第17話 船乗りと貿易商人

 南大陸のボードルと同様に郊外で一から作ることにした私は、リシュトンの新しい港や倉庫街の建築に精を出していが、その一方で、最後のピースが足りないことに気がついていた。


「箱物はできても肝心の船乗りや貿易商人が不在なのよね」


 そもそも大航海に出られる船も航路もなかったのだから、海路で大規模な貿易をするという概念もないでしょうし、スパイスやチョコレート、コーヒーに上白糖などの商材も知られていない。

 ボードル側で販売体制が整っていても、仕入れする側の準備はゼロと言ってよかった。


「昔の人はどうして船を使って大々的に貿易をしようなんて思いついたのかしら」

「もともと陸路で手に入れていた交易品が、中継する国の版図拡大にともなって貿易を阻害されたことで、海路により迂回しようとしたのが、ことの始まりだよ!」

「…ファルコ、あなた、どこからそんな歴史の知識を引っ張ってきたのよ」

「嫌だなぁ、僕はエリスのヘルプなんだから、エリスの世界の知識も一通り入っているに決まっているじゃないか!」


 なんてことなの! ファルコのデータベースは信じられないほど豊富なのに、ユーザーインターフェースが腐っていて、少しも情報が引き出せていないわ!


「エリス、それは失礼すぎだよ! ちゃんと役に立っているじゃないか!」

「どこがよ! それなら造船技術とか色々教えてくれればよかったじゃない」

「聞かれないことには答えられないよ。それに、人は自分で挑戦することに喜びを感じるって書いてあるよ! 実に尊いと思わないかい!」


 そう言って胸に手を当てて、尊い行いを天使が褒め称えるようなポージングを決めるファルコ。しかし即物的な私はちっとも共感することなく冷たく言い放った。


「そんなの一握りの人間だけよ。そんな意識高い系の記述はドブに捨て去り、手取り早く、イージーに以前の文化的な生活を取り戻すことに協力しなさい」


 はあ。でもまあ、百科事典があるからといってなんでもできるというわけではないでしょうし、早めに気がついてよかったと思うことにしましょう。

 そんなことより、船乗りと商人。いえ、船乗りを養える商人に大陸間貿易でも儲けるということを教えて実行させることを考えるのよ。


「餅は餅屋というし、メイガス商会のビリーさんにでも相談しましょう。それでダメなら商業ギルドで商会を募るしかないわね」


 私は帰ってお母様にチョコレートやフルーツパフェの安定供給のために、再びビリーさんを呼び出してもらうよう、相談するのだった。


 ◇


「ビリーさん、お久しぶりです。今日は布地のリピート以外にお願いしたいことがあって、お邪魔しました」

「いえいえ、エリスお嬢様がお望みであれば、いつでも、最優先で参ります」


 エリーゼのブランドで御令嬢たちの服飾を手掛けるようになって、高級な布地を中心として頻繁にリピートをしていたせいか、いつのまにか優良顧客扱いになったようだ。

 まあ、それは置いておいて、机の上にカストリア領と南大陸を含んだ大きな海路図を広げて見せる。


「最近、この地図にある南の大陸と貿易して、スパイスやカカオ豆、コーヒー豆、上質な砂糖の原料となるサトウキビなどを輸入して、このような嗜好品や料理を楽しんでいます」


 チリン、チリン♪


 私が鳴らす呼び鈴に呼応してメイドがチョコレートやコーヒー、カレーパンやショートケーキをトレーにのせて運んできて、ビリーさんの前に並べる。


「どうぞ。コーヒーは苦いですが、大人の男性であれば砂糖一杯も入れれば十分かと思います」


 そう言って、コーヒーを飲んでみせると、ビリーさんは失礼しますと言って、コーヒーやお菓子を口にした。


「こ、これは! 見たことも聞いたこともないものばかりですが、信じられない美味しさです!」

「南国では、このあたりにはない食材が揃っているので、こういったものも作れるのですよ」


 そう言って、ショートケーキやカレーパンの断面を切り開いて見せる。


「なるほど、素晴らしいですね。それで、私にどういったご用件で」

「私も一応は貴族の娘ですし、直接取引するのは憚れますから、可能であればビリーさんに貿易をしてもらえればと船や港を用意しました。無理でしたら、商業ギルドに…」

「やります! やらせてください!」


 かぶり気味に即答してきたビリーさんに若干引きつつも、再度確認する。


「えっと、船の安全性や耐久性、中継地点の島や南の大陸での港や拠点となる建物に倉庫は用意したのですが、肝心の船乗りがいませんが大丈夫ですか?」

「そこまでご用意いただいて、できない御用商人など存在しませんよ。ひょっとしてリシュトンの新しい港は、このために?」

「ご存じでしたか。はい、お父様にお願いして整備しま…いえ、整備してもらいましたので、その新しい港と隣接する建物に倉庫を使ってください」


 その後、船乗りが集まったら海路や中継地点の建物の確認や、南の大陸の拠点での現地の商人への紹介のため、「エリーゼ」という代理人を通して繋ぎをとる段取りを済ませ、最後に御礼にスパイスを利用した料理を堪能してもらってビリーさんとの打ち合わせを終えた。


 これで、南大陸との貿易が活発になって、魅惑の食材の安定供給にも目処がたったわ!


 ◇


「トッシュ、エリスお嬢様はとんでもないお方だぞ!」


 カストリア辺境伯の邸宅に御用聞きに行ったビリーは、帰ってくるなり開口一番で辺境伯令嬢を褒め称えた。


「今度はどうしたんです? また金貨千枚単位で最高級の布でも受注したんですか?」

「そんな生易しいものじゃない。これを見ろ!」


 そう言って、ビリーは辺境伯邸で渡された海路図をトッシュの前に広げて見せる。


「これは、まさか地図ですか!? こんな詳細なものをよく渡してくれ…って、この南にある陸はなんです?」

「南に別の大陸があって、そこと交易、いや貿易してくれと言われた」

「はあ? この縮尺通りなら、王都までの距離の十倍はありますよ?」


 そんな距離、往復どころかたどり着けるわけがない。


「それが、途中、九箇所にある島に港と建物を建設して、往復できる船まで用意したそうで、すでに貿易しているそうだ」


 ビリーはそう言って、お土産にもらったコーヒー豆やチョコレートを出して見せる。食べてみろと促されるままに、トッシュは板状のチョコレートを含むと、今まで味わったこともないような少し苦さを感じさせる芳醇な甘さが口の中に広がった。


「な、なんですか! このお菓子は。こんなの見たことも聞いたこともない!」

「その原料となるカカオ豆が、南の大陸にあるらしい。このコーヒー豆もクセになる香りだぞ」

「いや、しかし、そんな船や港なんて…あ、リシュトンですか?」

「そうだ! あれと同等のものが、島と向こう岸に十箇所あるから、向こうの商会と繋ぎをつけるから貿易を代わりにしてくれだとさ」


 ビリーの言葉にトッシュは固まる。詳細な海路図に船と港と向こう岸の拠点に商人との繋ぎまで面倒を見てくれる? 詐欺でもそこまで大風呂敷を広げはすまい。


「いやいやいや、そんなうまい話あるわけないでしょ。そんな販路、商人なら手放すはずがない」

「よく考えてみろ。エリスお嬢様が、いつまでもそんな商人まがいのことをしていたら不味いだろ」

「あ、なるほど…って、そんなことまでできるんですか! 確か七歳でしょう!?」


 ありえない! そう叫びたいところだが、辺境伯の御令嬢に御用商人を陥れる動機も考えられない。


「それに嗜好品だけじゃない。スパイスってやつが輪をかけてやばい。肉やスープ、それにパンですら別物に早変わりだ! あんなの、駆け出しの小僧にだって売れるぞ!」


 驚きと喜びがないまぜになったビリーと信じられない思いで聞いていたトッシュは、後日、用意された貿易船の性能と、中継点となる島の設備、それから南大陸の港町ボードルにおける「エリーゼ」の人脈と販路の広さに、さらに仰天することになるのだった。

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