夏影のパレヱド(短編集)

古井論理

第一中学校吹奏楽部の夏まつり

 俺たち一中の吹奏楽部、総勢四十五人は、俺も含めた一中に通う多くの生徒の出身小学校である新町小の校庭に来ていた。新町小の校庭は照り付ける日差しによってどうしようもないほどに加熱されて、乾いた砂を踏みしめるとと唸って熱を帯びた砂ぼこりが靴下を襲う。立っているのもつらいような校庭に俺たちが立っているのには、理由がある。夏祭りの目玉イベントの一つとして企画された、地元の歌手・桜田さよ子さんとのコラボ演奏のためだ。顧問の高野先生は妙にハイテンションで中年に差し掛かろうという桜田さんの話を聞いている。見るからに幸せそうなその様子を見ていると、クラリネットパートの先輩たちが背後で雑談する声が聞こえてきた。

「桜田さんは紅白のバックコーラス常連らしいよ」

「紅白の!……バックコーラス……?」

「うん、高野先生がうらやましいって言ってた」

「まあバックコーラスにもかなり技術は要るだろうね」

 そんな会話を聞きながら、俺はステージの組み立て作業に戻っていった。五人しかいないわが吹奏楽部の男子勢は、貴重な労働力として全員ステージ組み立てに駆り出されているのだ。

「室外機の故障でエアコンが付けられないので、冷たいお茶を用意しました」

 そんなアナウンスが入ったが、俺たちが欲しいのはお茶じゃない。体を冷やせる休憩場所だ。

「ああ、あわわ……もどっへいいん……」

 同学年で仲良くしているホルンパートの中原が、疲れ果てた様子で待機用に貸し出された教室に戻ろうとするが、すでにろれつが回っていない。

「お前、それはだめだ。すぐに保健室に行け、あそこなら救護室になってるはずだから」

 中原にそう言うと、中原は力なくうなずいて方向を変えたが、その足取りが心配になった俺は彼に肩を貸すため、咄嗟の判断で作業現場を離れた。

「救護に行きます」

 俺の言葉に、現場の監督をしていたPTA役員のおっさんがうなずいた。俺が置いたフレームを拾いに行くおっさんを横目に、俺は中原を追って走った。

「大丈夫か?ああそうだ、靴は脱げるか」

 見当違いな質問をしながらこの校舎に通っていた頃と同じように保健室直通の引き戸を開け、中原を運び込んで熱中症らしいという説明をする。保健室の中には限られた扇風機が総動員され、フル稼働していた。外で唸っていたセミの声が、あっさりと扇風機の羽音にかき消される。その音は、俺にとっては天の助けを告げる声のようだった。

「遠山君、中原君の状態はわかりました。中原君、こっちのベッドに寝てくれる?遠山君はもう戻っていいよ、ありがとう」

 養護の先生のその言葉とともに、俺は熱気を帯びたグラウンドへと戻った。作業は十分ほどの調整に入って、そして終わった。

「それじゃあ、屋台の準備ができたら始めるからね」

 その言葉とともに、吹奏楽部の面々に四百円分の屋台のタダ券が配られる。

「作業やってくれた人には追加で二枚支給します」

 その発言を聞いて、俺は中原にも渡すよう言ったが一枚百円分のタダ券があと八枚しか残っていない。

「わかりました、他の三人は二枚もらってください。残りの二枚は俺と中原で相談して決めます」

 俺はそう言って、二枚のタダ券を引き取ったのだった。保健室で休んでいた中原は、屋台の営業が始まって十分ほどした頃にやってきた。

「これがお前の分の基本給付タダ券四枚。それから、作業した分のボーナスタダ券が二枚ある。やるよ」

 俺はそう言って、中原にタダ券を六枚渡して言った。

「ラムネ、飲みに行こうぜ」

 その言葉にうなずいた中原を連れて、俺たちは飲み物を売る屋台へ向かった。五十円のラムネを氷水が張られたトレイから二本取り、タダ券を一枚出す。

「おつりは現金で出るけどどうする?」

 屋台のおばちゃんがそう言うのを聞いて、俺はラムネを一本中原に手渡す。中原はそれを受け取り、タダ券を一枚出した。

「まいど」

 その声を背に、ラムネの栓を開ける。シューという音がして、涼しさの滴が栓抜きを押した手に降りかかる。

「ラムネはうまいものに限る、これは夏祭りの鉄則だ」

 中原はそう言って、ラムネを口に含んだ。俺もラムネを口に含み、乾いた口を潤すその甘味と優しい刺激を堪能した。飲み込んだ口がスッとさわやかに感じられて、俺の口は自然と言葉を零していた。

「うまい、最高だな」

「そうだな、最高だ」

 二人で今に笑いあって、それから少し未来の話に入る。

「演奏、がんばれそうか」

「ああ、ラムネを飲めば百人力だ。それに演奏は夕方の比較的涼しい時間だ、なんとかなるさ」

 それは良かった。そうだ、お前も頑張れよ。ラムネを飲みながら互いに声を掛け合って、瓶に少し残ったラムネを一気に飲み干した二人は、追加でペットボトルのお茶を屋台で買うと演奏の準備に入った。残りのタダ券は、演奏後に取っておく。

「こうして演奏できるのも、幸せなことだよな」

「ほんとだよ。来年もラムネを飲みに来たいもんだ」

「演奏しに来るんだろ」

「あはは、そうだった」

 ――このうだるような夏の宴の、そのあとの楽しみに。

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