第11話 人魚伝説



「ええと、どこの国に伝わるお話として書かれていたかしらねえ……。北大陸の小国だったと思うけれど……。その国にはねえ、特別な儀式のときに生贄を捧げたあと、その人肉を食べる民族がいたんですって……」


「うわあ。実際にそういう風習ありそうだね」

 

「ええ。そうなのよ……。それでね、あるとき生贄が脱走してしまったんだけど……、人々は逃げ出した生贄を捕まえることができなくてねえ…………。仕方がないから、網に掛かっていた人魚を生贄の代わりに立てて、次の日にその肉を食べたらしいのよ……。そうしたら……どうなったと思う?」


「うーん…………。悶え苦しんで死んじゃった?」


「いいえ。人魚の肉を食べた集落の民全員が、人間の寿命の何倍も長生きしたみたいなの……。それも、死ぬまで当時の姿のままでね…………」


 その話には、彼女の身に起こっている事と奇妙に符合する箇所がありました。


 『下敷きになった実話があるのかもしれない』と考えた彼女は、十五年前の事故について老婆に話すことを決心します。


「あのね、おばあちゃん。わたしが若いのって……そう見えるわけじゃなくて、本当に老化が止まってるからだったのかもしれない……」


 予想外の申告を受けた老婆は、元々大きな目をさらに大きくし、彼女の現在の姿を少しでも近くで確かめるために身を起こします。


「……貴女、まさか人魚の肉を? そういえば、貴女の恋人は人魚と……そう言っていたものねえ……。もしかして、その彼の……?」


「うん、そうなの。実はね…………」


 彼女は以前から老婆に恋人の話をすることがありました。そのため、老婆は彼の種族についても把握していたのです。


 十五年前に起きた出来事の詳細について聞き終わった老婆は、しばし考え込みました。


「…………そう。そんな事があったの……。やっぱり、あの本は……。いえ、それよりも、その人魚の彼は……? お変わりないといいのだけれど……」


「とっても元気。彼、忙しいひとだから、前に比べたら会う機会も減っちゃったけど……。いつ会っても若々しくて生き生きしてるなあ。本当に、昔から変わらない……」


「ええと……。彼は確か、王族……だったわよねえ……。貴女はその、色々と、大丈夫なの…………?」


 彼女は言い淀む老婆の様子から心配事の中身を察しました。


「そう、なかなか高貴な人魚ひとみたい。でも、彼は王にはならなかったし、これからもずっと、そのつもりはないって。国民たちにも慕われてるみたいで、次代の王の最有力候補だったらしいんだけど……彼自身がそれを拒んだの」


「貴女は……その訳を、知っているのね?」


「うん。『他に重要な役目がある。それは自分にしか出来ない事だ』って言ってた。王位をきょうだいに譲ったいまも要職に就いて、国のために尽くしてるよ。その役目がどんなものかは教えてくれないけど、きっとそれも、なにか考えや配慮があってのことだと思うの……。だから、この恋は悲しいものじゃない。わたしなら平気だよ」


 彼女は、これまでに幾度となく彼の背負うものについて想像してきました。生まれたときから定められていた宿命に、生きていくうちに増えていく大事なもの。そうして生き急ぐ過程で気付いた、真の使命。


 どんどん重みを増していく、一人では到底抱えきれぬはずのそれらを背負いながら、以前よりもいっそう速度を上げて前進する彼は、一体どこを目指し、どんな偉業を為すのでしょう。


 その果てに、『あなた』が本当に手に入れたいものを得ることはできるのだろうか――――……と。


 ただひとつはっきりしているのは、一人の人間じぶんの恋心なんかよりも、ひたすらに彼の意向や理想のほうが大切だということだけです。


 寂しくないと言えば嘘になりますが、それでも彼女は、身を尽くして人魚ひとの上に立っている彼だからこそ、強く想って生きていられるのでした。


「…………そう。それならいいけれどねえ……。でも、どんなに想い合っていても、貴女たちは…………」


 老婆の薄くなった唇がウの形を描こうとしたとき。その続きを拒んだ彼女は、初めて老婆の言葉を遮ります。

 

「わかってる。だけどね、わたしはそれでも彼が好き。昔も今も、彼だけを愛してる……。明日の事なんてわからないけど、きっとそれは、この想いだけは…………これから何年経っても変わらない、って確信してる。自信があるの」


 強い瞳で宣言した彼女は、生きてきた年数以上の成長を遂げていました。


 老婆は、姿かたちを追うだけでは到底知りえない彼女の進化を実感し、声を震わせます。


「ええ、わかっているわ。わかっているのよ…………。誰も、自分の決めたひと以外を想えないわ……。だからこそ、この村に独り残される貴女の事を考えたら、なんだか……だめねえ。つらくなってしまって……。ごめんなさい…………。余計なお世話よねえ、本当に……」


「ううん。そんなことない……。覚悟はしてたけど、そっか……。嫌だなあ…………。おばあちゃんやみんなと過ごせる時間……あとどれくらい残ってるんだろう。わたしじゃなくて、みんなが長生きできたらいいのに……」


 先ほどまでの勇ましい姿はどこへやら、彼女はがっくりと肩を落として沈んだ様子です。


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