Episode,Sechzehn.トート•リデプスというヒト ver.1.1

「──よし、こんなもんか」

 鏡に映る私の髪は今までにないくらい、綺麗に梳かされていました。彼女の手櫛は勿論の事、歯の詰まった櫛でさえスルリと抜けていく程です。梳かし方一つでここまで変わるモノなのかと感心していると、彼女はヘアオイルを付け始めました。彼女曰く、ここまでやってこそのヘアケアなのだとか。

「せっかく綺麗な髪してるんだから、これ位はしてやらねぇとな!」

 これはきっと、私史上初めて見る艶と潤いです。今まで見てきたどんな人よりも綺麗な髪がそこにはありました。髪の美しさに見惚れていると、上機嫌な彼女が化粧道具を手に「ついでにいっとくか?」と提案してきたのです。

 ……そんな魅力的な提案を断る理由が、一体どこにあるというのでしょう。二つ返事で了承すると、滅茶苦茶な速さでメイクが施されていきます。


「────…………いやぁ、ここまで化けるとは」

 まず、鎖骨より上の血色が凄く良く見えました。作られた肌色ではなく、あくまでも自然な色合い──生者の風合いとでも言うのでしょうか。並の帰還者レウェルティには宿らないナニかが、そこにはあるのです。

「凄い……トート、貴女はなぜ、こんなにも上手、なの?」

「そりゃお前、デキる女の嗜みってやつだよ」

 彼女は得意げに笑うと、私の頭に腕を回し軽めのヘッドロックを決めてきました。その理由は「位置的に丁度いいからなんとなくやった」との事で、彼女なりのスキンシップとのこと。先のように頭を撫でてきたりと、少年のような行いが多い彼女ですが不思議と不快感はありません。

「今度、似合う服を見繕ってやるから楽しみにしとけ!」

 少しの間を置いて「ありがとう」と返すと、彼女は意外そうな顔つきのまま数度の瞬きをみせました。

「私、なにか変なことを、言った……?」

 なにか不適切な反応をしてしまったのかと思い、声を掛けると彼女は「悪い悪い」と言って明るく笑います。

「ありがとう、って言ったときの笑顔があまりに自然なもんでさ。そんな顔も出来るんだと思って固まっちまったんだわ」

「……そんなに、自然だった?」

 おう、という短い返事と共に軽いヘッドロックをかけられました。彼女のスキンシップはマスターのそれとは違いやや粗雑だけれど、とても人間らしい温かみがあるように思えます……いいえ。この表現はなにか、不適切なような気がします。だって、マスターとのスキンシップにも人間らしい温かみがありましたから。


「──そんじゃ戯れも程々にして、ちょっとお付き合い願おうかねぇ」

 戸惑う私を他所に、彼女は軽い口調でそう言うと──私を持ち上げて手術室を後にしました。部屋を出てすぐの場所には車椅子があり、そこへと降ろされます。フットレストへ足を乗せた事を確認すると、彼女はゆっくりと車椅子を押し始めました。 


 廊下はやや薄暗く不気味であったものの、掃除が行き届いている為かそこまで怖くありません。ただ一点、スチールラックに置かれたモノに規則性は感じられない事が気になりました。隙間なく詰められた場所もあれば、滅茶苦茶な隙間がある場所もあるのです。日々整頓と清掃を行っていた身としては、何とも言えないもどかしさを覚えてしまいます。

 本当なら今すぐにでも彼女から許可を得て、ここを整頓してしまいたい。そんな気持ちが沸々と湧いていましたが、現状それは不可能です。しかし目に見える以上、無視し続けるのも厳しいものがありました。


「……ねぇトート。ここには一人で、住んでるの?」

「ここに来てからずっと一人暮らしさ」

「寂しく、ないの?」

「全然寂しくないぞ? 近くの酒場に行けば誰かしら話の合う奴はいるし」

 彼女は明るい調子で続け「今からでも飲みに行きたいねぇ」なんて口にしました。その姿は映画やドラマで見る酒好きのソレと大差ありません。

「酒場……パブみたいなもの?」と聞いてみれば、ゲラゲラと笑いながらかぶりを振って否定してきました。その姿に少し驚いていると続けざまに、

「そんな上等なもんじゃない。酒と暴力に性欲セックスを満たす為の掃き溜めだ。人間らしくて最高じゃないか!」

 ……私の聞き間違いでしょうか? 酒・暴力・性行為セックスの三点セットを声高に叫び、愉しむのは荒くれ者達の筈です。という点において間違いはないのでしょうが、それはほんの一握りの人間に限られます。

「まぁシオにはちょいと刺激が強いだろうけど、今度連れて行ってやるよ! ヤベェ奴が大半だけど、気の良い奴も居るんだ」

 頭の中で考えを巡らせていると、とんでもない提案をされました。この手の場所に興味がない訳では無いのですが、に女性だけで行くのは自殺行為だと思うのです。特にここは路上格闘技ストリート・ファイトが横行し、殺人があっても騒ぎにならないような場所でした。パブというものには興味がない訳ではありませんが、此処は流石にリスクが高過ぎます。

「…………ごめん、トート。私は、その……行きたく、ない」

 彼女は「ふぅん?」と意味あり気な声を漏らした後、ややあってから「なるほどなぁ」と呟き含み笑いを浮かべました。声音と表情から察するに、彼女の中ではなにかしらの合点がいったのでしょう。

「──無法地帯にだって、無法地帯なりの規定ルールがあるんだぜ? だからお前さんの思うようなは起きねぇよ」

 先刻よりもやや強い力でヘッドロックをかけると、軽く左右に揺さぶりながら楽しそうに笑うのです。そして彼女はそのまま「アタシ等にだって居場所は必要なんだ」と言葉を続けました。

「──表じゃ異端者だイカレだなんだと私等を好き勝手言うがな。私等だってなんだぜ」

 カラカラと快活に笑う彼女を見て思う。トートは一体どんな理由があって、こんな所に独りで住んでいるのでしょう。それに彼女が言っていたとはなんのことを指しているのでしょうか?


「ここはちょっと冷えるが我慢してくれ」

「肢体保管庫……?」

 思考を巡らせている間に連れてこられたのは、肢体保管庫と書かれた場所でした。室名故でしょうか、ここは他の場所にはない独特な気配を感じます。

「──なんだよ、ビビってんのかぁ?」

「ううん。違う……けど」

「けど?」

 私は彼女に何を伝えたかったのだろう? 伝えたいのか、聞きたかったのか。それすらもわからなくなっているのです。

「……その…………ごめん、なさい。上手く言葉に、出来なくて」

「────? まぁいい、開けるぞ」

 暫しの間を挟んだ後。彼女は扉脇にある電子操作盤へと手を伸ばしリズミカルにテンキーを15回叩きました。直後、ブザー音とともに扉が開き始めます。それと同時に漏れ出したのはヒンヤリとした冷たい空気で、床を滑るようにゆっくりと広がっていきました。


「それじゃ、入ろうか」

 室内は暗く、必要最低限の灯りだけが点いているといった印象です。点灯している灯りは青を基調としており、寒々しい印象を受けました。

 加えて室内はかなり冷えているのか、身体の奥の奥へ沁みるような寒さを覚えます。ソレ故に疑問を感じるのが彼女の服装でした。手術着一枚の私が言えた話ではないのでしょうが、彼女の格好は大分正気を疑いたくなるものです。

 シャツの胸元は下着が見えそうなくらい開いているし、上着は薄手の白衣だけでした。サラサラとして、着心地のよさそうなズボンは防寒性があると思えません。加えて靴下もなしにサンダルを履いているのだから、寒くないわけが無いのです。

 それなのに彼女は平気そうな顔のまま、照明のスイッチを探していました。カチリ、という音と共に照明が点灯し一気に部屋が明るくなります。一瞬だけ視界がホワイトアウトしましたが、直ぐに目は慣れました。

「凄い……沢山、ある」

 眼前に広がる光景には驚きました。均一の規格で作られた鉄製の保育機Brutkastenが一定の間隔で並べられており、その根本には様々な太さのケーブルが繋げられているのです。

「こうして肢体を保管してるのさ。横に貼っ付けてあるのが解体承諾書と利用許可証だな」

「……利用、許可……証?」

「まぁそこら辺の詳しい事は後で話すよ。この寒さの中で長居するのも良くないからさ」

 彼女は私を一瞥すると、幾つかの許可証を手にして出口へと向かっていきます。去り際に室内灯を落とし、手早く施錠するとリビングルームへと向かっていきました。


「冷えたろ? 取りあえずこれでもかけとけ」

「ん、ありがとう……」

 入室後間もなく、彼女は厚手の毛布を膝にかけてくれました。けれどなんというか、生乾きの犬みたいな匂いがするのは何故でしょう? とは言え、彼女が犬を飼育している形跡もありません。他の動物の影もありませんし、こんな臭いがする理由がわからないのです。

「トート、これ洗ってあるの?」

「ん? そこの山から出したやつだから……多分、半年前に洗ったっきりだな」

 ソファと思わしき家具の上に、山と積まれた洗濯物をゴソゴソと漁りながら彼女は答えてくれました。

 先の返答もそうだけど、色々と気になるところがあります。面倒くさがりというのはなんとなく察していましたが、ここまで来るとその一言で済ませてはいけない気がしました。

「つかどうしてそんな事を聞いた? 酷いシミでもあったか?」

「シンプルに、臭う。まるで生乾きの、犬」

 私の返答に対し彼女は「いやいや、流石にそれはないだろ」と呆れ気味に返してきました。けれど、この毛布からは本当にそんなニオイがするのです。

 再度訴えかけると、彼女はやれやれといった表情で毛布の裾を掴み軽く嗅ぎました。直後、彼女の顔からは笑みが消え──その代わりにを浮かべたのです。例えるのなら、あまりにも強烈な臭いを嗅いだときの猫のような表情──『フレーメン反応』を起こしたときのソレでした。


「うえぇ……まじかよこれ。完全に乾ききってなかったってこと? めっちゃテンション下がるんだけど」

「それ以外、ないよ」

「これ取れねえ臭いだよなぁ……うわー、勿体ねぇ」

 件の毛布は回収され、新たにフカフカの毛布を手渡されました。こちらは特に気になる匂いもなく、先程のソレよりも柔らかくふわふわとしています。

「…………出したばっかの新品だから臭わないだろ。暫くそれ使ってな」

「うん、ありがとう」

「どういたしまして──……あぁクソッタレ、何処にいきやがった」

 生返事をしながら、衣類の山へ手を突っ込む彼女の姿を見て──私は言葉を失いました。いつの間に脱いでいたのか、彼女は下着姿で衣類を漁っているのです。全裸でないだけマシなのでしょうか? 

 いえ、ソレよりも気になる点はあります。あのように衣服を畳んで置かないのは何故でしょうか。今みたいに無造作に投げては手に取り、一瞬迷ってまた放ってしまってはどれが着用済なのかわからなくなってしまうのに。

 そんな事を考えている間にも、彼女は衣類の山をガサガサと漁り続けています。諸々を注意しなきゃいけない筈なのに、どうしてか声をかけられない。はっきり言って、こんな気持ちになったのは初めてです。



 下着姿のまま衣服を漁る彼女を見続けること数分。ぼんやりと頭に浮かんだのは『トートとマスターは、一緒に棲めないのだろうな』という無意味な感想だけでした。

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