第6話

「ガチャットモンスター、知っているか?」


「ガチャモンですか? 昔遊んでいましたけど……あ、ブレイザードン」


 おかきは、分厚いガラス板に隔てられた竜の遺体に見覚えがあることを思い出す。

 ガチャットモンスター、略してガチャモン。 某会社が発売する大人気ゲームソフトシリーズの1つだ。

 やせ細った遺体からすぐにイメージは結び付かなかったが、その姿はプレイヤーに初めて渡される3種のガチャモンのうち1体に酷似していた。


「正解だ、それが彼のモデルとなったキャラクターだよ。 本人曰く、子供の時から好きだったガチャモンだったらしい」


「……カフカ症候群のモデルは、本人の趣味嗜好が反映される?」


「確証はないが、本人が知るキャラクターから選別されるようだな。 君を含めて」


「私は今の今まで忘れていたんですけどね……」


 おかきは龍と自分たちを隔てる分厚いガラス板に触れる。

 それは人生を終えてしまった彼のへ憐憫か、それとも先達への敬意か、自然と目を伏し、黙祷を捧げていた。


「……順番が違えば、私たちがこのガラスの向こうにいたのかもしれないですね」


「言い訳はしない、彼の死は我々に責任がある。 だからSICKを過信しないでくれ、君も自分の体に異常を感じたらすぐに教えてほしい」


「ええ、わかりました」


 麻里元がおかきをここへ連れてきたのは、カフカである彼女に餓死の危険性を伝えるためもあっただろう。

 だが同時に、そこには過去の汚点を晒して誠意を見せるという狙いもあった。 


「……いろいろあって疲れただろう、付き合わせてすまなかった。 今日はもう休むといい、君のお姉さんも心配しているころだろう」


「あ゛っ! 忘れてた……」


――――――――…………

――――……

――…


『ふーーーーん、それでずいぶん連絡が遅くなったんだ?』


「ごめんて……」


 姉の不機嫌な声がスピーカーの向こうから響く。

 おかきは経験から知っている、これは相当機嫌を損ねているときの声だと。


『まったくさぁ、心配してたんだよ? まさか本当に死んじゃったんじゃないかって』


「そんな大げさな、ただ書類上死んだ扱いになるだけだって」


『おんなじだよ。 姿も名前も変わって、雄太だったものが何も残らない』


「…………」


『雄太が借りてた部屋、今どうなってるか知ってる? 帰りに寄ってみたらもう空き部屋になってた』


「うん、こっちに荷物運び込まれてるからそんな気はしてた」


 以前のアパートより広い部屋の片隅に積まれた段ボールには、“雄太”の私物が丁寧に梱包されている。

 元からあの部屋に置いてあった布団や家電を差し引けば、こんなに小さくまとまるのかと、おかきは若干の感動すら覚えていた。

 さらにここから男物の衣類なども除けば、旅行カバン一つ分ぐらいに収まるかもしれない。


『ショックだったよ、あたし。 うまく言えないけど……雄太が今まで生きてきたってことが全部なくなったみたいで』


「……ごめん、でも俺は大丈夫だから」


『そうやっていつも我慢してるじゃん。 、高校中退したときだって』


「………………」


『あたしが怒ってるのはそういうところだよ、無理ばっかしないで。 ちゃんとしんどい時は言って、いいね?』


「うん……ごめん、でも今は本当に大丈夫だから」


『本当ぉ? ま、電話やメールはいつでも受け取れるようにしておくから、なんかあったら今日みたいに呼んでよね』


「でも姉貴にも仕事が」


『呼ーんーでーよーねー? いいねッ!!』


「はい…………」


「よし、それじゃあたしは雄太に心配かけないように明日も仕事だから! おやすみ、また明日!」


 言いたいことをすべて吐き出すと、満足したのか通話が切られる。

 嵐のような姉の勢いにおかきは少し辟易し、そしてまだ自分を「雄太」と呼んでくれる存在に笑みをこぼす。

 

「……大丈夫、俺は早乙女 雄太で……私は藍上 おかき」


 奇妙な感覚だった、1つの器に2つの心があり、それをどちらも「自分」と捉えている。

 喧嘩をせず、混ざり合っているような心地よさを感じながら、雄太おかきはゆっくりとベッドに背中を倒した。


「……さて、今夜は気張って頑張りますよ、“俺”」


 煎餅敷きの布団とはまるで違う寝心地に、このまま意識を手放してしまいたくなるが、おかきはぐっとこらえて体を起こす。

 目の前の机に積まれているのは、宮古野から渡された大量の書籍だ。

 夜が更けるまでまだ時間はある、このすべてに目を通さなければ明日からのきっと仕事は務まらない。


「大丈夫だよ、姉貴。 ここでならきっと、父さんも見つかるから……」


――――――――…………

――――……

――…


「こんな夜更けまで調べものか、それとも深夜アニメでも観ていたか?」


「あっ、局長お疲れぇ。 いやー、今日入った新人君のことがいろいろ気になってさ」


 SICKの地下施設、宮古野の仕事場に麻里元がノックを鳴らして入室する。

 大量のディスプレイから漏れる灯りだけを照明とした部屋の中、地べたに寝転がった宮古野はキーボードとマウスをせわしなく動かしていた。


「ああ、高校中退の理由か? あれならこっちで調べがついているぞ」


「父親の失踪による家計悪化が原因だろう? おいらが気になってるのは“その先”だよ、彼の父親はどこへ消えたのか」


「その件は私も調べようとした、だが……」


「うん、SICKうちのデータベースでもなんの手がかりも見つからない。 不気味なくらいにね」


 宮古野がエンターキーを勢いよく押下すると、壁一面のディスプレイに「NO DATA」の文字が表示される。

 

「彼の父親は仕事からの帰路、雨で濡れた路面にスリップしてガードレールに衝突。 現場には雨と混ざった多量の血痕が見つかったが、遺体は発見できず……どう思う?」


「不可解な点ばかりだな。 事故そのものに謎も多いうえ、情報も少ない」


「だよねぇ、こんな不審な事故ならSICKでもっと調査しているはずなんだよー。 なにこれぇ気持ちわるぅい!」


 解決できない謎に直面した宮古野は、形容しがたい感情を消化するためにじたばたと床を転がる。

 それが「宮古野 究」にとって発作のようなものだと知っている局長は、特に気にすることもなく彼女のそばに淹れたてのコーヒーを差し入れた。


「いつも通り砂糖たっぷりだ、糖分をとって少し休め」


「うぅーんさんきゅー局長ぉー……おかきちゃんだけどさ、このまま引き入れて大丈夫?」


「すでに決めたことだ。 それに父親の失踪について彼女本人も調べたい素振りを見せている」


「なるほど……だからこそ探索者になったのかな、彼女は」


「興味深いな、カフカのモデルに関して新しい見解かもしれない。 やはり彼女は要観察だな」


「……まあ選り好みしていられるほど余裕もないか、ここでおかきちゃんを逃したら他の勢力も黙ってないだろうし」


 宮古野がマウスを動かすと、ディスプレイの表示が切り替わり、13枚のパーソナルデータが映し出される。

 それらは宮古野やおかきを含め、現在SICKが確認しているカフカ症候群の発症者たちだ。


「ここ一年で確実に発生ペースが上がっている、おかきちゃんで打ち止めとは思えないし、今後どんどん忙しくなっていくだろうね」


「だというのに3年かけてろくな解決策も発見できず、いつものことながら世界を守るというのは楽じゃないな」


「まあ人手は増えてるし悪いことじゃな……おっと、そんなこと言ってる間に11号ちゃんと8号ちゃんから連絡だ」


伝承実体くねくねの調伏任務が終わったか、損耗は?」


「嬉しいことにゼロだってさ、おかきちゃんの初登校日には間に合うように帰ってくるよ」


「そうか、そういえば制服の発注はどうなっている?」


「あー……一番小さいサイズ用意したけどそれでも大きいんじゃないかなぁ」


「一度着合わせてみるか、あの2人にも話を通しておかないとな」


 思い思いの時間を過ごしながら、夜はどんどん更けていく。

 おかきが新たなカフカたちと顔を合わせるのは、それから翌日のことだった。

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