第四章 波乱の洗礼式

第26話 怪盗エリス参上

 南大陸から帰還してしばらくすると王家から火急の知らせがもたらされ、お父様に家族全員が呼ばれた。


「西のプロイデン王国が攻め入る兆候があるそうだ。既に、国境付近に拠点を構築して、武器や兵糧を運び込む動きが確認されている」


 砂漠の緑化から帰ったと思ったら、今度は戦争の気運が高まりつつあるという。


「あなた、大丈夫なのですか?」

「既に国軍も動いている。それに開拓村が複数ある分、こちらの方が後方支援体制は構築しやすい」


 せっかく開拓村をいくつもおこして国境付近まで街道を整備したのに、隣国と貿易するどころか戦争の補給基地代わりに使われるなんて、なんとも不毛な話だわ。


「お父様。国境に武器や食糧が集められているなら、いっそのことそれを奪ってきてしまえば戦えなくなるんじゃないですか?」

「それはそうだが、そう簡単に奪えるなら苦労はしない」

「デジタルツインにマジックバックを持たせてフライで上空から忍び込めば見つかりませんよ」


 それに、見つかったところで八歳の女の子が歩いていても誰も警戒などしないはずだし、最悪捕まっても命に別状はない。

 それどころか、六万五千人で上空からファイアーボールを叩き込めば一瞬で方が付くでしょうけど、人間相手だとピット・フォールで大規模陥没させた直後にウォーターボールで水没させて混乱させるくらいで許して欲しいわ。


 そんなことを話すと、お父様は困ったような顔をして同意した。


「確かに。だけどエリスにそんなことをさせるのは気が進まないな」

「でもお父様。戦えば多くの領民が死にますし、事前に潰してしまえばブロイデン王国側も決定的な遺恨なく、こちらの要求に応じられると思います」


 もちろん今の時代ならいっそのこと潰して併呑してしまう方が後々スッキリするでしょうけど…そうだわ、食糧と武器を奪ってそのまま空から侵攻してブロイデンの城を水没させてしまえば攻める気も起きなくなるでしょう。


「わかった。だが、くれぐれもエリス自身は安全なところにいるんだよ。というか、イリスと共にしばらく領内の東端の街で過ごしてくれ」


 こうして私はお母様と共に安全な街に退避しつつ、デジタルツインで妨害工作をすることになった。


 ◇


 数日後、ブロイデン王国の東の国境付近に設営された複数の補給基地は、混乱の渦に陥っていた。


「武器と食糧が根こそぎなくなっただと? 馬鹿を言うな! 万単位の軍勢を支える量が忽然と消えてたまるか!」

「しかし、ご覧ください! 現に倉庫は空です。かと言って、誰一人として門を通過した形跡はないと言うのです。まるで幻術にでもかかったようであります!」


 空から夜に乗じて倉庫に侵入したデジタルツインは、南大陸で大量に作った皮のバックをマジックバックにして、倉庫に置かれた品を根こそぎ奪った。

 そもそも兵糧や武器を抱えて飛ぶなど常人には無理な話だし、国宝のような容量のマジックバックが大量に存在することなど想定されていないため、空に対する備えは皆無と言ってよく、全ての拠点で倉庫は空になった。


 その後、また補給されては同じことの繰り返しと考えたエリスのデジタルツインによって、主要な街や村の倉庫も根こそぎ空にされると、ブロイデン王国は各地で暴動が起こるようになった。


 ◇


 もはや収拾がつかなくなった頃、ブロイデン王国の王都にあるエステール城では、各地の状況を聞いて怒号をあげるブロイデン王の姿があった。


「いったいどうなっておるのだ! 入念に準備してきた侵攻計画が破綻するどころか、各地で同時多発的に反乱する始末…くそっ、どこの国の仕業だ!」

「陛下、恐れながら申し上げます。ハイランド王国の国境付近に兵が集まる動きが確認されていることから、おそらくはハイランド王国によるものかと。しかしながら、その痕跡はまったく掴めておりません」


 状況証拠のみで言い掛かりをつけることもできないし、如何なる手であろうと、攻め入ろうとする動きを察知して兵を動員していたハイランド王国に文句を言っても笑われるだけだろう。


「こうなったら玉砕覚悟で…」


 と、ブロイデン王が言い切る前に、それは起こった。


 ズドンッ!


「な、何が起こった!?」


 大きな揺れが起きたかと思うと、窓の外は土の壁に覆われている。


「城とその周囲で地盤沈下が起きました!」

「なんだと!? いったいどういう…」


 ドォオオオオ!


 その直後、まるで滝壺の側にいる様な音が周囲を覆った。


「陛下、大量の水が押し寄せております! 至急避難ください!」


 この後、命からがら抜け出したブロイデン王は、湖の底に沈むエステール城を目の前にして、宰相にハイランド王国への無条件降伏を命じた。


 ◇


 それからしばらく経ったある日、領主館の中庭で山のように積まれたマジックバックを前に、私は高笑いをしていた。目の前のマジックバックはどれも、ブロイデン王国の補給基地や主要な町や村の倉庫にあった武器や食糧でパンパンに膨れている。


「よし! これで当分はカストリアに攻めて来られないでしょう!」

「いくらなんでも、やり過ぎなんじゃないかな。このままだと西国の貴族制度が崩壊して、予定より数百年早く共和制に移行してしまうよ?」

「予定ってあの神様の? でも仕方ないじゃない。戦争なんてしたくないもの」


 そんなやり取りをしていると、お母様とグレイさんが中庭にやってきた。


「お嬢、ブロイデン王国が無条件降伏した。もう帰っていいそうだ」

「無条件降伏? まだ宣戦布告もしていないのに降伏できたのね」

「そんな体裁を気にしている余裕も無くなったようだな」


 ブロイデン王は城を失った挙句に飢えた市民の前にさらされ、こともあろうに敵国とも言えるハイランド王国に亡命してきたという。

 有名無実化した王の無条件降伏に実効性はあるのかと、現在、ハイランド王国ではブロイデン王国の領土をどう扱ったものか検討中なのだとか。なにしろ国軍は事実上瓦解したものの、飢えた市民はそのまま残されているのだ。反乱が自国に飛び火したらたまらない。


「困ったわね。またブロイデン王国の街や村に行って、食糧を返して来ないとまずいかしら」

「それは不味いだろう。誰の仕業しわざかわかったらお嬢が危ない。配給という形で懐柔策に使うしかないだろう」


 盗みの経験もデジタルツインの数の暴力で加速度的に上手くなってしまい、「怪盗エリスよ!」と調子に乗ってブロイデン王国全土の蔵を漁ったのは失敗だったわ。ちょっとは残しておけばよかった。


 こうして、ハイランド王国はブロイデン王国の領土を戦わずして併呑することになり、新領土の割り当てを巡って紛糾することになるのであった。

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