第28話 悪魔


「――終わったな」


 俺はコクピットの中でため息をつく。

 ――全身が痛い。各所は骨折し、内臓も損傷しているだろう。

 早急に医療キットや治癒魔術による処置を受けねば。

 ……死ぬな、これでは。


『はい』


 アトラナータの声が聞こえる。いつも通りの平坦な声だ。


「兄上様……」

「……大丈夫か?」


 俺は心配になり、ラティーファに声をかけるが、彼女は首を横に振った。


「はい、平気です。でも、怖かったです」

「……そうか」 


 俺は、彼女の頭を優しく撫でた。


「よく頑張ってくれたな」

「あ、あ、あ、あにうえさまぁぁ」


 ラティーファは泣き出してしまった。……無理もない。


「ありがとうな」


 俺は、もう一度言った。


「本当に、ありがとう」

「ぼ、ボクは何も……」

「幾度かサポートしてもらった。それに、誰かが傍にいるというのは、存外力になる」

「……はい、はぅぅ」


 納得してくれたようだ。


『お疲れ様でした、マスター』


 アトラナータも労ってくれた。

 ……多少、お前が言うなという思いもあるが黙っておく。


『さて、マスター。地上に大量の獣人どもが待ち構えていますが』


 モニターに拡大される地上の……闘技場の風景。

 獣人たちは退避していたはずだが、戦いが終わったと判断して戻ってきたか。


 そこには……


「……お父様」


 獣王の姿もある。

 もう命は幾ばくもないだろう、だがその強靭な肉体で、しっかりと立っている。


「……降ろしてくれ。仕上げだ」

『はい、マスター』


 そして、ネメシスはゆっくりと着陸する。

 コクピットハッチを開け、俺とラティーファは地に降り立つ。


「……お父様!」


 ラティーファは獣王に抱き着く。……親子だな。とてもよく似ている。


「ラティーファ……。無事でよかった」

「はい、はい……!」

「ティグル……」


 獣王は俺の名を呼ぶ。


「……獣王陛下」


 視線を交わす。それで十分だ。

 約束通りの茶番だが、これで終わる。


 人間の国ディアグランツ王国の勇者ティグルは、獣王国の姫ラティーファの命令により、邪悪なる偽勇者ギデオンを倒し、獣王国を開放した。

 全てはラティーファ姫の采配。

 そして、それを認めた獣王ガーファングは、娘に国を託すのだ。

 そういう筋書きである。


(……終わりだな)


 そう思うと、気が抜けて倒れそうになる。だが、まだだ。もう少しだけ持たねば。


「お父様」


 ラティーファが顔を上げ、言う。


「……娘よ。強くなったな」

「いいえ、ボク……私一人の力ではありません。私がこの国から脱出し、さすらって……希望が付きかけたその時、助けてくださったのはこの方です。

 獣王国の民の中には、知っている方もいるでしょう。

 人々を助け、異界の魔物より解放し、そして――たった今。

 あの邪悪なる偽勇者を打ち倒した、偉大なる星の勇者、天界人ティグル・ナーデ」


(……ん?)


 自分が従えた戦力を紹介しているだけにしては、言い方が大仰ではないか?

 ちゃんとしてくれよラティーファ。

 お前がこの国を背負うのだ。ちゃんと……


 だが。

 ラティーファは俺を見て、笑う。

 舌をぺろりと出して。


 嫌な予感がする。

 否、嫌な予感しかしない。


 何を、言うつもりだ。


 その笑顔を――やめろ。



「私の、夫となる方です!」


 ……。


 おい待て。

 話が違うぞ。

 獣王陛下。娘の暴挙を止めてくれ。


 だが――獣王も笑った。


「操られていたとはいえ、この己の全力と生身で互角に戦った人間。そして、あの偽勇者を倒し、皆を救った男。娘と国を――獣王の名を託すに、異存無し」


 おいやめろ。

 あなたもか、獣王。


 そして獣王の言葉に、獣人たちも沸く。


「――覚えているぞ、囚われていた夢の中で、あの人間が……」

「そうだ、戦っていた」

「見た、あのクソッタレ勇者を倒した姿を」

「つか、獣王様とあんだけ戦えるなんてすげぇとしか」

「本物の勇者だ」

「英雄だ」

「新たなる――獣王」

「寡黙な佇まい、なんという強者のオーラ」

「この人にならついていける」

「勇者ティグル・ナーデ!」

「獣王ティグル・ナーデ万歳!」


 ……。

 獣人たちが熱狂する。

 これは不味い。この流れは不味い。

 だが、反論しようにも傷が深く、喋れない。


 そんな俺を見て、この親子は笑う。

 獣王陛下は多少、すまなそうに。

 ラティーファは、くすりと勝利者の笑みを浮かべていた。


「……これで、悔いはない。後を頼んだ、息子よ。嗚呼……良い生涯だった」

「……獣王、陛下」


 待て、逃げるな。

 だが俺の願いもむなしく、獣王ガーファングは、国民たちに見守られ、直立したまま雄々しく――息を引き取った。

 引き取りやがった。


 ……逃げられたか。


「お父様……安心してください。お母様も、国も、みんな……私と夫が、旦那様が背負い、守り、導いていきます。どうか、安らかに」


 ……獣王陛下よ。俺はかつて、あなたとの対話でラティーファを小悪魔と評したことがあった。


 だがそれは違っていた。


 この娘は、逃亡し奴隷に落ちた悲劇の姫でも、素直でかわいらしい妹でもない。


 女狐だ。

 男を手玉に取る性悪娘だ。

 最後に全てをかっさらっていく、悪魔だ。



「………………この、雌餓鬼め」


 闘技場を、いや国全土を巻き込む万雷の拍手と喝采の中、今度こそ、俺の意識は途絶えた。

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