第3話 厭離穢土



 2011年 8月8日。X県X市。


 ――夏の陽射しがサンサンと降り注ぎ、今を必死に生きる蝉の鳴き声に支配されたある日の朝、俺は仲のいい友人達と共に山奥の川原へとキャンプに来ていた。


 いかんせん、田舎なので夏にすることと言えばサーフィンか釣りかキャンプかネットサーフィンである。


 ……最後のは関係ないな……年中できる。


 だいたい、この辺は電波の通りも悪い……


 んー、田舎でいい事と言えば何だろう……何かあるだろうか、んー、そうだな、人が少なくて静かだとか、ゴッホの絵画になるレベルで夜空の星々が綺麗とか、やつれたサラリーマンの軍団を見ないとかかな、……本当に、世の中の働きアリ達は働き過ぎである。週5出勤、2日休みはもう逆にすべき何だと思う。

 これからの社会に安泰を、日本の未来に幸福あれ。


「――みっちぃ!  来て来て! お魚さん沢山泳いでるよー!!」


「ちょっとー! ボサっとしてないで手伝ってください!  先輩!!」


「オレたちだけじゃ力不足なんだよっ! お前のその筋肉は飾りかー!!」


「……満くん……つかれた……手伝って……」


 夏の暑さにやられ、脱線しまくりな思考に耽っていたら川原でせっせと準備しているお嬢様方からお叱りを受けた……ちょっと男子ーというやつだ、なんせ男1人、女6人の偏りまくった汎用性の無い、特化型パーティなので力仕事に関して男手が足りない。


 ……けどまぁ、ここにいる女の子6人は力仕事でもなんでも皆んなでやるタイプなので苦労はしないけど……


 その部分ではな……色々と問題も出てくるから苦労することも多い。


 テントはもちろん別だ、超えてはいけないラインはしっかり自主的に守っている。


 もちろん物理的にもだ。


「ここにテープ貼っとくからなー!! 絶対に越えるなよー!! 主に俺……(と小さい声で呟いておく)」


 理性にもきっちりとラインを貼る。


「できたらねー!」


「多分なぁ!!」


「はいっ? なんて言いましたー!?」


「くらえ水鉄砲ー!」


「きゃっ! もう! やったなぁ!!」


 俺の言葉にはーいと返事をする物分りの良い子達の声を聞きながら、切実な思いを零す。


「はぁ、男友達が欲しい……これが、あれか、所謂、無いものねだりってヤツなのか……それともひょっとして俺そっちの気があるのか……いや、違うけど、違うよ、うん……」


 ……大丈夫だよね。


 こんなに女の子がいるのに一人ともそういう関係に至ってないのはそういう事って訳じゃあございませんよね……


 わいわいと賑やかな御一行、山に登る道中、作業中、山から降りるまでは怪我をしないように皆さんのファッションは夏仕様のセーラー服、そのスカートの下に学校指定のジャージだ。


 汗で張り付いたカッターシャツの襟でパタパタ仰ぎながら、そんなことを考えている。


「その、私は別に超えてもいいのだけれど?」


 スッと木の影から出てきた艶やかな黒いロングの髪をポニテに結び上げた真っ白なセーラー服を着た女が隣に立った。


「おっ、びっくりした……居たのか黒那瀬」


 因みにうちの学校は白と黒のセーラー服があり基本どちらを着てもいい。


 黒奈瀬はいつも黒の筈だけど、多分夏だからとかそういう理由だろう。


 俺はそんな彼女を鑑みる。


 女の子にしては少し背が高め、表情の変化が乏しいせいで感情の読みにくい、赤みがかったツンとした冷めた瞳、左の泣きぼくろが特徴的なこの緒方は――――


黒那瀬くろなせ墨音すみね


「なにかしら?」


「いや、改めて呼んでみれば名前の舌触りがいいなと」


「そうね、現在高校三年生、あなたと同い年の女の子よ」


「現代社会、情報の整理は大事だな」


「ふふっ、その通りね」


「――くっ、超電磁砲レールガン!!」


「まだまだ、来て!!  悪業罰示式神あくぎょうばっししきがみ!!」


「うるさい……絶対零度アブソリュート・ゼロ……」


 ……ええッ!? な、んだアレは、くっ、み、見えるぞ、俺にはあの攻防が、異世界空間が!!


 っ、ウズウズするが我慢っ……


 で、でも、俺も後から飛び込み参戦と行かしてもらおうかなぁ……

 

 そんな事を思っていると、隣りの黒奈瀬が前へと躍り出る。


「……わ、私も」


「やらんでいいです」


 まぁでも気持ちは分かるから後で一緒に参ろうぞ。


 若干感化され気味の隣人も居たが何とか制止しつつ、なぜだかいつの間にか異能力バトルに発展している非常に厨二心くすぐられる声を耳に入れながら、こちらも異能力を使ったのか、突然現れた黒奈瀬に先程の発言への俺の言い分を言って聞かせる。


「……そんなことよりもさっきのライン越え発言に関してだけど、お前は良くても俺は良くない、見てみろ女の子6人だ、軽率な考えで一人と何かあったら何が起こるか俺は分からない……だからすっごくオソロシイ」


「あら? 随分と自信過剰なのね、私一人とナニカあった所でこの世の出来事とは思えないほど、恐ろしい事が起きると思っているの? ちょっとだけ、めちゃくちゃになるだけよ、誰でも良いからさっさと手を出してしまえばいいのに、変態紳士の國満新タくん」


「うっ、痛いところをついて……抉ってくるな……というかその台詞ツッコミどころ多すぎて何処からツッコミを入れればいいんだ?」


「ツッコむ突っ込まないだとかまったくハレンチねっ」


「なんだろ、台詞に反してもの凄い破廉恥な言い回しだっ……」


「学業成績、運動神経も悪く無いのに何処か抜けてるわよね、國満くん……残念な子」


「えぇ……っと、それは斬新な自己紹介だったり……?」


「ふふっ……」


 何故笑う。


「あと黒奈瀬、ジャージと靴はどうしたんだ、怪我するからちゃんと履いておきなさい」


 此処へ来る前、みんなには『木とか虫とか魔獣とかほらなんか色々と危ないからさぁ……』と、学校指定のジャージを着とけ履いとけとあれほど言ったのに。もう誰ひとりとして履いていない……


 ……まあ、わかるけどね、うちの学校のジャージ、赤すぎて着てるとなんかソワソワしちゃうの。


「…………」


 黒奈瀬は此方の指摘に返事を返さず、何故だか暫し無言で見つめ合う。


 ……ニコッ。笑んでみる。


 ……ニコッ。返される。


 ……何だこれ……。


「――なせちゃんとより私とのランデブーはどうかな?」


 おっと、お次は左隣の木陰から麦わら帽子を被り、その下、青に近いグレーの目を爛々とさせ、雪の様な白い髪を腰ほどまで伸ばした真っ白なセーラー服の少女がひょいっと出て来て言う。


 ……ところでお前らは忍者か何かか?


「――こちらの緒方は、白雪しらゆき唯千花いちか、同じく高校3年生、クールな黒那瀬とは対照的で表情豊か、花咲くような笑顔が素敵な少女、天然ちゃんでお馬鹿でドジだがそこがいい所でもある。いわゆる愛されキャラという奴だ」


「な、急になにかな!?」


「情報整理さっ」


「大事なことよ?」


「二人して何言ってるの!?」


「……ところで白雪さんや……ランデブーは無いぞランデブーは……ん? ランデブーってなんだ?」


「あら? 今どきランデブーの意味も分からないのかしら、そうね、一般的には人と待ちわせるという意味があるのだけれど、もう一つ、想像力豊かな私なら、非常にセクシャルな意味に取ることもできるわ、接近やけつ……」


「うわぁぁぁぁああ!! やめて!! なんか良くないこと言いそうだからぁぁああ!!」


 今まで培われた日々の危機意識からか、あわあわと止めに入って行く。


「……仕方ないわね、でも雪ちゃん、今後の為にも意味を教えておくわね」


「わ、わかったよ」


 白雪に歩み寄って行く黒奈瀬。傍まで寄ると目の前で、白と黒モノクロの少女達は何やらヒソヒソと会話を始める。


「ぇぇぇぇぇえええっ?! そうなの!?」


「……? どうしたんだ白雪、そんなにスクリームして、何か辛いことでもあったのか?」


「……ウン、今とても辛い思いをしたよ」


 顔を赤く染めてしゅんと俯く。


「でも勿論、人間で使うのは前者の意味よ」


 ……人間?


「そうなんだぁ、良かったぁ……」


「ふふっ、貴方たちが無機物だったのなら今頃とんでもないことになってるわね」


「……無機物?」


「いやぁ! やめてぇぇええ!!」


 ……後で意味調べて見ようかな。


 というかさっき今時とか言ってたけど多分今時ではないよな……


「……今はそんな事よりも、國満くん、改めて伝えたいことがあるのだけれど良いかしら」


「そうだな、そんな事よりも伝えたいことがあるのなら是非、聴かせてもらおうか」


「おーい、2人ともなんか今日は辛辣だね〜」


 シャラシャラと聞こえる川のせせらぎ音と共に、離れた場所で4人がせっせとテントを張る声を遠く耳にし、涼しく心地の良い風が川の冷たさを運ぶ中、黒那瀬が此方に身体を向け目を軽く閉じ、一呼吸置くと、長いまつ毛の生えた目蓋と同時にその水気を帯びた艶やかな唇をゆっくりと開きだす――。


 何を言い出すんだろう、なんだかドキドキしてきたぞっ。


「私頻尿なの、そこの川でやる事済ましてからで良いかしら?」


「「おいおい……」」


 自分の体質を赤裸々に語るボケに俺と白雪は口を揃えてツッコミを入れる。


「……冗談よ」


 そしてそのまま、黒奈瀬は何事もなかったかの様にテントを張っている4人の所へと歩き出してしまう……


 えぇぇ……そこで行っちゃうんですかい、黒那瀬さん、本当にトイレなのかな……


 だが黒奈瀬は、その途中でふと留まると、風に流される黒髪を手で押さえ、川から反射させられる光に当てられた横顔をこちらへと覗かせ⎯⎯⎯


「⎯⎯⎯⎯ふふっ」


「――改めまして、私達を救ってくれてありがとう國滿くん」


 と、聞こえるか聞こえないか程度の、微かな言葉を口にした。




 彼女の、小さな声、でも、顔は良く見えた。




「……黒那瀬……」


 背中を向け、さっさといっししまった彼女から僅かに聞こえた言葉を頭の中で反芻しながら、ふと横を見てみると白雪がなぜかモジモジとしていた……白雪もトイレかな。


「あっ、あの私からもそ、そのありがっありっありっありっ……ありあり」


「アリが10匹で!」


「アリガトウ……」


「………うん? って、あれっ、もうっちょっとー!」


「……ぷッ」


 思わず吹き出してしまうが、白雪もおかしくなったのか2人して大きな声で笑った。

 当然その後はテント張りをサボった罰として料理当番となった。


  ――こうして俺達は、それぞれに辛く哀しい過去を持ちながらもそれを克服し、この短くも長い人生の中、これからも四苦八苦しながら歳を重ね、ささやかな幸福の中、その生涯を安らかに終えることが出来るのだろうと思っていた。


 だが、得てしてそういう儚くも満ち足りたモノは、突如として奪われる事になる──。






 ‪         ⬛︎⬛︎⬛︎






気づけば俺達はそこに居た。



 どんよりと暗くじめじめとしていて、所々に錆がある広く冷たい鋼鉄の壁に囲われた場所に、グレーのバンから降りた男が俺達を1人ずつ無造作に捕み、冷たく硬い地面へと放っていく。


「――っ……!」


 コンクリートの地面に打ち付けられ、倒れ込み見上げた先、空が見える吹き抜け高い天井からは太陽の光が僅かに差すだけ、――顔を正面へと向けると数メートル先の地面には、巨大な黒い大穴が空いているように見えた。


 ここはどこだろう、……廃工場だろうか、まだボーっとする頭で朧気な記憶を思い出す……


 ……確かキャンプからの帰宅途中、突如、何処からか車の甲高いブレーキ音が聞こえて来たと思った時、目の前に塞がる様にして横停車してきたバンから降りた男に髪を掴まれて、それから、……それから……必死に、俺は抵抗して……皆を逃がそうと、必死に……そこから先の記憶が……記憶がない、ぼんやりと不明瞭なモヤが掛かっていて良く思い出せない。



 耳の奥にはずっと、皆の泣き叫ぶ悲鳴だけが残っていた。


 そんな現実感のない出来事に、頭は中々正常な機能を取り戻してくれない。


「……痛っ」


 思い出したように四肢から脳へと痛覚が伝達される。

 その痛みを感じた手足は、ロープでキツく縛り付けられていた。


 ……拉致、誘拐、か……?  皆はどうなった……


 横を見ると地に倒れ伏す彼女達がいた……


 そんな彼女達の胸は浅く上下、呼吸は、……している、俺だけ先に起きたようだ……


 皆はまだ、起きる様子はない……


「……目を覚ましたようだな、彼女達が気になるか? 彼女達には君に盛った物よりも強力な睡眠薬を盛らせてもらったからな、日が沈むまで起きることはないだろう」


 この状況を作った犯人であろう男が淡々とこうなった原因を口にする。


「……っ、」


 途端に怒りが沸きあがるが、先程の不甲斐なさを払拭しようと自分の昂りだした感情に気づく。

 一呼吸置き、頭に酸素を回す。


 一旦、落ち着こう、こういう時は少し冷静にならなければならない……足りない頭を少しでも回さなければ……


 だからまずは、手始めに、男の背格好を確認。


 長身で細身、黒衣を羽織っていて、口元には黒い布を巻いている……感情が感じられない暗くどんよりとした目の下には色濃く隈があり、少しボサついた黒髪は目に掛かるほど、……男は現状、何か武器になりそうなものは持っていない……


 見たところ複数人の犯行では無いようだ、では目的はなんだ? 人質……営利目的、身代金か? 快楽殺人、猟奇的殺人の可能性。

 わざわざ全員を眠らしてまで人目の付かない場所に運んだ理由は……


 男は視線を正面に向けると、大きな穴が広がっている場所へと歩きだして行く、男はその大穴の傍で立ち止まると、何かの準備を始め出した。

 その背中を見つめながら、更に思考を巡らして行く。


 ――時間の把握、空けた天井からの太陽光は届いているのでまだ日は沈んで居ない、キャンプから帰ったのが午前9時頃、今はだいたい12時から13時といったところか、犯行から3~4時間の経過……車でここまで怪しまれず移動して来たのだとしたら何処までのスピードをだしたのか……標識や信号の少ない田舎道、単純な計算だが一般道の法定速度時速60kmで走ったとして1kmを1分程で走れてしまう為、車だとかなり移動できてしまうがそれでも、移動するとなると必然目撃情報も出て来るのでそれだけの時間を移動に使ったとは考えにくい。

 そんな犯人側の思考を加味すると、それほど遠くまで行ったとは思えない……

 

 連絡手段、ポケットに入れていた携帯の感覚は無い、既に回収済みか……だけどキャンプに行く前、親にはそれぞれ帰宅時間を伝えてあるので、そろそろ心配になってきてもいい頃合いだ。


 次に、犯人の犯行目的について思考を切り替える。


 この場所、コンクリートの壁に囲われた外界との境界に物理的な線を引いた場所を選ぶ理由、それは何故か……ここに立てこもり警察、交渉人との交渉を成功させる為、やはり俺達と身代金か何かとの取り引きだろうか……俺だけ起こしているのも気に掛かる……


 だが、これが立てこもり事件なのだとしたらまだマシだ、実は日本では立てこもり事件の成功例は前例が無い、更に単独犯で犯行に移すことが多いと聞く……だが、だからといって安心するのは早計だ、この場合加害者側の要求を飲んでそのまま逃亡させてしまったという前例が無かっただけで人質側の被害は確実に存在している……その最も多い被害の一つ、立てこもり事件という醜悪で卑劣な犯罪は被害者側に深い心の傷を生み出してしまう……だから彼女達が眠ったままで居るのは良い状況とも言えた。


  ――そして気をつけなければならないこと、決してやってはならないこと……それはここで相手の逆鱗に触れるような行為や、言葉を投げかけるのは絶対に行ってはならない悪手だ。


  さらに、考えうる最悪の状況も想定しなければならない、の可能性、この場合、パターンはいくつか考えられるが、内一つである猟奇的殺人に関しては犯人側の考えが常軌を逸していたり、一般的な思考では無いため男からの言葉を聞くまでは考える事は除外しても良い。


 もう一つは、ただだけに犯行に移した可能性だ、だとしたらその発散方法は大きく2パターンの可能性が考えられる。まず1つ、性的暴行の可能性。

 だがこの可能性に関しては、彼女達に強力な睡眠薬を盛ってしまっているので反応を得られないため可能性は必然、低くなる。


 そして、厄介ではあるがある程度は此方がコントロールすることがまだできるであろう、殺人で快楽を得ることを目的とした殺害だ、自分を合わせて計7人、これだけの数を攫ったとなると全員を一緒くたに殺害する可能性は低いと言える、まず、1人ずつ楽しむ様に殺していくだろう。


 だがこの可能性に関しても、彼女達を眠らせてしまっている為、俺以外からは反応が得られない、やはりこの部分がどうしても引っかかってしまう。


 ――何処と無く、俺の先入観が仮説を立てるのに邪魔立てをしているのを感じる。


 もぞもぞと身体を動かそうと試みるが手足は胴ごとロープによって縛られているので上手く立ち上がることも出来ず、動くにも芋虫のように這うことになるので、今の所無理に身体を動かす必要性は無い。


 ――殺人、快楽、身代金、大きく三パターンで考えられるおおよその犯行目的、この状況の中、彼女達を助けるという目標を最優先に、最善と言えるべき行動は言葉を黙する事でも相手へのただのご機嫌取でも無く——相手の気に触れないように対話を図ってでのなるべくの時間稼ぎ、そして、自分へのを溜めることだ。


 何かの点検が終わったのか黒い革靴の硬い音を鳴らしながら再び男が此方に向かい出す……今の所ポケットからナイフなどの危険性を感じられる物を取り出した様子は無い。


 直ぐにでも手を出すつもりは無さそうだったのでまずは、男の気を逆撫でて仕舞わないよう、へりくだった言い回しでの会話を試みることに。


「……俺達を、どうするつもりなんですか、教えてください……お願いします……」


 そう問い掛けてみるが、男は何も言葉を発さず、目前で立ち止まると、灰色の地面をただジッと見つめ始めた。


「あの……」


 なんだコイツ……もう対話をする気はないと言うことか? だとしたらなぜ俺だけ眠らされていない?


 ――そこだけがずっと引っかかる……


「……来い」


 端的に発される声。


「……っ、ちょっと何をっ」


「……じっとしていろ」


 と、男に無造作に襟首を捕まれると、先程から見える大穴へと無理やり引き摺られていく――


  やがてその大穴の近くまで辿りつくとその直前で、掴んでいた襟首から手を離し、先程から単語程度しか発さなくなった男が口を動かす。


「おい、その穴の底を良く見てみろ」


 これから何が行われるのか必死に思考を巡らしながら、男が言った通りに、再び地に伏せてしまった頭を上げその大穴の底に視線を落とす⎯⎯


 その覗いた大穴は落ちれば死んでしまう程に随分と深く、底には鋼鉄で造られた何枚かの羽根が冷たく姿を晒していた――。


「っ、なんですか、これ……」


 眼前に現れた非現実に恐怖を覚える。


「……これは処刑道具だ、少々大袈裟だがな」


 ……処刑道具――


「……君たちをこのような、人気のない場所へと運んだ理由にそろそろ気づき始めたのではないか? ソレを見たのなら尚更な」


 男はそう言うと後ろを振り向き、まだ起きる様子のない彼女達の方へと向かい始めた――


「おいっ、待て!」


 ……やっぱり、きっとそう言う事なんだろう……アレに、俺達を落とすつもりだ、その先の惨状は考えたくない。


 それを今考えるよりも優先すべき事、まず先にやるべき事は俺へと男からのヘイトを一気に買うことだ。

 時間稼ぎも含め徐々に溜めていくつもりだったがそうも言ってられなくなってしまった……


「なんなんだよお前は! 殺すことが、愉しむことが目的なのか!? だったら先に俺を殺せっ!!」


「………………」


 声を荒げ叫ぶが男からは反応を示されず沈黙を貫かれる。


 ……どうする、男の意識を此方に向けさせる言葉を、少しの希望だとしても、ここから彼女達が助かる可能性を手繰り寄せないと。


 ――俺は一生涯、後悔する事になる――。


 ――その後悔は――きっと、の——。


 頭を強く振り、沈みそうになった思考を切り替える。


 ……そう、そうだ、ずっと疑問に思っている事が一つあった、確信はない、けど……試してみるしかない。


「おいっサイコ野郎っ!! 彼女達に手を出す前に一つ気遣わなければ行けないことがあるんじゃないのか、いいのか?」


「――俺が先に此処に落ちるぞ――」


 放った言葉が辺りに反響する。


 すると男は彼女達に手を伸ばそうとしていた動きをピタリと停止して、ゆっくりと此方に振り返る。


 一瞬、鼻筋に驚いたような表情を浮かべた気がした。


 だが、そんな男の表情は、直ぐに虚ろへと戻り、再び抑揚の無い声を口に――


「……何を勘違いしている、お前を先に起こしている事に勝機でも感じたのか?」


「……残念ながら、その事についてはただの気まぐれだ、俺の目的は実に明瞭、己の人生の中で人殺しをして見ること、……そしてもう一つ、彼女達を惨たらしく殺してその光景をお前に見せ付け、その反応をじっくりと観察することだ、それは副産物であって無くなってしまうのなら構わない」


「……俺はな、単純な愉悦を得ることが目的では無い、そうした結果己自身が、どう感じるのか、はたまた何も感じ入るものなど無いのか、その事の方がより重要だ」


「――落ちたいのなら勝手にしろ、得などないがな」


「っ……!」


 ……コイツは本当に典型的な猟奇的殺人犯だったのか……?


 この状況を打開できそうな情報はもう持ちえていない、男の言う事が本当の事ならば俺が先に落ちてしまう行為は何の得もない、無駄に命を散らすだけで彼女達は助からない。


 だいたい、この高さから落ちればそれだけで全身粉砕骨折、脳髄をぶちまけることになる。


 そうこう思考している間に男はまず2人を俺のすぐ傍へと引き摺ってくる⎯⎯つむぎ不過ふか時折ときおり 未織みおりだ。


「頼む……辞めてくれ、こんな事して何の意味がある……!!」


「……意味なら先程言っただろう」


 言って二人をその場に置く、数瞬、こちらに意識は向けられていない、大穴と男との距離は数センチ、やるなら、――


 うつ伏せになっていた身体を無理矢理仰向けに、脚の関節を曲げ、飛び起きると、穴の底へ向け男へとタックルを図る。


 だが、それは予測された行動だったのか空しく躱され、脚を払われ倒れ込むと同時に畳み掛けるように右脚、脛骨を


「……ぁあ゛っ!」

 

 重く芯のある痛みに悶絶、骨が折れている。


 ――男は踵を返し、歩き出すと続いて両手に初瀬はつせ 愛歌まなか梓川あずさがわ 咲月さつきを引き摺って来てしまう。


「おい!! やめろっ、もう辞めてくれっ!!」


 呼び止めようと何度も声を荒らげるが、やはり男は意に介さない。


 ……駄目だ、此方の話を聞く様子が無い、暴力による抑止は効かず、脚は使い物にならない、このままじゃ一向に埒が開かない。


 だげど幸いな事に、俺以外の6人はロープで縛り付けられている訳ではなかった、こうなったらもうトラウマがどうとか言っている場合では無い。


 早く、早く起こさなければ……この場から逃げてもらわないと。


 男が最後に黒奈瀬と白雪へと足を向け、歩き出した隙にまだ眠ったままの4人の意識を起こそうと全力で呼びかける。


「頼む起きてくれ!! 時折!! 初瀬!! 不過ちゃん!! 咲月ちゃん!! 起きろ! 起きろ!! 起きて早く逃げてくれっ!!」


 このままならない状況、焦りからか、顎先へと汗が滴る。


 まだ何か出来ることは無いか、必死に思考を巡らしていく――。


 そんな中、口の端からは力を入れ過ぎて切れてしまった口内から血が滴った――。

 地面にポタリと落ち込む血、それを見て、俺はやっと、一つの小さな希望を見出す。


 ……言葉を叫ぶだけでは、意識が戻りそうにない、仕方ない、痛いかもしれないが命には変えられない、我慢してくれ……


 最後の手段として俺は一番近くにいた時折の、痛みを感じやすいであろう前腕の部分へと思いっきり噛み付いた。


「……っ、時折……頼む……」


 この与えられる激痛で起きる事を切に願う。


 徐々に噛む力を強くして行き最終的に血が出る程の力を加えてみるが、一向に起きそうにないので次に、すぐ隣の咲月ちゃんへと同じことを試して見る。


「ッ、頼むから目を覚ましてくれ!! 咲月ちゃんっ!!」


ギギっと徐々に力を加えていると、尖った犬歯辺りから血の味を感じてくる。


 ……それでもまだ、起きる様子は感じなかった……


「何をしている、退け」


「あ"つっ……」


 次に初瀬へと同じ事を試そうとしていた所へ唐突に横合いから顔へと蹴りを入れられ、そのまま頬を踏みつけにされてしまう。


「……ッ……いっ……や……」


「始めるぞ」


「まてっ……! 待ってくれっ!!」


「や、めろっ!! やめろぉぉおおっ!!」


 張り裂けんばかりの声を上げて男の行動停止を懇願するが、まるでそういうシュミレーシがプログラムされたロボットかの様に男が一人目を、黒奈瀬を、大穴の底に覗く冷たい鋼の刃へと引き摺り落とした⎯⎯。


 穴底から、呆気のない音。グシャッと何かが爆ぜる音が聞こえて来る……


「ぁぁぁああああ゛ッ……」


 顔に踏みつけられた足をどうにかしてどかそうと必死に首に力を入れて押し上げるが、成人男性の力と体重を掛けられた足を退かすことは叶わない。


 抵抗の効かないままに、ひとり、またひとりと目の前で繰り返される永遠にも感じられる光景。


 そんな中、何度も何度も、必死に懇願するが――


 無慈悲に命は呆気なく、パンッと花咲くように爆ぜていく。


 そして最後に白雪が、獲物を待ち構える食中植物のようにあんぐりと口を開けた闇の中へと放り投げ出されようとする――


 途中、彼女の目蓋が薄らと開き、その口元は何かの言葉を形にした気がした――。



 ⎯⎯⎯⎯ごめんね。



「白雪っ!!?」


「おいっ!! 離せよっ! その手を離せぇぇぇえええええええええッッ!!」


 獣のような咆哮、口から血を吐きだしそうになるほどに叫びを上げるが心の無い殺人鬼は何の躊躇いも無く、彼女を大穴へと落とした。


「あっあぁ、白雪ぃぃぃいいいいいッ!!」


 男の足から力が抜けた隙に、落ちていく白雪を助けようと思わず身を乗り出そうとするが、すんでの所で男に襟首を掴まれ、

  ⎯⎯力強く引き寄せられる。


「焦るな、もう少しだ」


 漠然と聞こえてくる男の声、何かの意思が抜け落ちた思考の中、これから先の人生、未来を、ぼんやりと思い描いてしまう。


「……もう、いいです……俺も一緒に行かせて下さい……彼女達を見捨てたまま生きて行くのは嫌なんです……だから、……お願い、します……」


「無理な相談だ」


 願いは容易く一蹴、全員を穴の中に落とし終わった男は俺の襟首を掴んだまま引き摺っていき、近くにあった2つの内、一つのレバーを下げると穴の横から鋼の羽根に覆い被さるように透明なフタがスライドしていくのが視界の端に見え、次に、中の羽根が悲鳴を上げるような駆動音とともに加速度的に回転を始める――。


  ⎯⎯⎯⎯プ×、プチン。


  水の詰まった薄い膜が弾けるような音、硬い芯が引っ掛かる音、地獄の穴、フタの底の狂音。


 目の前で起きた見るも無惨な非日常を、その現実オトに耐えられる筈も無く、思わず声を上げ後ずさってしまうが、強引に髪を引っ掴まれその惨劇を見せ付けられてしまう。


「彼女達の最期だ、決して逸らさずよく目に焼き付けておけ、自分達の最期を誰にも看取られないのは少々可哀想だからな」


「……ゔぁあっ……ぃやだ……」


 もう手の届かない眼下の光景、目を閉じることもままならない程の血の絶海。


 ——攪拌かくはんされ、中のモノが混ざり合っていくその光景はまるで、ミキサーに容れられた野菜や果物のよう……その最中、脳が見てはならぬものに拒絶反応を起こしたのか、暗転と共にビリッと焼き付いた――……。


 ——そんな、閉ざされた暗い暗幕の世界、視界の端には、ふわりと靡く少女だれかの金色に輝く髪が見えた気がした――。


 ⎯⎯⎯やがて、羽根の動きがグワングワンと徐々に止まり出していく。


「あ゛ぁぁぁっっ……」


 見たくもない視界現実は明瞭に、赤黒く再現された惨たらしい地獄絵図に絶句し、何が起こったのか把握しきれず、思考は惑溺とし、身体はカァッと熱くなり、意識は朦朧とし、開ききった目を瞑ることすらままならない。


「刃は切れ味を悪くしてある」


 男はそう言葉を零すと俺の頭を荒々しく放り、また近くの壁に向かい、そこにあったもう一つのレバーを下げると再び此方へと戻ってくる。


 男は顔下半分に黒い布を巻いていて表情の全貌は窺い知れないが、無機物の様な目には感情も無く、布の下も無表情である事を如実に語っていた。


 暫くすると、腹の底に響くような太く低い機械音を響かせながら大穴の底の地獄を見せようとミキサーの羽根と共に徐々に迫り上がってくる……


 想像を絶する光景が待っているだろうと脳が警鐘を鳴らし、反射的に目を瞑る。


 ――嫌だ、みたくない。


 込み上がる痛切な思い。


「おい、目を開けろ、ひょっとしたら奇跡でも起きて1人くらい生きているかもしれん」


 そんな奇跡など起こるはずは無いのに、そんなまやかしの言葉に縋る様にして目を開ける。


「……ァア……」


 ――そこにはこの世の地獄が顔を覗かせていた……


 その光景はさながら、冷たい鋼鉄のキャンパスに描かれた作者の意図が理解不能の鮮やかで前衛的な絵画のよう。


 赤黒く染まった視界……


 ……吐き気を催す程に溢れかえる鉄の匂いと真っ赤なジュース。


 それはかつて人の形を成していたもの……


 それはかつて生命の奇跡を成していたもの……


 その艶やかなキャンパスの前、男が何かを呟いた⎯⎯⎯。


「……そろそろ時間だな」



  ――すると唐突に視界がぐるんと一回転、目の前の赤一色の景色は――



 ――【イロトリドリのカワイイ世界へと変貌】――。



 しん、と静まった世界。



 キャンディにクッキーにグミやガム、色とりどりのおかしなお菓子の世界。


 その世界でそっと耳を澄ませていると、何処からか、耳朶へと音が入り込んできた。


  ——ランラン、ランラー、ラーラー、ラーランラーラー、ラーラーラー、ランランラー――…………。


 オト、音が聞こえてくる、コレは声、声、コエ、コエ?


 ――ラーランラーラー、ラーラーラー、ランランラー、ランランラー、ランラー、ランラーラン、ラン、ラーラー、ラン―――………。


 彼方から、さも愉しそうにお歌を口ずさみ、綺麗な金髪をゆらゆら揺らすアノ子の背中が見えてくる。


 アノ、水色の、可愛いフリルのアノ子はいったい誰だろう。


 幼気いたいけな、アノ子の右手に見えるは真っ赤な果実。然して緊張気味、小さなお口でパクパクパクと愛おしそうに齧っていく。


 対するは、左手に持つ皮ごと搾り取られた葡萄ブドウジュース。退屈しのぎに、ストローを使ってチュルチュルチュルと嬉しそうに飲んでいく。


  やがて飲み終えたのか、丸い透明な壺をポイッと捨てた。


 次は、次はなんだろう。まだかなまだかな、早くして、早く、早くしろ。


  ムカムカと、胸を疼かせ待っていると、フワフワの、スカートのポッケから取り出したのは、一粒のミルキーな飴玉。


  ソレをポイッとお口に放り込み、コロコロコロコロ舌で転がしながら、両手でスカートの橋をちょこんと摘み、此方へと体を反転させる。


  あ、もう少しでお顔が見えそう、でも、でもどうしてだろう、かわいい筈のアノ子のお顔は、何か白くモクモクとしていてよくみえない。


 そんなお顔を見ていると、アツアツと熱烈に、グツグツと活発に、何処からか沸き上がってくる、けれども、――やがて訪れる安定と安寧、でもまって、――触れるのはダメだって、油断大敵、ほらみてやっぱり、歪んだ器に澱んだスープ、はブツブツと突沸、グワッと衝動、…………アララ、――なんだか気持ちが悪くなってきました。


 そう感じた直後、喉元目掛け、何か酸っぱいものがブワッと込み上がり、ドバッと胃のナカミを勢いよく吐き出す——と同時に、徐々に呼吸も乱れ始めて来た……


 ――前方へ、手を伸ばす――、揺らめく世界、消えゆくアリス――葛藤と拒絶。聖と穢。


 そんな混ざった視界はメラッと赤く焼き付くと、――途端に目の前の景色はユラっと一変。——俺は、真っ赤な現実へと引き戻された――。


「――ッハッ、ハッァッ、ハァッハァ……」


 ……みん、な……は、どれ……体は……みんなのカラダ……ドコ……ドコニイッタ。


 チカチカと光る視界の中、覚えのある醜いノイズが入ってくる。


「……見えているか」


 固く蹲ってしまって身動き一つ出来ない中、傍に立つ男は、どんよりとした隈のできた目で暗く何処か遠くを見つめながら、低く平滑な言葉をつらつらと吐き出し始める。


「……どうだ、どうだろう? この景色を見てどう思う? この不条理な悲劇的結末を、だがまぁ、悲劇なんてモノは別にここまで派手で無くともいいものだがな、それはふとした事、些細なこと、どんな形であれ、人の生を狂わしていくモノだ……」


 聴覚が外界のオトを受け付けない。


「……ふむ、何故こんな事をという顔をしているな、特に理由はない、特段理由は無いが敢えて言うならば空虚でつまらない生活からの脱却、刺激が欲しかっただけというなんの面白みもない至極平凡な理由だ。

……とは言ってはみたものの、やはりこんな真似事をしても何も感じないものだ、この後は大量殺人事件の凶悪犯罪者として警察に追われる身になるだろう……それはまた一つの楽しみか、この世界は上手く出来ているからな……たとえ捕まったとしても、……クク、ハハハハハハハッ!! と、このように、精神疾患の振りでもしたならば、死刑は免れるだろうか、だが流石に、ここまでの行いをしていたら無理があるだろうか、まぁ、どうでもいいこと……精々最期まで抗ってみるとしよう……」


 男は乾いた笑いをまたひとつ。


「……本当に、この世界はひどく硬く閉鎖的で、呼吸もままならない……苦しく、生きにくい―――――とでも言っておこう」


 言葉を切って男は此方に振り向くと、再び言語を音にして発する。


「――あぁ、そうそう、君たちを選んだ理由をまだ言っていなかったな……なんだったか……あまり覚えていないな……だが敢えて言うならば、そうだな……視界に入ったから、たまたま目についたからだよ、これも傷害事件や殺害事件などの加害者側が良く口にする陳腐で平凡な理由だ」


 ?????????????


 何を言ってイルンダロウ、急に語リダスナ、理由ナンテキイテイナイ、キコエナイ、そんなことよりスゴイ臭イダ……


 むせ返る程の錆びた鉄のような血のニオイと、それに混じって徐々に何か嗅いだことのない腐敗臭に、再び吐き気を催し思わず口と鼻を手で覆いながらふと疑問に思う。



 ――



「おっと、この疑問も解消しておかないとな、君も消化不良だろう……君だけが最後まで生き残っていることに関しては明確な理由がある」


「……それは、たまたま君があの子達とはからだ、良かったじゃないかラッキーってヤツだ」


「――その方がより効果的だろう……?」


 ナニヲ、イッテイル? ナニヲノタマッテイル? ウルサイ、耳障りなコエ。


 男は、肺に溜まった空気が苦しく感じたかのように、重く、一つ息を吐くと……


「少しばかりの刺激をくれた君へのご褒美にひとつ良いことを教えてあげよう……これはとても珍しい体験だったから共有して見たかったのもあるが……君が間抜けにも先に眠っている間、彼女達は必死に懇願していたよ……自分の命欲しさに? いいや……違う……『他の子達はどうか助けてください』とな、その姿を見てあまりにも健気だったからな、1つだけ提案をしてやった⎯⎯『ならば、1人だけ生かしてあげよう』……そんな言葉を投げ掛けた。そしたらどうだろう、彼女達は口を揃えて言っていたよ――」


「彼だけはどうか生かしてくださいと」


「ああっ、」……ききたくなかった、そんなことば。


「……本当に、どこまでもイタく健気な子達だ……少々羨ましいぐらいだ……」


「……まぁ、結局お前だけは生かしてやるのは決定事項だったんだがな」


 男は何の感情も感じさせない平滑で機械的な言葉をそれがまるで義務かのように、そう言葉を口にした。



 ―――――――――――あゝ。



「ハァッ、あ゛っ、ハァッ、ハッハッ、あ、ああ゛あぁっ」


「苦しそうだ、起きる直前に盛らせてもらったアレもそろそろ完全に回ってくる頃合いだ……辛いだろう、拘束を解いてあげよう」


 男はうつ伏せに倒れ込む俺の背中へと回り込み黒衣のポケットに忍ばせておいたナイフを取り出すと手慣れた様子で手と足を縛り付けていたロープを切り落とす――。


「アッ、ハァッ、ア゛アッ……」


 何が、したい。


 重く積み重なった狂気に理性が屈服し、軋みを上げ崩壊を始める。


「――アァァァァァアアァァァァ、、ッ、」


  熱い、?寒い、?熱い、?寒い、?


 寒い、寒い、寒い、寒い―――――


  ⎯⎯⎯⎯⎯⎯熱ッ。


 訳が分からないこんな事になった理由が、

 訳が分からないこんな場所にいる理由が、

 訳が分からない自分がいったい誰なのか、


 訳がわからないから記憶を辿る、自分が自分である事の認識を、例えばそう。


 題目、人は利己的な生き物である。利他的な行動は起こせば巡り巡れば己が為となるから。補足、適当な選出、続けて、ダーウィン、進化論、自然淘汰、一部否、淘汰は個ではなく郡に働く、質疑、稀固体、悪玉。例、根拠、働き蟻や蜜蜂は社会性を持った行動原理、群淘汰、否、説明求。愚問、複眼思考、重要な視点、郡ではなく遺伝子に置き換える。例、有名な話、前述した蜜蜂、役割、女王蜂、他、役割である働き蜂、雄は半数体である事を加味、遺伝子パターンを算出。姉妹間期待値血縁度75%、働き蜂同士ではなく、女王を中心とした方が合理的である。利他行動、思いやりの心は合理的である。我々の肉体は立派な舟である。


 以上を持ってして、人は非常に利己的な生き物であると言える。


 これは解釈の一つ。また違った視点で見れば尽きぬことの無く広がる話。


 もちろん、全ての意味をわかっている訳では無い。研究は止むことなく、人類は答えを出し切っていない。


 これは乱れた心を落ち着かせる為の簡単な意味付け。記憶の確認に伴う自己認識。


 この事で注意すべき点、重要なのは無機質な面では無いこと、それはわかっているから。


 遺伝子に意思は無く、強制力は無く、ヒトには感情がある、自由意志がある、温情がある、暖かみがある。


 だが、状況にせず、意味不明。


 巡り巡っただろうか、なぜのか。


 いや、暴走した結果か。


 やはりわからない、わからないことだらけだ、マクロで捉える立派な脳を持ち合わせていない。


 未熟なのだ。


 人の選択をせず、


 神にでもなれば解るのかもしれない。


 選択権は無く、それは不可能なことだった。


 無茶苦茶なことだった、理解不能だった、記憶の確認はそこでは無かった、目を向けないでいる、把握出来ないでいる、目の前の現実に、狂ってイる、呼吸が苦しい、息の吸い方が分からナい、息の吐き方が分カラナイ、狂しい、クルシイ、息ガ、息ガガ、息ガガガガガガガガガガッ――――――――。⎯⎯⎯イイヤ……ソレハイイ、コキュウの仕方がワカラナイのならシカタがナイ、ソレヨリモ、スゴク気ニナル事ガアル、ナニカ、ナニカ得タイノ知レナイ奴ラガ身体中ヲ這イ回ル、全身に、ムカデがワラワラハッテクル、ムズガユイ……ボリボリカラダを引っ掻キマワス⎯⎯アア、キモチガイイ……キモチガイイ、キモチガイイ、キモチガイイッ。

 ――デモ、ナンダカ凄クキモチガワルイ。ナニカ、ナニカ酸っぱいモノが込み上ゲル……タマラズ吐きダす……すると、グルグルグルンと⎯⎯マタマタ顕現スルハ、色トリドリノ景色、チラチラと、目ニミエル風景ハ【摩訶不思議】。此処はナンデコンナニ色がアルンダロウ、アカを基調にアオやキイロ、艶やかなピンク、ミドリと澱んだムラサキに⎯⎯アア、ココにアッタンダ、⎯⎯⎯ビンからコボレタ、オレンジマーマレード。――ソシテ、股座カラノ視線、コチラヲミアゲルハ、コナゴナニ壊レタハンプティダンプティ⎯⎯⎯ピョンピョンピョン、遅刻ダ、遅刻ダとウサギが駆ケマワル。

 歪む世界、ガクンと倒錯スル地点、ぐるぐる廻るシカイ、ブクブク超エル境界、【不思議の國ヘノご案内】。――ソレハまるで御伽噺のヨウナ。アレ、アレレ、ナニカガミエテクル、アレハ、アレハ、カワイイフリルのアリスチャン、マンマルオメメのアリスチャン、鏡ノセカイヘトアリスチャン、コッチヘコイコイ、ナニカヲ探セとアリスチャン、お人形はココよト、アリスチャン――。


 デモデモデモデモウゴケナイ―――――


 ――ダルマカ。


 マダマダマダマダウゴカナイ―――――


 ――――イモムシカ。


 手招ク、アノ子ハ、ナニ色カ。


 ……ウン、ソウダネ、ナニカ、ナニカミツケナイト、お人形ミツケナイト!、此処カラウゴカナイト!、ドコヘ、アッチへ、ドウヤッテ、コウヤッテ、、、コレダコレダ、コレガ、手ト足、コレがアタマと脳?噌、?ト歯、コロコロ、コロコロ、右ノ飴玉左ノ飴玉、クルットスクウ、ン、ナニカ、長イモノ、ミミズカナ、ナンダロウ、ズルズルズルズル引ッ張リダス、ヤッパリミミズ、ダ、ミミズ、ハ、イッパイアル、ドレニシヨウカナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナ――――…………


 ——――!?  


【眼下へと突如として出現!!】


 ◯や⬜︎、前衛的な絵画の描かれた巨大なあべこべパズル。

 パズルピースは瞬く間にバラバラに——仕方がないから直してあげましょう。


――――――地異←→天変―――――――。


 【―天使降臨―】


 |  |  |  |  |  |  

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 |  |  |  |  |  |

 墜  墜  墜  墜  墜  墜

 落  落  落  落  落  落

  。  。  。  。  。  。


 両翼に14を携えし天使。

 両翼に74を携えし天使。

 両翼に64を携えし天使。

 両翼に94を携えし天使。

 両翼に0000を伝えし天使と天使。


 天       天     天

  使     使       使

は    心    は 心 は

  廻     周       廻

る。   天    る。  る。

      使

心   は   心  天  心  天

      踊   使     使?

    る?      は     は

          回     綴

            る!    る。


異国ノ言ノ葉で何やら囁く……。


От копеечной

        свечи Москва

    ヒソヒソ……      загорелась.

Все

      под богом  ヒソヒソ……

                ходим.

ヒソヒソ……

    не море,  

Горе        выпьешь до дна……


          

抉   六   マ   児   こ

ら   つ   ッ   戯   の

れ   の   カ   ジ   絶

た   心   ナ   ミ   景

    ヲ   嘘   タ   を

    も   で       !

    っ

    て。

―――――――――――――……………!


 ヤット、ヒトツ……


 ダンダンデキテキタ……


 ソレガ体ヲナシエル……


 ツギハギダラケノオニンギョウ……?


 ????????????????


「……?」


 ソウダッ、アレ、アレガナイッ、アレガナイト完セイシナイ、ドコダ、ドコダロウ、ドコヘヤッタケ、グチャグチャマサグッテミルケド、ワカラナイ、マッカナ絵ノ具ダラケデワカラナイ、アレカナ、ドレカナ、ソレカナ、ココカナ、ドコカナ、ドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナドコカナナナナナナナナナ、タノシイナ⎯⎯⎯⎯。



 アッ!、


             ミッケータ、



 カワイイカワイイお鼻。




 ープツリ。



 ……と、何か切れてはいけない糸が切れたような音が聞こえた。


 ⎯⎯傾倒する視界、傾き、徐々に暗転を始める……意識が遠のいていく最中……男の姿が見えた……今まで無表情だった顔に何かおぞましい感情を浮かべている気がする。


「ーーーーーグーーーーさっーーー死ーーーだっーーだ」


「ヤハリーーしてしまーーかー」


「だーーーーーろー」


 どこからかサイレンの鳴る音が聞こえて来る……


 誰かの足音がけたたましく駆け込んでくる……


「------------------」


「フタ---------ーーーーー-ル」


「ソーーーーーーーーむーーーーーーーー」


「----カノ-----------レ」


 ……意識が堕ちる前、男が何かを言っていた気がするがよく分からない。



 ⎯⎯だって……モウ、「——やがてお前は知る事となるだろう——この——」


「——終わりなき————を——」



 ナニモワカラナイ。







 終幕。




 




























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