なんでもこなす凄腕メイドと、好奇心旺盛なお嬢様

みゃあ


 ――メイドの朝は早い。



 陽が昇る前に目を覚ました私は、毛布をのけて、うんと大きく伸びをした。するとなんだか肌寒い。


 「そうだった。湖畔にいたんだった」


 辺りは真っ暗だが、夜目がきく私にはわかる。視界の先には見渡す限りの湖が広がっていて、水面を霧が覆っていた。


 昨日、お嬢様がおっしゃられたのだ。「おっきな湖で魚釣りがしたいっ!」と。

 私はそのリクエストに応え、こうして湖を訪れたのだが……結局、一匹も釣れずじまい。

 素潜りで魚を捕まえて、針にひっかけて差し上げて、疑似釣り体験でも楽しんでもらうべきだったか。

 

 「釣れてなくても、楽しそうにしていらっしゃったけれど」


 なにごとも、経験に勝るものはない、と言う。釣れない経験をしたあとは、釣れる経験をしていただいて、もっと喜んでいただきたいと思う。

 私は心の中でそんな風な誓いを立てつつ、隣を見やった。

 そこにはこの湖畔に不釣り合いな、天蓋付きのベッドが置いてある。私の格納魔法で持ってきたものだ。

 私は同じく不釣り合いなベッドを降り、こっそり近づいていく。手を伸ばすと、透明な壁にぶち当たった。

 

 「防壁の魔法はきちんと機能してるみたいね」


 四方まできっちりと張り巡らされているそれは、私が使った魔法だ。これさえあれば、どんなに強い攻撃だろうと通すことはない。

 と、肝心のその内部では、小柄なシルエットがひとつあった。


 「すぅ……すぅ……」


 規則的な寝息をたてて、眠っていらっしゃる。あどけない寝顔が、とても愛らしい少女。

 私が普段から仕えている、アレイシアお嬢様だ。

 辺りはまだ暗闇に包まれているというのに、そこだけが陽の光に照らされてでもいるかのように、眩く輝いて見える。

 実の両親でもあれば頬ずりもしたくなるだろうけど、私はしがないメイド。触れていいのは許可が出た時だけ。


 「…………」


 ずっと眺めているのもまた、失礼に当たるだろう。

 私はくるりと踵を返し、自分の使ったベッドを格納魔法で戻していく。着ていた衣服も同じ要領で戻し、生まれたままの姿になる。

 眠気覚ましに、水浴びでもしようと思い立ったのだ。


 「…………」


 足先に触れる水が、冷たい。首元まで浸かり、全身を清めていく。

 身だしなみに気を配るのも、メイドのたしなみだ。お嬢様のおそばを歩くのだから、不潔な格好などしていられない。


 水浴びを終え、身体についた水滴を、取り出したタオルで拭っていく。格納魔法を使い、姿見を取り出すと、身支度を済ませることにした。

 使用人たちが支給されているエプロンドレスを身に付け、櫛で髪を整えた。頭にブリムをつけ、ぱちんと頬を叩く。


 「よしっ」


 メイドとしてのスイッチに切り替えた私は、仕事に取り掛かることにした。

 一度、転移魔法を使い、お屋敷へと戻ることにする。仮になにかがお嬢様に近づいてきたとしても、私には感知魔法もあるので、問題はないだろう。

 

 「…………」


 お嬢様のお部屋は、カーテンが閉め切ってあるために、暗かった。思いきり開け放つと、ほんのりとした日差しが降り注いでくる。

 やはり、向こうとは多少の時差があるか。朝食の時間に間に合うように、お嬢様を起こす必要がある。


 脳内で時間の逆算をしつつ、クローゼットを開け、今日一日身に付けるであろうドレスのチェック。糸のほつれなどがないか、念入りに見ていく。

 それが終わり次第、洗面器に水を張り、新しいタオルを用意する。起床したお嬢様の、お顔を綺麗に整えるためのものだ。

 近くにあるテーブルにまとめて置き、今度は床に危ないものが落ちてないか、ほこりやゴミがないかをすみずみまで確認していく。羽虫一匹、生かしてはおかない。

 

 「……ふぅ」


 一仕事終えたとばかりに、私は息をついた。ちょうどいい頃合いだろう。

 転移魔法を使い、湖畔へと戻る。お嬢様はまだ夢の中にいらっしゃるようだ。


 「お嬢様、起きてください」

 「ん……んっ……」


 私の声に反応するように、お嬢様が寝ぼけ眼をこすりながら、寝返りを打った。

 閉じていた瞼をうっすら開いていき、ぼんやりした瞳が、私の姿を捉えていく。


 「……あいしゃ……?」

 「おはようございます、アレイシアお嬢様」

 

 その舌ったらずな言葉に、思わず私の頬が緩んでしまった。すぐさま引き締めようと試みるけれど、それより先にお嬢様が笑った。


 「アイシャ、笑ってるっ」

 「……申し訳ありません、無様な姿をさらしてしまって」

 「そーいうこと、言っちゃダメ。笑ったアイシャ、もっと見たい」


 私の笑顔など褒められたものでもないのに、お嬢様は嬉しそうにせがんでくる。さすがに恥ずかしいので顔を上げ、空を見上げた。

 辺りはまだ暗い、けれど、向こうはそろそろ朝食の時間だ。もたもたしてるわけにはいかない。

 天蓋付きのベッドを収納し、ふわりと宙に浮いたお嬢様を抱きかかえる。


 「アイシャ?」

 「お屋敷ではそろそろ朝食の時間ですから、帰りましょう」

 「うんっ、分かった!」


 満面の笑みを浮かべるお嬢様に癒されながら、私は転移魔法を使った。

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