。

 慶菜にあまり聞かせたくないと思い、加古はキッチンへと立った。

「きょうデートだったので車を借りたんですけど、迎えに行く途中で尾行されてるかもと思った車がそれだからです。その車はうまく巻きましたが」

「そうか。ナンバーまでは見てないよな」

「品川ナンバーなのはわかりましたけど。ミラーで見て」

「そこまでわかればウチの車載カメラとの照合で捕まえられる」

「僕はどうすれば?」

「身辺に十分注意して。彼女も含めてだ。できればきみと彼女の関係も知られないほうがいい」

「わかりました。何かあったら必ず連絡します」と電話を終えた。

 部屋に戻ると、慶菜が心配そうに、

「何かあったの?自転車のブレーキ?」と問いかける。

今後のこともあると思い、加古は、あった事実を全部話した。

「だから、きみも僕の彼女と知られると何があるかわからないから気を付けよう。ここを出るのも見られないように。次から待ち合わせは大学とかで。演劇部の稽古に通うときも注意してね」

そこまで一気に言うと、もう隠し事はにゃあこ関係のことだけ。ある意味肩の荷が下りた。23時頃まで事件の話をして、さすがに「アイグレー」は極秘と思ったので言わなかったが、慶菜は、高校のクラスメイトだった多和田茜と矢野元教授の話をした。何がどうとは言えないが、怪しいなとは感じた。英文科。ただし相手は矢野。大学のラウンジ。キャビンアテンダントの話が本当だとしても、心に引っ掛かるものがある。覚えておこうと思った。

 日付が変わる前にテレビを消し、部屋を暗めにした。LEDなので、10段階に調節できる。ラブホでも明るいままだったから、今更見えてどうのということはない。

「ねえ、ちょっと襲うみたいにして」と彼女は真顔で言う。

「そういうの好き?」

「好きじゃないと思うけど体験はしてみたい。本当のは絶対嫌だけど」

 加古はいきなり慶菜をベッドに押し倒し、スカートをずり上げて太腿の奥に手をやった。替えた下着がすでに潤い始めている。加古は急いでスウェットの下を脱ぐと、紐Tバックをずらして、一気に奥まで入れた。昼間から焦らされていたので、加古は凄く興奮していた。慶菜は一瞬大きく叫んだが、痛くはないらしく、すぐにシーツに染みるほど濡れる。生で入れたので、あわてて途中でゴムを付けた。1回目の慶菜は着衣のまま終わった。2回目は裸同士で。そして二人でシャワーを浴び直し、慶菜はメイクを落とした。加古も顔に付いた彼女の化粧品を洗い流す。汗で頭が痒いので、シャンプーもした。

もう、壁が薄いので隣に聞こえてると思ったが、106号は端なので、105室の独身女性に聞かれるだけならいいやと割り切った。結局あと2回して、さすがに二人共疲れて寝た。裸のまま毛布の中で抱き合って、加古の手枕で彼女は眠った。


 桜が満開に近い。花見の本格的な季節到来だ。その月曜日の朝、岩田は野津のベッドの脇に座っていた。

「女かどうか、ですか」野津は怪訝な顔をする。

「いま話したように、女性の集団が暗躍してる可能性がある」

「そう言えば」と野津は記憶を探る。

「屈んでいたとしても、わたしより小柄だったでしょうね、かなり」

 監視カメラ映像の分析で、パーカーのフードに隠れて顔は分からないが身長160センチ前後と判別できている。

「だとしたらノリベンも女にやられたかも知れん」

「ですね。ただ、そうまでして警告を出す意図は?」

「それなんだよな」と岩田は思案顔になる。

 アイグレーの話を黒猫にゃあこから聞いた岩田は、野津とも情報共有して、一連の事件を女性犯行の線も洗い始めていた。色川のところに行った四人からも事情は聞いた。ジムの女性更衣室マイクからの手掛かりがあるだろうか。警察が費用を負担して、すべての隠しマイクの録音を一日単位で保存できるようにさせた。野津を襲った凶器は果物ナイフのような物ではということだ。まだ発見されないのは犯人が持ち去ったせいであろう。

「ゆっくりなら、もう動いても大丈夫だそうです」と野津。

「嘘言うな。2日で治る刺し傷があるか」岩田はたしなめた。

「でも、のんびりしていても気持ちが…」

「それはわかるが、お前も生身だ。奥さんだっているんだし」

 そこへ、席を立っていた史代が戻ってきた。

「ああ、おはようございます。野津も大分痛みがなくなったようです」

「でも奥さん。動いていいなんて言われてませんよね」岩田は同意を求める。

「ええ、この人、気が急いていて、抜糸が待てないとか言いますけど」史代も困った様子で、

「せめてお医者様の許可が出るまでは、落ち着いて欲しいです。岩田さんと電話でちょっと話すだけでは、推理もできなくてイライラしてるんですよ」

「まあ、なるべく毎日来るようにするから。何か気付いたら電話してくれていいから」

そうとりなし、岩田は史代に挨拶をして病室を出た。

 警察車両に当て逃げをした車は特定できている。間もなく逮捕したら、その犯人から裏を探りたい。岩田はそう思って署に戻ると、

「ああ、岩田さん、ちょっと」と若い刑事が待ちかねたように話しかけてきた。

「犯行に使った車は盗難車で、発見したのですが一切の痕跡がありません」

「下足痕ですら?」

「はい。何かを敷いて乗り、逃げるときに持ち去ったのではと」

「念入りに仕組んだ犯行か。こっちの動きもある程度知られている。不審車も犯人側の一味の可能性が高いな」

 そこへ科捜研の水野が来て、

「一応、車の床を拭き取って採取したところ、微量なんですがモルヒネを検出しまして、梶谷宅から押収したのもモルヒネで、この2つの成分はまったく同一です」

「なんだって!」岩田は驚いた。

「ただ、梶谷宅のモルヒネは、外箱に何人かの指紋があるだけで、中には一切指紋がないんです。梶谷さんは、入手したけど手を付けずに置いていたのでは、と」

「にしても入手先が知りたい。殺人事件の犯行との関連性も視野に入れているからな」

「麻薬捜査官にも報告して、調べている最中です」

「その結果待ちだな」と岩田は言い、自分のデスクでお茶を飲みながらしばし黙考した。

 

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