第35話 やんごとなき竜のどうにもならない事情

 リリアーナが目を覚ましたのは、竜の襲撃から丸一日経ったあとのことだった。

 祝福が使えたことが嬉しい反面、練習したにもかかわらずまだ寝込むほどなのかとリリアーナはがっかりしたが、


「一度目が三日、二度目が一日なら、三度目は半日か数時間くらいで済むでしょう。四度目五度目ともなれば……寝込むこともなくなるのでは?」


 と、わざわざ隣町から出張してきてくれたフィガロからお墨付きをもらうことができたので、練習の成果はそれなりにあったらしい。

 三度目がいつ必要になるかはわからないが、ひとまず練習は続けようとリリアーナは思った。


 彼女が一番心配していた、ハリーやシュタッヘルの人々の安否だが、幸いなことに死者はゼロ。

 竜と戦ったハリーをはじめ数名がけがをしたそうだが、ハリー以外の怪我人はすべてコサージュを持っていなかった人だったそうで、幸運のコサージュのうわさにさらなる尾ひれがつきそうである。


「ノヴァが言うには、ハリー様自ら『あの程度のけがで済んだのはコサージュのおかげだ』と喧伝けんでんしているようだし、ますます注文が殺到しそうね」


 コサージュのおかげでは絶対にない。

 ハリーのけががあの程度で済んだのは、彼のたゆまぬ努力と胡蝶一族に伝わる剣舞のおかげである。


 やれやれと、リリアーナは頭を振った。

 ハリーの過保護も、困ったものである。


「わたしが聖女だと知って、みんなが遠巻きにするんじゃないかって心配しているのよね」


 ハリーは、リリアーナが今の生活──茨の城での穏やかな時間やシュタッヘルでのにぎやかな時間──を大切に思っていることをわかっている。

 それで彼は、リリアーナとシュタッヘルの人々の仲を取り持とうと必死なのだ。


「ありがたいけれど……ノヴァが苦笑いするほどってどうなのかしら」


 お見舞いに来たノヴァから、わけ知り顔で肩をトントンされたのは昨日のことである。

 がんばれなのか、はたまたドンマイなのか。

 とりあえず彼は友人のままでいることにしたらしく、これからもどうぞよろしくと改めて握手を求められた。

 いつか恋人になってくれと言われたら友人を失うのだろうかと内心焦っていたリリアーナは、ノヴァの申し出に笑顔で手を握り返したのだった。


「それにしても……あの時聞こえた女の人の声。あれは、なんだったのかしら……?」


 やわらかくて、やさしくて、野薔薇のように素朴な声だった。

 思い出そうとすればするほど記憶は曖昧になって、今はもう、うっすらと耳に残っている程度である。


「かわいそうでかわいいあなた、なんてわりと失礼なことを言われていた気がするけれど。不思議と落ち着く響きだったな……」


 言葉の端々にまで、愛が詰まっていた。

 だから、失礼なことでも嫌だと思わなかったのだ。

 むしろ、親しいからこその気安さを感じた。


青薔薇ローズブルーを許した……か」


 考えないようにしていたが、それが答えなのだろう。

 女神ローゼリアが唯一、青薔薇を許した聖女。


(それが、わたし)


 他の誰でもなくリリアーナを、女神は選んだのだ。


「まだ実感はない。でも……」


 竜の襲撃以降、薔薇の色は徐々に変わりつつある。

 ハリーが近くにいた時は特に顕著に出て……。


「リリアーナ、準備はできたか?」


 窓から外を見ていたリリアーナは、弾かれるように後ろを振り返った。

 彼にそんなつもりはないだろうに、図星をさされたかのような気まずさを覚える。

 ごまかし笑いを浮かべつつ、


「はい、大丈夫です」


 とリリアーナは答えた。


 目を覚ましてから、数週間。

 過保護なハリーが「まだだめ」「もう少し」「あと一日だけ」と心配そうに、時に甘えるように駄々をこねながらリリアーナを部屋から出してくれなかったので、今日は久しぶりの外出となる。


(格好は……大丈夫よね?)


 ハリーお手製の濃紺のドレスを着て、シックに髪を結い上げたリリアーナは、いつもよりも大人びた雰囲気をまとっている。


 もうそこに、ないない尽くしの令嬢はいない。

 人々を守ることができたという事実が、彼女に自信をつけさせたのだ。


「見掛け倒しにならなければいいのだけれど」


 今日はこれから、大事な約束が待っている。

 リリアーナの回復を今か今かと待ち侘びていた者たちが、彼女を待っているのだ。


「無理はしなくてもいいのだぞ? こわいのなら、先送りにしても……」


「ハリー様、またですか? 何度も言いましたが、ハリー様が一緒なら心配いりません。それに……こういうものは、早めにした方が双方のためです」


 むしろ遅いくらいだと、リリアーナはこれ見よがしにため息を吐いた。


 リリアーナとハリーは、先日起こった襲撃事件の犯人……ならぬ犯竜の仲間たちと会うことになっていた。

 どうしてそうなったのかというと──、


「でもまさか、襲撃してきた竜が認知症だとは思いもしませんでした」


 そうなのである。

 見た目からはまったくわからなかったが、襲撃してきた竜はシュタッヘルの建国よりもはるか昔から生き続けるおじいちゃん竜で、じわじわと認知症が進行中らしい。

 かつては竜の代表をつとめていたほどの強竜も、年齢には敵わないようだ。


 体内時計が狂い、竜の休息日のことをすっかり忘れた彼は、二度寝する仲間たちが殺されたと勘違いし、一番近い街であるシュタッヘルに復讐することを決意。

 その結果、ハリーが応戦することとなり、リリアーナは青薔薇の祝福を使うに至った──というわけである。


「襲撃してきた竜がリリアーナの青薔薇の祝福によって怒りを静めたあと、竜を探してフランツェ山脈中の竜たちが押し寄せてきた時は死を覚悟したな。降りてくるなり土下座されて、かなり混乱した」


「そうでしょうね」


 リリアーナも倒れていなければ、ハリーと同じように混乱していただろう。


(ベッドの上で聞かされた時、クラッとしたもの)


 ハリーだからこそ、冷静に対処できたのだ。

 彼が竜の言い分に耳を傾けてくれたから、今こうしてリリアーナは竜と会うことができる。


「彼らは今回のわびと礼にできることはなんでもすると言っていたが……リリアーナは何を願うつもりなんだ?」


「……ハリー様。わたしって、おともだちがノヴァしかいないじゃないですか。だから……おともだちになってくれませんかってお願いしてみるつもりです」


「本気か?」


「本気です。おともだちなら傷つけることはないし、困ったことがあったら助け合うものでしょう?」


「さぁ行きましょう」とリリアーナは歩き出す。

 ハリーは「異種族キラーめ」とか「人型じゃないから対象外だよな? そうだと言ってくれ」とかブツブツ言いながらついてきたが、緊張しているリリアーナは言葉の意味まで考える余裕がないのだった。

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