第6話 甲虫

 

 モーガンは後悔していた。

 いつものように、女受けする笑顔を振り撒かなければ良かったと。


 ベッドの上に座り、顔を赤らめながら隣に座るよう促すメイドに、モーガンは少なからず鼻白んだ。

 情報を聞き出しやすくするために自身の顔を使うことはよくあるが、断じて事件関係者と関係を持ったことはない。

 ……まあ、事件が終わった後は例外だが。


 確かにこの部屋はメイド専用のため、見たところベット以外に座る場所はない。

 しかし、向かいにもう一つベッドがある所を見ると、彼女の同室者が居るはずなのだが……。


「あ、一緒の部屋の子は先週辞めちゃったので、この部屋私しか使ってないですよ。だから安心してください」


 モーガンの視線から疑問を感じ取ったのか、メイドがにこりと笑いながら言う。


「そうですか……では、遠慮なく」


 一体何を安心するのか、と思いながら、モーガンは同室者が使っていただろうベッドに腰かけた。

 メイドは少しムッとしたような顔をすると、ぷいっと顔を背けた。


「それで、お話とは?」


 このまま拗ねられて情報が得られなければ本末転倒だ。

 モーガンは努めて優しげな声を心掛けて聞いた。

 両腿の上に腕を置き、少し背を屈める。

 かなり身長が高いモーガンだ。

 そうすることで、メイドと視線を合わせた。



 モーガンに真っ直ぐ見つめられ、メイドはほんのりと顔を赤らめると、満更ではない様子で口を開いた。


「アデルお嬢様とミルヴァスさんの件で、話があって。あ、私はリンジーと言います。リンジー・ビートル。リンジーで構いません」

「では、リンジーさん。あなたは何をご存じなんでしょうか」

「私、見ちゃったんです。あの2人がこっそり密会してるとこ」



 ——————


 私は普段、アデルお嬢様の身の回りのお世話をしてるんです。

 だから、これまではマリーの指示で動くことが多かったです。


 あ、はい、そうです。

 マリーとは仲が良かったです。

 一応私の上司っていう扱いでしたけど、年も近かったし。

 実家はそこそこ大きな商会で……知ってます? ビートル商会。

 ご存じですか、ありがとうございます。

 そうです、蒸気機関船で他国と貿易をしてる、あそこです。

 商売柄、よく実家から他国の珍しい物が送られてくるんですけど、マリーはそういう物が好きみたいで。

 南国の置物とか、東の国のお香とか。

 いくつかそういう物をあげていました。

 私はあまり興味がなくて。

 なんていうか、あんまり洗練されてないじゃないですか。

 でもマリーは、ああいうのが好きみたいだったから。

 そんなことが何回かあって、私とマリーはとても仲良くなったんです。

 マリーはとても聞き上手でしたし、私はマリーになら何でも話していました。


 だから……。

 本当は主人に逆らうようで言うべきではないのかもしれないですけど、どうしてもアデルお嬢様が許せなくて。



 あれは、マリーたちがレイムス湖に行く前日のことです。

 たぶんレイムス湖に行く注意事項とかだったんだと思いますけど、マリーが旦那様に呼ばれて、旦那様の執務室に行っていた時です。

 アデルお嬢様がお部屋にいらっしゃる時は、呼ばれるまで行かないことになっているんですけど、その時はちょっと急ぎの要件があって、アデルお嬢様のお部屋に行ったんです。

 すると、中からミルヴァスさんの声が聞こえて……。


『いつになったらマリーと別れてくれるの』

『もう少し待っててくれないかな……。僕が愛してるのは君だけだから』


 そう聞こえたんです!

 私はもう本当にびっくりして、思わず何も言わずに走り去ってしまいました。


 まさか、2人がマリーを騙して裏切っていただなんて、本当に驚いて、同時にとっても悲しくなりました。

 マリーが憐れで、不憫で仕方なくて……。

 だから、私はすぐに姉に連絡を取りました。


 ご存じですよね?

 うちの姉は、あのダンプティ子爵家に嫁いだんです。

 ちょうど、今このナサリーの街に避暑に来ていて、すぐに連絡が付きました。


 何で連絡したのかですか?

 決まってるじゃないですか!

 ドレスを借りたんですよ!


 だって、3人で出掛ける約束をしてたんですよ?

 お嬢様に負けたくないじゃないですか!

 だから、少しでも綺麗に見えるように、貴族が着るようなドレスを用意したんです!


 確かに姉が貸してくれたのは「もし寒いといけないから」と余分に持ってきていた秋用のドレスでしたけど、それでも普段のマリーと比べたらとっても素敵だったと思います。

 マリーに2人のことは言えませんでしたけど、『婚約者と一緒にお出かけなんだから綺麗にしなきゃ』と伝えたら、喜んで受け取ってくれました。

 ああいうちょっと地味な色が、マリーは好きなんです。

 これでアデルお嬢様にも負けないって、そう思って送り出したのに……。



 まさかこんなことになるなんて……。


 ——————


「なるほど。ジェニーレン男爵令嬢とミルヴァスさんは、不倫関係にあったと。そういうことですね」

「はい……。間違いないと思います」


 リンジーは自身の指を絡み合わせながら、視線を落としてさも言い辛そうに言った。

 主人の不祥事を告白することに罪悪感があるのかもしれない。


「マリー・ロビンさんに、気付いている様子はありましたか?」

「多分、気付いていなかったと思います。そうでなきゃ、あんなに普通にしていられる訳ないですから」


 痛ましげな表情で首を振るその姿は、心の底からマリーを憐れんでいるように見えた。


「ジェニーレン男爵令嬢とミルヴァスさんの最近の様子はどうでしょう」

「それがもう! 凄く落ち着いていて、まるでマリーなんか最初から居なかったみたいに振る舞って!」


 リンジーは声荒げ、許せないとばかりにスカートを握りしめて立ち上がった。


「あれじゃ、あまりにマリーが不憫です! もしかしたら……もしかしたら、本当はあの2人がマリーに何かしたのかもしれません!!」

「まあまあ、落ち着いて。よっぽどマリー・ロビンさんのことを大切に思っていたのですね」

「ええ! 私とマリーは親友と言っても過言ではないですから!」


 リンジーは興奮した様子でモーガンに近寄った。

 今にもモーガンの手でも握りそうな勢いだ。


 そんなリンジーを笑顔で冷静に観察していたモーガンは、敢えて泰然とした様子で足を組み、その足の上で手を組んだ。


「そうでしたか。それでは、さぞ辛いことだったでしょう。ご自身が貸したというドレスが、マリー・ロビンさんが溺れる1つの原因になったのですから」

「え……? それはどういう……」


 リンジーがぴたりと止まり、僅かに動揺が表情に見て取れた。

 モーガンはその様子をじっと見つめながら続ける。


「マリー・ロビンさんが着ていたあのドレス。先ほどリンジーさん自らおっしゃったように、あの日には少し不釣り合いなようでしたね。あの日はそこまで暑くはありませんでしたからそれは良いとしても、水辺の散策には不向きだった。毛織の生地では、濡れた状態ではかなり重かったでしょうから」

「……つまり、マリーはドレスが重たくて、溺れた……そういうことですか?」

「いえ、誤解しないでくださいね。まだ調査中ですが、マリー・ロビンさんの乗っていた船に何らかの問題があったことが、直接の原因と思われます。ですが、彼女が溺れてしまった一つの要因には違いないでしょう。どうか気を落とさないでくださいね」


 あたかも労るような視線と声色を出しながら、モーガンはしっかりとリンジーを観察する。

 リンジーは、ぎゅっと手を握り少し震えているように見える。

 その顔には、後悔の色が浮かんでいた。


「私が……私が余計なことをしなければ……マリーは死ななかったということですか……? 私、私そんなこと思いもしなくて……!」


 そしてリンジーは、わーっと手で顔を覆い泣き出した。

 顔は一切見えないが、肩が震えている。


「申し訳ありません、余計なことを言ってしまいましたね。どうか思い詰めないでください」


 モーガンはそっとリンジーの肩に手を置き、優しく声を掛けた。


「クロウさん……」


 リンジーがゆっくり顔から手を離すと、そこには目に涙を溜め顔を赤くするリンジーが居た。

 その視線に、モーガンは僅かな不快感を感じた。

 リンジーの目からは、モーガンへの媚、慰めを期待する色が見えたからだ。


「……貴重なお話、ありがとうございました。どうか落ち着くまで、ゆっくり休んでいてください。すみませんが、私は執事長の所に行かなければいけませんので、これで失礼します。執事長の執務室はどちらですか」

「え、えっと階段を下った右側ですけど……」

「ありがとうございます。それでは、失礼し」

「っクロウさん……! また、お会い出来ますか?」

「……そうですね、またこちらには伺うでしょうから」


 モーガンがそう言うと、リンジーはほんの少しだけ口角を上げたように見えた。

 しかし一瞬だったため、空目だったかどうか、モーガンには判断が付かなかった。



「では、これで」


 モーガンは頭を下げ挨拶を口にして早々、リンジーの部屋のドアノブを開け足早に外に出た。

 パタンとドアを閉めると、はーっと長めに溜息を吐いた。





 モーガンはほとほと嫌気が差した。

 リンジーは、マリーを親友だと謳いながら、モーガンに媚を売る方が忙しかったように見えた。

 しかも言葉の端々に、マリーを見下すような、嫌な雰囲気を感じた。

 それでいて、途中に見せた後悔の顔や、アデルたちに対する怒りの表情は、嘘のようには思えなかったのが気になる。

 モーガンはリンジーに得体の知れない不気味さを感じた。

 それだからこそ、敢えて揺さぶるようなことを言ってみたのだが……。

 酷くわざとらしいような気もするし、本気で衝撃を受けているようにも見えた。


 何にせよ、マリーとリンジーの関係性は、純粋な友人関係ではなさそうだ。






 モーガンはふと、周りを見渡した。


 何も確認せずに出てきてしまったが、廊下には誰も居なかった。

 モーガンはホッと息を吐く。

 いくら聞き取りの為とはいえ、女性の部屋から出てくる様を見られれば、変な勘違いをされる。

 ここにはまだ何度か足を運ぶことになるだろう。

 面倒ごとにはしたくない。


 モーガンはグッと腹の底に力を入れて、自分を叱咤する。

 既にこの屋敷から一刻も早く出て行きたいと云う衝動が湧き上がるのを、理性で必死に抑えつけた。

 まだここには話を聞かなければならない人物が残っているのだ。

 むしろ、モーガンが最も話を聞きたいと思っている人物である。


 モーガンは崩したくなる襟元を再度正し、執事長の執務室へと歩き出したのだった。

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