第9話 少女の葛藤




 ――同時刻。


 灯りの消えた宿屋、深い夜に浮かんだ月白の輝きが窓から入り込む薄暗い一室のベットにて、もぞっと身を起こす影がひとつ――。


「――みつにぃ? もう寝た?」


 あたしは、彼が寝ている左隣のベットを確認する。

 呼び掛けているのに何故か絶対に彼に聞こえないであろう小さな声で。


「よ、よし、みつにぃ、寝てる」


 自分のベットから降りて彼のベットの傍までよると、その寝顔を確認。


「へへへっ、ぐーすかぴーだ」


 なんて事を言いつつ気持ちよさそうに寝てる彼の頬をちょんちょんと突っついてみる。


「……な、なにやってるんだろう……あたし……」

 自分の謎行為に顔が熱くなるのを感じる。


 こんな事を彼と出会ってから毎晩のようにやっているのを気付かれでもしたら、あたし、もう終わりだろうな。


「で、でも、もいっかいだけ……」


 ――ちょん、ちょん。――ちょん、ちょん、――ちょんちょん――……


 そしてあたしは、――三十分、いや四十分? ……一時間ぐらいそんな事を続けていた。

 ――気が付けば、仰向けに寝てる彼の上に覆い被さるような体勢になっている。


 窓からの月明かりに照らされた彼の寝顔を、正面からじっと見詰めている。


 心臓の鼓動はさっきよりも大きく鳴っている。どきどきと、高鳴っている。


「フへっ、へへへっ……」


 それはきっと、女の子がしては行けない笑いかた、……なんだろうな。

 ……き、きもいかな、……今のあたし。

 自分の悲惨な現状を省みてみるけど、上がる口角は抑えが効かない。


 次に、彼の顎先へとすっと人差し指を置いてみた。

 なぜ、そんな事をしたのかは分かっている、だって、さっきからある箇所へと目が強く強く惹かれているから、釘付けになって離れないから、彼の、唇に、血色の良い彼の――


 ……ちゅ、チューぐらいしちゃっても……だ、だめだよね……はい、わかってます。


 芽生えた邪な感情に頭を振る。


 だ、だめだよ、だって知ってるから。


 あなたの本当のこの旅の目的を――


 ――あなたがあたしだけのものにはならない事を――。


 そんな、葛藤を何度か、――そんな事ばかりでは先の発展は望めないのだろうけど、こんな事は、凄く些細な幸せなんだろうけど。

 でも、それでも十分満足だ、だから、そんな幸福にあたしはまた、自分の口元に喜びの感情を感じ――ふと気が付けば――


「――ふぇっ、みふにぃ?」


 薄らと目蓋を開けた彼の両手に、あたしの両頬はつままれていた、触れられていた。


 そう、いるのだ、彼とあってからこの2年間、叱る時にこづいてくれる程度でしか、自分からは決して触れてこなかったあたしの肌に――

 ……ああ、そう言えば最初の頃は、あたしが彼の手に触れようとしただけで、どこか困った顔をして、すごい距離を置かれてたんだっけ……


 そんな傷心を伴った過去の追憶と、目の前の不意な出来事への戸惑いに、頭の中は半ばパニック状態、心はドギマギと揺れ動く。


 そんな中、窓から差し込む月のヒカリが、彼の吸い込まれるような銀の瞳に、いっそうの輝きを与えていた。


「……いい、な……」


 ふと気が付くと彼は、微かな言葉を洩らしている。自分の火照った頬が横に伸ばされたのを感じる。


「—— It is a beautiful and delightful sight to behold the body of the Moon——」


「……え?」


 続けて発された唐突な彼の言葉と、あたしの疑問、そして――


「月の姿は美しくて、――楽しい眺めである――」


「かの有名な天文学者、ガリレオ・ガリレイは、そう言った」


 一呼吸、間をおいて。


「――俺はな、そんな君の花咲くような笑顔が好きなんだ」


「……ふえ、えっ、え、えええ、みみみみみふにぃっ?」


 つままれ続ける頬が更にカアッと熱くなる。


「……あの日俺は、そんな言葉を思い浮かべたんだっけか……な、咲つ……」



「み、みっちぃ?」


 こ、これひょっとして……


「……――――ぐがぁぁぁぁぁ……――」


「……え……」


 両手を下ろした彼の、盛大な、いび、き?

 ……ま、まままって、う、うそ、……ね、ねた? いや、ちがう、寝てた? まさかさっきの言葉って……寝言……? ぜんぶ彼の夢の中の出来事……?


「……そ、そんなぁぁ……」


 落胆に肩を落とす。


 ……あーあ、そうなんだ、どうやらやっぱり現実は、そう簡単には行かないらしい。


 だからそう、これはきっと過去との接触。


「……はぁ、あ……」


 漏れ出た溜息と共に、あたしは、彼のベットへと潜り込むのだった――。







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