第2話 鷦鷯

 

 被害者の名はマリー・ロビン。

 22歳。

 ジェニーレン男爵家の執事長の娘で、自身もジェニーレン家でレディーズメイドをしていた女性だ。


 彼女が発見されたのは、レイムス湖と云う、避暑地で有名な山間部にある湖である。レイムス湖はちょうどそら豆の様な形をしたカルデラ湖で、観光地として有名な場所だった。手漕ぎボートで縦断すれば、約1時間で着くほどの大きさだ。

 マリー・ロビンは、その湖の中間地点よりやや南寄りで発見された。

 その距離を到底泳いだ訳もなく、湖畔に幾つも係留されている手漕ぎボートに乗っていたところ、何かの拍子に転覆したのだろうと推測された。事実、マリー・ロビンと思しき女性が1人で手漕ぎボートを漕いでいたという目撃証言が幾つか上がった。しかし不思議なことに、彼女が溺れていただろうその瞬間は、誰1人目撃していなかった。


 レイムス湖は国内でも有数の深度を誇る湖である。湖には彼女の乗っていたボートの一部と思われる木片が少しばかり発見されるだけで、未だボート自体は発見されていない。





 マリー・ロビンは、何も1人で観光に来ていた訳ではない。


 彼女が仕えていたアデル・ジェニーレン男爵令嬢も一緒だった。

 アデルはマリー・ロビンの乳姉妹でもある。


 貴族が淘汰されていくこの時代に、ジェニーレン家は正に勝ち組だ。

 そもそもが、遥か昔に遡れば王家に行き着くという程の名家で、にも拘わらず現当主であるダヴ・ジェニーレンは柔軟な考え方をする人物である。

 家柄だけに固執せず新しい事業を展開したおかげで、この時代にあって未だに富と名声を手中に収めている。


 そんなジェニーレン家の一人娘でありながら、アデルはマリー・ロビンを姉のように慕っていたらしい。

 アデルはマリーよりも4つ年下で、2人は実の姉妹のように仲が良かった、と関係者は皆口を揃えて言っていた。



 もう1人、一緒に居た人物がいる。

 クリフ・ミルヴァス、27歳。

 ジェニーレン家の従僕をしている人物で、マリー・ロビンの婚約者だった男だ。

 見目が良く物腰の柔らかい性格で、男女共に評判が良い。


 クリフがマリー・ロビンと婚約をしたのは今から約2年前。

 かつて貴族の間では最低2年の婚約期間を設けるというのが定説だったが、貴族社会が弱体化した現代ではそうでもなく、そもそも2人とも平民であることからすれば、長い婚約期間だったと言える。平民の間では、結婚準備のための約1年間を婚約期間と呼ぶことが多いからだ。

 では何故それほど長い婚約期間になったかと言えば、マリー・ロビンが「アデルが結婚するまでは」と結婚を先延ばしにしていたことが原因らしい。


 それがまさか、このようなことになろうとは夢にも思わなかっただろう。




 モーガンは調書から拾った情報を思い返しながら、ジェニーレン家へと向かった。

 ジェニーレン男爵家は、件のレイムス湖を含む一帯を領地として治めている。

 かつて貴族社会の全盛期には、ジェニーレン家も社交のため王都のタウンハウスで過ごすことが多かったが、時代と共にその必要もなくなり、生活の拠点は領地へと移っていた。


 モーガンが在籍する北部第3警察署は、ジェニーレン男爵家のあるナサリーという街から5kmほど南下した場所にある。更に馬車で2日ほど南下すれば王都の玄関口であり、王都と男爵領を繋ぐ街道沿いにあるという訳だ。

 ジェニーレン男爵領のすぐ隣は国直轄領となっており、北部第3警察署は、男爵領と国直轄領を含む周辺地域を包括的に管轄している。

 警察組織が発足して15年、警察官の数も警察署の数も急速に増えてはいるが、それでも1領地1署とはいかないのが現状だ。この辺りのように王都から距離がある場所は、王都に比べれば住民の数は格段に少ない。それ故に、地方の警察署の管轄範囲は自ずと広くなっている。

 最近、モーガンの同僚たちは領地を跨いで起きている連続強盗事件に掛かり切りだ。

 元々戦力として期待されていないモーガンである。彼1人欠けたとして、気にする者は多くない。


 モーガンは、そんな自身の境遇を自嘲して、1人、馬を駆ってナサリーへと向かった。


 ナサリーは北部で3本の指に入るほど発展している街だ。

 人々には笑顔が溢れ、とても活気がある。

 それを見るだけでも、ジェニーレン男爵が如何に統治者として有能であるか、窺い知れるというものだ。



 ナサリーの北側は、高級住宅街になっている。

 その瀟洒な家々が立ち並ぶ区画の中で、最も豪華で広大な敷地を持つ屋敷がある。

 それがジェニーレン男爵家の屋敷だ。



 モーガンは馬を降り門番に預けると、ジェニーレン家の門を潜った。









「お待たせいたしました。私がアデル・ジェニーレンですわ」


 優雅で淑やかな所作で現れたのは、今彼女が自身で告げた通り、アデル・ジェニーレンその人だ。

『警察とは国王以外頂くものはない』と云う概念の組織であるためか、努めて丁重な態度である。

 アデルの後ろに控えるメイドも、それに倣って頭を深く下げている。


 モーガンはアデルが現れた刹那、部屋に花が咲いたのではないかと錯覚した。


 緩やかな曲線を描く金髪も、大きくぱっちりとした青い瞳も、彼女の可愛らしさを存分に引き立てている。

「美少女」と云う言葉は、あたかも彼女の為にあるかのようだ。


 身長はマリー・ロビンとほぼ同じ位だろうか。

 しかし、決して不美人ではないが印象に残らない、有り体に言えば地味な顔立ちのマリー・ロビンとは、華やかさがまるで違う。

 マリー・ロビンも金髪ではあるが、アデルよりもずっと燻んだ色合いだ。

 もしも2人が並んで歩いていたならば、十中八九、アデルに視線が集まるだろう。



 モーガンは素早くアデルの全身を観察する。

 曲がりなりにも刑事である。

 この15年で、観察眼だけは鍛えられたと自負している。



 彼女は喪に服す黒に身を包んでいるが、初夏に相応しい涼やかな生地はかなりの上等品のようで、むしろ華やかな彼女をより引き立てるデザインだ。

 美しい金髪を緩やかに編み込んだハーフアップ、真珠をあしらった上品なアクセサリー。

 流石、あのジェニーレン家の令嬢なだけはある。細部まで丁寧に磨き上げられていて、髪もドレスもアクセサリーも、一分の隙もない。



 その所為だろうか。

 実の姉のように慕っていた乳姉妹を亡くしたばかり、と云う悲痛さは、彼女からは感じられない。




 モーガンは、応接室で待つ間の手慰みに持っていただけのティーカップをソーサーに戻し、立ち上がって腰を折る。


「お時間を頂戴して申し訳ありません。もう1度あの日のことを確認したくて参りました」


 努めて紳士的な風を心掛けて、モーガンは挨拶をした。

 モーガンは自身の見目の良さを十分理解している。女性相手には特に、魅力的な男性と写った方が、何かと都合がいい。


「父から聞いています。もう全て警察署で話しましたけれど……」


 モーガンの様な刑事が意外だったのか、アデルは少しモーガンを認めた後、そう言って視線を少し逸らし、扇子で口元を隠した。


 その実に貴族的な仕草に、モーガンは何とも複雑な気持ちになった。

 何というか、忘れていた筈のものを無理矢理引き摺り出されている様な感覚だ。


「……そうだとは思いますが、念のため。申し遅れました。私はモーガン・クロウと申します」

「まあ。貴方が……」


 アデルは目を丸くしてモーガンを見詰めた。

 あれだけ話題になったのだ。当時まだ幼い子供と言っても、何かで耳にしたことはあるのだろう。


「あの、マリーのことは不幸な事故だと聞きました。どうしてそれを、貴方が……?」


 それはつまり、可もなく不可もない働きを誓った元貴族の刑事が、何故この件を蒸し返しているのか。

 そういうことだろう。


 そんなアデルの疑問に気付かない振りをして、モーガンはアデルの瞳を見つめて答えた。


「少々気になることがありまして。差し支えなければ、あの日の状況をご説明願いますか」

「え、ええ……。あの日は……」



 モーガンの視線に、アデルは一瞬怯み、そして話し始めた。





 ——————



 あの日は、マリーとクリフの3人でレイムス湖に行こうと約束していました。

 領地内ですし、幼い頃から何度も訪れている場所なのです。それに、最近雨が続いていましたけれど、ようやくここ最近天気が良くなったでしょう?

 だから、3人で湖畔でピクニックをしようと私が誘ったのです。

 クリフが居れば問題はないとお父様にも許可して頂きました。

 クリフは、なかなかに腕が立つのです。だからこれまでにも何度か、護衛として連れていました。


 え? クリフとですか?

 そうですね、親しくしていますわ。

 マリーを介して、クリフとも親しいものですから。


 クリフとマリーはとても仲が良かったと思います。

 私がまだ未熟なものだから、なかなか結婚まで至らなかったけれど、それでも2人はとても信頼し合っているように見えました。



 あの日、ボート遊びを終えてさあ昼食を摂ろうと思ったところで、少しマリーと口喧嘩をしてしまったのです。

 口喧嘩の理由ですか? いえ、大したことではありません。

 マリーが私を子供扱いしたものだから、ついカッとしてしまって……。

 マリーと私は本当の姉妹のように育ちましたから、きっとマリーはいつまでも私のことを幼い子供だと思っていたんだわ。

 お互いに母親を小さい頃に亡くしていますから、余計にマリーが母親代わりというか。


 とにかく私はカッときてしまって、頭を冷やすために少し散歩に出ました。

 すると、怒りに任せてぐんぐん進んでしまって、うっかり道に迷ってしまったのです。

 あまり動き回っては逆に良くないと思い、クリフが私を迎えに来てくれるまで、切り株に座って休んでいました。

 クリフと2人で元の場所に戻った時には、マリーの姿はありませんでした。


 私を探して、マリーまで迷ってしまったのかとクリフと2人で慌てて探しました。

 すると、湖の方で騒がしい声が聞こえて、向かうと……湖に浮かぶ、マリーが居たのです……。



 私は何も出来ませんでした。

 誰かが警察の方を呼んできてくれて、警察の方がマリーを引き上げるまで、何も。

 私はただ見ていることしか出来ませんでした。




 っごめんなさい。

 少し気分が……。

 もう、よろしいですか?

 ここから先は、刑事さんもよくご存知ですよね。



 ああ、クリフなら今のこの時間は、図書室で本の整理をしていると思います。

 ここに呼びましょうか?

 え、よろしいですか……?

 では、図書室は階段を上がって左側です。

 どうぞ行ってみてください。



 ——————




 アデルはサッと扇子で顔を隠し、メイドが彼女を支えて出て行こうとする。

 どうにも、芝居掛かった様子だ。


 その時、モーガンは最後に一押しと、アデルを呼び止めた。


「あの、最後に一つだけ。姉の様に慕っていた方を亡くされたのに、何故そんなに落ち着いていられるのです?」


 モーガンの言葉に、アデルは一瞬、まるで狐につままれた様な顔で振り返った。

 やはり顔色は悪くない。

 そしてすぐに、不快感で一杯だという表情に変わった。


「どういう意味ですか? 私がマリーを湖に突き落としたとでも?」

「いえ、ちょっとした確認です。ありがとうございました」



 モーガンはニコリと蠱惑的に笑うと、最敬礼でアデルの退室を待った。


 頭を下げているため見えないが、少しばかりの間を置いて、アデルとメイドが部屋から出ていく音がした。




 モーガンはゆるゆると顔を上げると、ふうと息を吐き、どすっとソファーに座り込んだ。

 アデルの貴族的な雰囲気は、本人が思うよりずっと、モーガンの心に重くのしかかっていたようだ。



「あー。煙草が吸いてえな」


 モーガンは虚空を見上げると、ネクタイを緩めつつ、呟いたのだった。

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