第4話 鳶

 

 モーガンが図書室の扉を開けると、アデルの言葉の通り、クリフは本の整理を行なっていた。

 扉の開く音に気付いてクリフの目がモーガンを捉える。

 すると、酷く驚いた様な顔をした。


「少々失礼します。あなた、クリフ・ミルヴァスさんですよね。私は刑事のクロウと申します」

「刑事……? 警察の方ですか」


 何も聞いていないのだろうか。

 クリフは、金に近い明るい茶色の瞳を細めて訝しむ。

 茶色の髪は小綺麗に整えられて、身長はモーガンよりやや低い。とは言ってもモーガンが群を抜いて長身なだけで、クリフも十分背が高い方だろう。彼もモーガンに負けず劣らず、美男子の部類に入ることは間違いない。

 やや垂れ目がちなためか、実年齢より若干下に見える。モーガンは、どことなくラークを思い出した。




「なに、きちんと男爵の許可を取っています。なのでそんなに警戒なさらずに」


 図書室には4人掛けのテーブルが置かれていた。他にも、窓際にいくつか肘掛け椅子が置かれている。本を読むために使用するものだろう。


 モーガンはテーブルの入り口側の椅子を引き、勝手に座った。


「マリー・ロビンさんの件で、ちょっとお話を」

「あの……それならもう別の刑事さんにお話ししました」

「ええそうですよね。でも念のため、もう一度お話を聞かせてください」


 有無を言わさぬ雰囲気で、モーガンはクリフに着座を促す。

 クリフは戸惑いながらも、ゆっくりと対面の椅子に座った。



「クリフ・ミルヴァスさん。あなたはマリー・ロビンさんの婚約者に間違いありませんか」

「ええ。マリーとは婚約して2年になります」

「そうですか。率直に言って、仲は良かったですか?」

「そう……ですね。良い方だったと思います。僕もマリーも、本が好きで趣味が合いましたし」

「にしては、あまり落ち込んでいない様ですね」


 出し抜けに、モーガンは真っ直ぐクリフの瞳を見つめて言った。

 モーガンは気になっていた。

 先ほどのアデルもそうだが、親しい人を急に亡くしたにしてはあまりに普通ではないか。

 もちろん、嘆き悲しむだけが人の死との向き合い方ではない。けれど観察眼だけは鍛えたと自負するモーガンには、むしろマリーのことをあまり気に掛けていないようにすら見える。

 これはどういうことかと、揺さぶりをかけたのだ。


 モーガンの不躾な言葉に、クリフは虚を衝かれた様に固まって、すぐに不快感を露わにした。


「刑事さん。もしかして、僕がマリーに何かしたんじゃないかと疑ってるんですか」

「いえいえ。ただ不思議だっただけですよ」

「……ただ、まだ信じられないだけです。落ち込む以前に、まだ現実と思えないと言うか……」


 段々と小さくなる声で、視線をモーガンから外しながらクリフは言った。

 如何にも悲痛そうな、まるで現実を信じたくないのだと云うような仕草だ。


(随分と上手い。この道15年の刑事でなきゃ、騙される所だな)



 モーガンは、ほぼ野生の勘で感じ取っていた。

 このクリフという男。

 なかなかの食わせ者だ。




 クリフの所作は、偽ることに慣れている人間のそれだ。長年刑事をやっていれば、言葉巧みに罪を逃れようとする手練れに何度も遭遇する。そういう輩は、『まさかこの人が嘘を吐くなんて』という印象を人に与える者ばかりだ。


 今の段階では、クリフが何を如何偽っているのか分からない。

 しかし少なからず、こういうタイプは野心的で狡猾だ。


「そうですか。それは失礼しました。余程仲が良かったのですね。では、マリー・ロビンさんとアデル・ジェニーレン男爵令嬢との仲は如何でしたか」

「とても良かったです。まるで実の姉妹のようで。ただアデルお嬢様ももうすぐ成人ですから、姉のように口を出すマリーのことを、ちょっと鬱陶しいと思うこともあったうようですが」

「それは……あの日も?」

「そうですね。あの日は……」


 ——————


 あの日、アデルお嬢様はマリーの言葉に子供扱いされていると思われたようで、怒って1人でどこかに行ってしまわれたんです。

 当然、すぐに追いかけようとしましたよ。

 でも……マリーが、『ああなったらお嬢様は手が付けられない。少し1人にした方が良い』と言って、引き留めたんです。

 僕はお嬢様の護衛でしたから、それでは職務放棄だと言ったのですが……『なら私が行く』と。

 マリーとアデルお嬢様は本当に固い絆で結ばれていましたから、正直、アデルお嬢様のことはマリーに従うことが常でした。

 だから……あの時もそうしたんです。

『私がお嬢様の所に行って話すから、あなたはここで待っていて』と云う言葉を、そのまま鵜呑みにしてしまいました。

 そうして、マリーを1人で行かせたんです。

 ……後悔してます。

 あの時、僕がアデルお嬢様を迎えに行っていれば。

 せめて、マリーと一緒に探しに行っていれば、と。


 アデルお嬢様が離れてからさして時間が経っていなかったこともあって、すぐにマリーはアデルお嬢様を見付けると思っていました。

 ですが、なかなか2人とも戻ってこなくて。

 だから、僕も探しに行きました。

 アデルお嬢様は、すぐに見つかりました。

 案の定さして遠くには行っておらず、ただ道が分からなくなって切り株に座って休んでおいででした。


 僕とアデルお嬢様が元居た場所に戻っても、マリーは居ませんでした。

 だからマリーも迷ってしまったのかと、2人で探しに行きました。

 ああ、アデルお嬢様を1人にすることも憚られたので、一緒に行くことにしたんです。

 アデルお嬢様もそれを望まれましたし。


 それで、2人探しに行くと……湖の近くが騒がしくて、なんだろうと近寄ってみたら……。



 人、のようなものが浮いていました。

 その時は、マリーだとは分かりませんでした。

 ただ、何となく色合いが見覚えのあるような気がして……。


 マリーがあの日着ていたドレスは、マリーのものじゃなかったんです。

 仲の良いメイドから借りたのだと言っていました。

 けれど、この季節にあのモスグリーンのドレスは……正直合わないでしょう?

 だから、変に頭に付いていて、遠目でも、あの色は……と、そう思いました。


 もちろん、すぐに助けに行こうとしました。

 けれどどうにも、足が震えて動かなくて……。

 気が動転していたのかもしれません。


 そうこうしている内に警察が来て、彼女を引き上げました。

 その時見えた顔は……、確かに、マリーでした。


 あとは、刑事さんもご存知ですよね。

 警察署に連れて行かれて、今のような話をしました。



 これが、僕に話せる全てです。



 ——————


 クリフは話し終わると、長めに息を吐き、疲れたような顔をした。

 モーガンは少し意外に思った。

 彼のようなタイプは、もっとそつなく振る舞うかと思ったのだが。


「そうですね。辛いことをお話し頂きありがとうございました」


 アデルとクリフの証言に矛盾はない。

 調書通りでもある。

 2人で示し合わせた可能性もあるが、とにかく今は何も問題ないように見えた。


 けれど、モーガンの勘が告げている。



 彼らは、何かを隠している。





「それにしても、アデルお嬢様は素晴らしい方ですね。下々の者のことまでよく知っていらっしゃる。あなたの居場所を尋ねたら、すぐにここだと教えていだきました。一使用人が今どこで働いているなど、普通は分からないですよ。いくら友人関係だとしてもね」


 モーガンは、敢えて挑発するような視線で言った。

 その視線に、僅かにクリフの瞳が揺らいだように見えた。


「……知っていて当然です。僕が図書室の担当なことは、周知の事実ですから。マリーは本がとても好きで、アデルお嬢様がマナーの講義を受けている時などは、いつもここにいたんです。男爵様は、使用人にもこの図書室を解放していましたから。ほら、ちょうどあの右から2番目の壁際の席。あそこが彼女の特等席でした。僕とマリーは、この図書室で出会ったんです。だから、アデルお嬢様が僕の居場所を知っていても、何もおかしくない」


 そう言ったクリフは、酷く真剣な顔でモーガンを見詰めていた。


「お気を悪くさせたなら謝罪します。申し訳ない。まあ、これが仕事なものですから。寛大な心でお願いしますよ」


 さらりと、全く申し訳なくなさそうにそう言うと、モーガンは席を立った。


「それでは、お時間を頂戴しましてありがとうございました。ああそうだ。マリー・ロビンさんのお父上……執事長は今どこに? 呼ばなくても結構ですよ。私がお願いしているのですから、私が伺います」

「執事長ですか。ああ、先ほど見かけたので、まだ執事長の執務室で事務作業をしていると思います」

「そうですか、ありがとうございます。それでは、私はこれで。……あ、そう言えば、マリー・ロビンさんとお父上の関係は如何でしたか」


 さも今思い付いたという様子で、モーガンは尋ねる。

 けれどこれはわざとだ。

 人は急に話を振られた方が、素の言葉を発してしまうものだと、モーガンは経験上学んでいた。


「執事長とマリー、ですか。特に、至って普通の父娘関係だったと思いますよ。ただ、執事長はかなり寡黙ですし、少し無機質というか……あまり、娘に甘いとか、可愛がっていると云う印象はないですね。だからと言って、2人が険悪だったとか愛がなかったという訳ではないと思います。マリーはお母さんを早くに亡くして、執事長は男手一つでマリーを育てた訳ですし」


 クリフは顎に手をやりながら、考える仕草で話す。

 なるほど、少なからずクリフからはそう見えていたのだろう。


「そうですか。ありがとうございました。お仕事中に失礼いたしました。それでは、また」





 モーガンは会釈をすると、図書室のドアを開けて廊下に出る。

 長く息を吐くと、そこでしまったと思う。

 執事長の執務室の場所を聞いていない。

 もう一度クリフに場所を聞こうと、ドアノブに手を伸ばした所で、後ろに気配を感じた。



「刑事さん」


 モーガンが声の方を振り返ると、そこには、先ほどアデルと一緒に居た若いメイドが居た。


「あの……少しお話が……」


 メイドはキョロキョロと周囲を気にしながら、小さな声で話し掛ける。


「何でしょうか。是非、聞かせてください」


 モーガンは意識的に魅力的な笑顔を心がける。

 狙い通り、メイドはほんのりと顔を赤らめて、頷いた。


「じゃあ……私の部屋までお願いします」


 そう言って、メイドは相変わらず周囲を気にしつつ、小走りでモーガンを誘導する。


(『私の部屋』ね……。厄介なことにならなければいいが……)


 内心溜息を吐くと、ちょこちょこと動くメイドの後を、長い足でゆっくりと追いかけたのだった。


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