3話 異変

 キラータイガー。赤色の地に黒のまだら模様をしている、牙の長い虎だ。

 爪も牙も鋭くてちょっとの鉄くらいなら貫通させてしまう上に素早いという、出会ったら死を覚悟しろと言われるほどの存在。なんでこんな所にいるんだ。


 慌ててぼくたちは声を抑えながら離れようとする。だけど、その判断は遅かったようだ。キラータイガーはこちらを向いている。気づかれた。逃げるか?


 いや、キラータイガーの足はぼくたちよりはるかに速い。ただ逃げるだけでは追いつかれて終わりだ。


「カタリナ、ぼくが足止めするから早く逃げて!」


「あんたなんかに足止めできるわけないでしょ! こうなったら戦うしかないわ。ユーリ、しっかりしなさい」


 覚悟を決めた顔でカタリナは弓を構える。

 カタリナが逃げないというのならぼくも逃げるわけにはいかない。カタリナを見殺しにするなんて絶対にダメだ。ぼくも戦うことに決めた。

 幸いにもキラータイガーは様子を見ているようで、ぼくたちにゆっくりと近づいてくる。今のうちにどうにかする手段を考えないと。


 でも、どうしよう。正面から戦って勝てる相手じゃない。足場をぬかるませるには時間が足りない。キラータイガーのスピードでは溺れさせるのも現実的じゃない。

 ぼくが何とか時間稼ぎをできれば、カタリナが弓を当ててくれるかもしれない。

 だったら、カタリナとキラータイガーを引き離しつつ、ぼくが耐え忍ぶことが現状では一番ましだろう。

 そう判断したぼくはキラータイガーを引き寄せることにする。


「カタリナ、ぼくから離れておいて。うまく隙を見つけたら、キラータイガーに攻撃してくれ」


「あたしは失敗なんてしないんだから、あんたは自分が死なないように気を付けることね。せいぜいあたしの盾になってて頂戴」


「わかった。カタリナ、頼んだよ」


 カタリナが離れたことを確認した後にぼくは剣を構えて、キラータイガーに向けて大声を上げることでキラータイガーの注意を引き付ける。

 ぼくに気を取られたキラータイガーは、ぼくに向かって走り出す。

 思っていたより速い。それにまっすぐ動いてくれない。これじゃカタリナがうまく矢を当ててくれる可能性は低い。

 キラータイガーは、素早く前足の爪でひっかいてきたり、噛みついてきたり、後ろ足で蹴り飛ばしたりしてくる。ぼくは何とか避けていた。

 カタリナにこいつを倒してもらうためにも、どうにか足を止めてやらないと。


 でも、キラータイガーの攻撃を避けることに精いっぱいで、とても近くで足を止めさせるなんて事はできそうにない。今何とか攻撃に対処できていることさえ出来過ぎだと思えるくらいだ。


 カタリナの様子をうかがうと、明らかに狙いが付いていない。このままではじり貧だ。

 だからといってキラータイガーの攻撃を剣で受け止めることなんてできそうにない。剣ごとぼくがやられておしまいになるだけだろう。


 いや、受け流せばいいのか? 攻撃を避けながら、その思い付きをどうにか形にできないか考える。敵の攻撃がすべるようにするために、剣をアクア水で包み込むことにした。


 覚悟を決めて、一か八かアクア水を剣のある場所に出現させて、キラータイガーの爪を少しずらして受け止める。ぼくは大きく体勢を崩したけど、一撃だけ受け流すことに成功する。


 何とかうまくできた。だけど、これが何度も成功するとはとても思えない。

 運がいいことに、キラータイガーは困惑したのか攻撃をいったんやめ、動き回りながら様子見に入った。

 でも、とてもではないけど、剣でキラータイガーの攻撃をしのいでどうにかできるとは思えなかった。


 なら、別の方法だ。剣でどうにかできない以上、ぼくの手札はアクア水しかない。


 だけど、どうしよう。顔面にアクア水を出現させても、うまくいっても攻撃が一瞬遅れるだけだ。ただの水では目潰しにもならないだろう。


 いや、目潰しならできるかもしれない。アクア水だけではだめでも、土を一緒に飛ばせばどうだ。洗い流されるだけか?

 だったら、泥を飛ばすべきだろうか。多くの水はすぐに浸み込まないから、多くの土を泥にはできないけど、少しだけの水なら素早く移動させられるから、目に入るくらいの量なら泥にできるはず。それを剣で飛ばせば行けるか?


 考えをまとめたぼくは、地面に少しだけアクア水を出現させる。

 キラータイガーが次に狙ってきた時がチャンスだ。ぼくは濡れた地面に剣が届く範囲を維持しながら、キラータイガーの動きを見守る。すぐにキラータイガーはぼくに駆け寄ってくる。


 今だ! ぼくは剣を振り上げてキラータイガーの目に向かって泥を放つ。

 キラータイガーは少しひるんだ。当たったのか? ぼくは緊張しながらキラータイガーの様子を見る。

 キラータイガーはその場にとどまり、目を擦っている。今がチャンスだ!


「カタリナ、お願い!」


「わかってるわよ!」


 そう言いながら、カタリナはすでに弓を撃っていた。流石はカタリナ!

 当たってくれ。そう祈るが、なんとキラータイガーはすべての矢を前足を素早く振って弾いてしまう。注目されていなかったのに!

 

 そしてキラータイガーは矢の飛んできた方向、つまりカタリナのほうを向く。

 まずい。接近されたらカタリナに打つ手はない。カタリナは接近戦もできるけど、さすがにキラータイガーを相手にできるほどではない。


 だけど、ぼくが考えるような手でキラータイガーをどうにかできるとは思えなくなっていた。このままではカタリナがやられてしまう。

 でも、ぼくには名案は思いつかなかった。

 キラータイガーがカタリナに向かって駆け出したとき、ぼくは破れかぶれでキラータイガーの顔面に向かってアクア水を出した。

 それを受けたキラータイガーは少し水を飲んだくらいで、ほんの少しの間足を緩めるくらいにしかならなかった。


「カタリナ! 逃げて!」


 ぼくが思わずそう叫ぶと、突然カタリナを目の前にしたキラータイガーが足を止める。

 なぜか少しの間だけ苦しんだ様子を見せると、キラータイガーはぼくたちの前から去っていった。

 見逃された? 最後に様子がおかしかったからそのせいだろうか。思わず力が抜ける。息を整えていると、大事なことを思い出す。


「そうだ。カタリナ、大丈夫?」


「ええ。まったく、あんたが不甲斐ないからあたしがこんなに追い詰められることになるのよ。少しは反省しなさい」


「そんなに減らず口が聞けるのなら大丈夫そうだね。よかった。二人とも無事でいられて」


 本当に運が良かった。いや、悪かったのかな?

 なんにせよ、ぼくたちは窮地を脱したようだ。何が何だったのかは分からなかったけど、お互い大きなけがもないし、そこだけは良かった。


 だけど、ぼくの胸の中には苦いものが残った。

 ぼくが何をしてもあいつには通じず、ただ翻弄されただけだった。あいつが気まぐれを起こさなければ、ぼくもカタリナも無事ではいられなかった。

 完敗だった。もっと強くなりたかった。ぼくは、アクア水の使い方をさらに訓練することと、剣の腕を磨くことを誓った。


「カタリナ、帰ったら先生たちにこのことを報告しよう。そのあとは、少し休みたいかな」


「そうね、さすがに疲れちゃったわ。まさかこんなことになるなんてね。他の人たちにも注意してあげる必要があるでしょうね」


「そうだね。さすがにキラータイガーは生徒だけでは倒せなさそうだし」


 ぼくたちはそれから学園に戻り、ちょうどその場にいたステラ先生に事の顛末を報告する。


「キラータイガーですか。ここ数年このあたりに出現したということは無かったはずです。

 いえ、それよりもできるだけ早く皆さんにこの情報を伝えて、山に入ることも避けさせたほうがよさそうですね。

 ユーリ君、カタリナさん、よく無事に戻ってこられました。おかげで、だいぶ被害を少なくすることができそうです。事前情報なしにキラータイガーとぶつかっては、太刀打ちできる人は多くありませんからね」


 それから、教師陣にこの情報が伝えられ、急いで生徒たちは呼び戻された。

 幸い、他に被害者が出る前に生徒たちは学園に戻ることができたみたいだ。先生たちは大忙しという様子で、今日の授業はこれで中止になり、実習で使う山には封鎖が行われた。


 キラータイガーに対処する人員を呼び寄せるためには、10日ほどかかるようで、それまで、学園の外での実習は行われないこととなった。


 それから、ぼくは家に帰った。アクアが出迎えてくれたが、ぼくはあまり相手をすることができなかった。その様子を見たアクアが、心配そうにぼくに声をかける。


「ユーリ、なにかあった?」


 何も知らない様子でぼくに問いかけるアクアにぼくは今日あったことを話す。

 キラータイガーに出会った事。ほとんど何もできずに殺される寸前だった事。なぜか見逃された事。それによってとても悔しい思いをした事。

 黙ったままぼくの話を聞いていたアクアは、ぼくが話し終わった後にぼくに抱き着いた。


「ユーリ。アクアはユーリが無事ならそれでいい。今度はアクアを連れて行くといい。アクアがユーリを守ってあげる」


「ありがとう、アクア。でも、ぼくは自分だけでもどうにかできるように、もっと強くなりたいんだ。アクアが一緒に戦ってくれるのはうれしいけど、アクアに任せきりにはできないよ」


「わかった。それでも、ユーリはアクアのことを連れていくべき。アクアの知らないところでユーリが死んじゃったら、アクアにはどうにもできない。

 それに、ユーリと一緒にいられる時間も増やしたい。ペットと一緒にいるのは飼い主の務め」


「そうだね。じゃあ、今日はアクアの服を買ってくるね。次から一緒に行こうか」


「ん。じゃあ、首輪も買ってきて。ペットの証」


 アクアにねだられてしまったので首輪も買うことにする。アクアはぼくに触れても濡れたりしないし、服でも同じだろうから、普通の服でいいか。

 ぼくはアクアのサイズを測り、服屋に行って女の子の服を買いそろえる。

 店員さんに変な目で見られたけど、アクアのことを知っている人だったので、アクアの進化について伝えると、似合いそうな服を見繕ってくれた。


 帰ってアクアに買ってきた服を見せると、少しだけ着てからすぐに脱いでしまった。

 せっかく買ったのに。不満を感じていると、顔色を変えずにアクアは説明する。


「やっぱり服は窮屈。外でだけ着る」


 まあ、外出先で着てもらうために服を用意したので、外だけでも着てもらえるならいいか。


 それから、ご飯とお風呂を済ませて横になっていると、突然恐怖が襲い掛かってくる。

 あと少しで死ぬところだった。またこんな事があったらどうしよう。震えていると、アクアがベッドに入ってくる。


「ユーリ。怖いなら一緒に寝る。怖くなくても一緒に寝る」


 アクアが一緒にいてくれるのがありがたかった。

 そのまま抱き着いてくるアクアと横になっていると、安心感が湧き出てくる。

 アクアとくっついているといつもやすらぐ。今日も落ち着いて寝られそうだ。


 そうして次の日に学園へと向かうと、とんでもない知らせがあった。


「みなさんに残念なお知らせです。カイン君が亡くなりました」

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