第22話 聖女の友人
「おねえさん。黒薔薇の聖女様って、どんな人?」
夏が終わり、日増しに秋の色が濃くなってきた。
茨の城に植えられたクヌギの木には、青々とした実がなっている。
クヌギの花言葉は、母なる木。
どっしりとした佇まいには包容力がありそうで、肝っ玉母ちゃんといった風である。
もっと寒くなったら木の実は茶色に染まって、ポトリと地面へ落ちるのだろう。
丸々としたドングリは拾って瓶に詰めたらかわいいだろうなぁと、ティーカップを片手に立派な木を見上げていたリリアーナは、ノヴァからの突然の質問にお茶を吹き出しそうになった。
「けほっ。え、どうしたの? 突然」
「突然っていうか……僕、何度も来ているけど見たことなかったなーっと思って」
見たことないもなにも、目の前にいる。
だが、まだ伝える勇気は出ないし、伝えてしまったら、目の前の小さな友人が離れていきそうで言えない。
だって、生まれて初めてできたともだちなのだ。
経緯はどうあれ、リリアーナとしてはこの縁を大切にしていきたいと願っている。
「……そうだった?」
「うん」
白々しかっただろうか。
不安に思ってこっそりノヴァを盗み見ると、紅茶のカップに三個目の角砂糖を投入しているところだった。
考え事をしているのか、唇がちょっとだけ突き出ている。
(アヒルみたいでかわいい)
外でお茶をするのにちょうどいい時期だ。
ようやく完成したレースのクロスを使うため、外でお茶の準備をしていたリリアーナは、遊びに来ていたノヴァを誘った。
まずは友達からと言ったノヴァは、それ以来毎日リリアーナのところへ遊びに来ている。
短い時は十分くらい、長い時でも一時間くらい。
彼が言うには、毎日ちょっとでも会って言葉を交わすのが、仲良くなるためのコツらしい。
土曜日と日曜日は果物屋の手伝いがあるそうで、午前中にちょっとだけ顔を出しにくる。
今日は土曜日で、ハリーは買い出し中。
いってきますと出かけて行ってからだいぶ経つから、そろそろ帰ってくる頃だろう。
きっとハリーと入れ違いになるかたちで、ノヴァは
(ノヴァはハリー様が苦手みたい)
どういうわけか、ノヴァはハリーを避けている。
男の子なら騎士に憧れそうなものだけれど、とリリアーナは不思議でならない。
(綺麗すぎて臆してしまうとか? でも、初めて会った時はふつうに見ていたよね?)
ハリーは、とても親切だ。誰にでもやさしいし、礼儀正しい。
嫌われる要素なんて、リリアーナには思いつかなかった。
きっと相性が悪いのだろう。
そういうこともある、とリリアーナは思うことにした。
ノヴァは、リリアーナが
会う時間が短いのは、仕事の邪魔をしないようにという彼なりの気遣いなのかもしれない。
(うぅ、なんだか申し訳ない気持ちになるわ。だってわたし、聖女らしい活動は何一つやっていないのだもの)
花の聖女は、花の祝福によって人々を助けることが使命である。
とはいえ、リリアーナは黒薔薇の聖女。国からはなんにも期待されていないし、なんなら一生祝福を使わないまま、おとなしくしていてくれと思われているに違いない。
戦時中ならまだしも、終戦してからだいぶ経つ。
周辺諸国との国交も順調な今、黒薔薇の祝福は争いの種になるだけなのだ。
それをいいことにリリアーナは、ハリーにすべてを委ね、ぬくぬくと自堕落な──料理や手芸など今までできなかったことを少しずつ教えてもらって、リリアーナとしては大変充実した時間を過ごしている──生活を送っている。
未だ自分の能力である黒薔薇の祝福を受け入れられず、訓練すら放棄している状態だった。
(さすがにこれは、良くない……よね?)
十歳のノヴァでさえ家の手伝いをしているのに、十六歳のリリアーナがこれでは、示しがつかない。
模範になれるような器ではないが、せめて友人として対等であるべきなのではないか。
(年上のおねえさんとして、もう少し……頑張った方がいいのかも)
情けなさにしょんぼりと肩を落とすリリアーナ。
そんな彼女に、思うところがあったのだろう。ノヴァは言いづらそうにモジモジしながら、口を開いた。
「もしかして……黒薔薇の聖女様のこと、話したくない?」
「そんなこと……」
言い淀むリリアーナに、ノヴァが悲しそうな顔をした。
きっと、リリアーナもその他大勢と同じだと思われたのだろう。
黒薔薇の聖女を疎ましく思う、人たちと。
シュタッヘルは、変わっている。
どこへ行っても嫌われ者の黒薔薇の聖女が、この街においてだけは、英雄として扱われている。
フランツェ山脈に生息している竜たちから街を守ってくれる守護者。
それが、シュタッヘルにおける黒薔薇の聖女だ。
シュタッヘルに生まれ、シュタッヘルで育ったノヴァは、黒薔薇の聖女に憧れを抱いている。
(艶やかな黒髪に、抜けるような白い肌。少し影がある雰囲気がありながら、慈悲深さは他の聖女の追随を許さない……だっけ?)
王都の誰もが知っている黒薔薇の魔女とは、かなり異なる。
一体どちらが本当の彼女たちだったのだろうと、リリアーナは不思議でならない。
家の趣味を見るに、シュタッヘルの方が正しいような気もするが。
「おねえさんも、黒薔薇の聖女様のことが苦手なの?」
不安そうに眉を寄せるノヴァに、リリアーナは「そんなことないわ」と首を横に振った。
「王都にいた時は苦手だったけれど……でも今は、好きだと思っている」
その言葉に、偽りはない。
しっかりと目を合わせて断言すると、ノヴァはホッと息を吐いて、
「じゃあ僕たち、おそろいだね」
と嬉しそうに手を握ってきた。
ノヴァの手を握り返しながら、リリアーナは思う。あの頃に比べたら、できることが随分と増えたな、と。
令嬢らしく刺繍やレース編みができるようになったし、料理だってできるようになった。
以前は自分を戒めるためにたびたび手の甲へ爪を立てていたものだが、最近はそれもなくなり、少しずつ傷跡は薄くなりつつある。
自分のことを苦手だとは思わない。
好きか嫌いかと聞かれたら、厳密に言えば好きではないけれど、前よりは好きになってきたように思う。
(それはきっと、ハリー様のおかげ)
ハリーがリリアーナを大切に扱ってくれるから。
だからリリアーナは、上等で繊細なお菓子にでもなったような気分になって、自分のことをぞんざいに扱えなくなった。
(だからそろそろ……目を向けなくてはいけないわ)
目を逸らし続けてきた、黒薔薇の聖女と、黒薔薇の祝福に。
小さな友人と、友人であり続けるためにも。
「あ。いけない、そろそろ時間だ! ごめん、リリアーナ。聖女様の話は、また今度ね!」
「ええ、またね」
走りながら手を振るノヴァに「危ないわよ」なんてお姉さんぶって声をかけつつ見送る。
ハリーが帰ってきたのは、それからすぐのことだった。
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