第5話 罪科の証

「サンドイッチ、おいしかったよ」


 礼拝堂の入り口を見て立ち尽くすオレの背後に、シンから声がかかる。


 シンが示すその先には、ユエとシンの荷物に埋もれる様にして紙袋がある。さっき、シンがサンドイッチを取り出していた紙袋だ。


「食べ損ねてたでしょ」


 食べなよ、と言われて、のろのろと紙袋を持ち上げた。中にはひとつ、旨そうなサンドイッチが入ってる。


「ユエなら大丈夫だよ」


 杖を持ったシンは、キョロキョロと周囲を見渡しながら歩き回っている。


「ボクよりずっと強いから」

「……まずアンタが強そうに見えない」


 言ってから、シンが魔術士であることを思い出した。

 ひょろりとした枝にしか見えない、その体躯では腕力は期待できないだろうけど、シンは魔術士だ。

 強いとか弱いとか、そういう次元にはいないだろう。


「結構強いよ」


 しかし、当のシンは特に気にした様子もない。適当な会話を交わしながらうろうろと歩いている。


 シンは、礼拝堂のちょうど真ん中ぐらいで足を止めた。煤けた天井を見上げ、焦げた床に視線を落とす。

 手で軽く床を払ったシンは、その場に座り込んだ。胡坐をかいて座り、肩に長い杖を立てかけ、右の腕で抱き込む様に支えている。

 そのままの恰好で懐を探ったシンは、小さな瓶を取り出した。


「それなに? 何してんの?」

「聖水。礼拝堂の中心を探してた」


 オレの好奇の視線を受けても動じない、というよりどっちかというと無関心。


「中心? なんで?」


 聖水の蓋を開けて、しかしそのままピタリと動きを止めて、オレを見る。

 少し何かを考えるようにして、何もしないまま、シンは聖水の蓋を閉めた。


 シンとオレとの間に沈黙が流れる。

 黒い帽子をかぶったシンの目元は見えない。目元も、刺青も。


 刺青について、聞きたいような気がした。

 でも、何を聞けばいいのか分からない。人を殺したのか? なんて、さすがに聞くべきではない気がするし。


「……君も、見えてるんでしょ? 残留思念」


 額に人殺しの証、複数の十字の刺青を持つシンは、それとは別の事を口にした。


「……ザンリュウ、シネン?」

「黒い靄のこと」

「アンタも見えるのか!?」


 思わず膝を付いてにじり寄ると、シンが胡坐をかいたままの恰好で仰け反った。オレが近付いた分だけ。


「ぼくは見えない」

「なんだ、そっか」

「ぼくは見えないけど、ユエは見えてる」


 その言葉に、がっくりと項垂れたオレは顔を上げた。


「さっき言ってたでしょ。ユエは、黒い靄が見えてるし、教皇庁には他にも見えてる人がそれなりにいる」


 目を見開いたオレに対し、シンは言葉を続けた。


「ユエが、言ってた。見えない者と、見える者がいる。ただ、それだけの話、って。ここに、黒い靄はいる?」


 シンに問われ、辺りを見回す。礼拝堂の中には、常から黒い靄が漂っている。今は、二か所。さっき、ユエが見てたやつ。やっぱり、ユエには見えてたんだ。


「い、いる」

「そう。……残留思念は、そのままの意味。残留した誰かの思念。誰かの強過ぎる思いが残されたもの。囚われた人の思い。少しぐらいならそこまで大したことは起こらないけど。あまりに強いものは、どんどん濃度を増すし、人の身にも悪影響になる。マイナス思考になったり、悪い考えに取りつかれたり、病気になる場合もある」


「な、なあ、ユエは、あいつらの声も聞こえるのか? 話できんの?」

「らしいね」


 言いながらシンは、肩に立てかけた杖を袖で拭った。ちょっとだけ付いてた汚れは、すぐに拭い取られた。

 白い、堅そうな木で作られた杖は、オレの背丈ぐらいの長さがある。その先端には拳ぐらいのサイズの丸い石。石は夜の空と、同じ色だ。


「普通は放っておいてもそのうち消える程度の、なんでもないものだけど。どうせ殆どの人には見えないしね。教会さえちゃんと機能してれば、影響はない」


 シンの言葉に、同類を、同じようにユーレイを見る仲間を見つけ、熱に浮かされたようなオレの思考が一瞬で冷えて固まった。


 教会さえ、機能してれば。


「この教会は、浄化の機能を果たせていない」


 続くシンの言葉に、足元が崩れるような気がした。


「……教会が、焼けたせい?」

「そうだね」


 ちがう、と否定して欲しかった。


「放火なら、罪は重いよな?」

「放火なの?」

「た、たとえ話だよ」

「放火は結構重罪。……ひとまず、祓うよ。そのために、浄化の魔法陣を描く。教会は村の中心にある筈で、礼拝堂はその教会の中心にある。村の中心で村全体を覆う魔法陣を描く」


 シンが、ガラスの無い窓枠に視線をやった。窓枠の外には晴れた空が広がっている。


「永続的な浄化機能はぼく一人じゃ作れない。でも、一回祓った方がいい。この村は空気が重い。思念が溜まって淀んでる。魔法陣を描く間、ぼくは動かないし、喋らない。だから何かあるなら今のうちだよ」


 シンが、ほんの少し帽子のツバを持ち上げた。前髪の隙間から、小さな黒目がオレを見ている。


 何か、聞きたいことがあるだろ、ってことなんだと思う。

 例えば、刺青のこととか。

 でも、うまく言葉にできない。色んなことがありすぎて、頭がぐるぐるしてる。混乱してる。


 シンは、何も言えないオレに、小さく溜息を吐いた。そして、結局自ら切り出した。


「……人を、殺したいと思ったことは無いよ」


 そう言って、帽子と前髪とで隠した刺青を指す。

 シンの額にある刺青は、オレと同じ人殺しに刻まれるものだ。


「でも、ぼくのせいでたくさん人が死んだ」


 それを聞かされて、どんな気持ちになればいいのか、正解が分からない。

 シンは淡々と言葉を紡いでる。まるで、なんでもないことみたいに。


「君は、誰かを殺したの?」


 シンの指が、今度はオレの目元を指した。


 目元に走る、黒い十字の刺青。罪科の証。

 無遠慮な言い方だし、いつもなら腹立たしく思う筈の言い様だけど、今は何故かそんな気持ちにはならなかった。


「オ……殺してない」


「……そっか」

「うん」

「魔法陣描くの、たぶん、日没過ぎぐらいまでかかるよ」


 シンは話の内容とは裏腹に、あくまで普通。天気の話をする時も、きっとこんな感じで話すんだろう。

 連絡事項と大差ない、ただの確認事項。

 それでも、オレはなんか気まずい気がして、目を反らし窓の外を見た。


 今は昼を幾らか過ぎたところ。陽は高く、日没は遠い。


「話しかけるのは構わないけど、応えないから」


 シンは、再び聖水の蓋を開けた。中身を一息に煽ると、空になった瓶を目の前に置く。

 胡坐をかいて杖を肩に立てかけた姿勢のままで、ほんの少し俯く。眠るような姿勢だが、その口元が僅かに動き、何かを唱え出した。


 オレはぐるぐるした頭を抱えるような気持で、少し離れた床の上に座り込む。

 貰ったサンドイッチをもそもそと齧り、その旋律に耳を傾けた。


 サンドイッチは今まで食べたこともないぐらい旨いはずなのに、土を食む様な気分にしかならない。

 意味も言葉も聞き取れないシンの呟きに合わせるように、色んな事が頭の中をぐるぐる巡る。


 黒い靄。ユーレイ。残留思念。

 誰かの強い思い。囚われた人の思い。

 死んだ司祭。焼けた教会。放火。罪。

 顔の刺青。黒い十字。罪の証。

 放火。人殺し。


『ぼくのせいでたくさん人が死んだ』


 シンの言葉が、耳に残ってる。


、殺してない』そんな風に言いそうになって、とっさに呑み込んだ。


 そのくらいしかできなくて、気の利いたことも言えなくて。

 なんでとか、どういう状況でとか、聞きたい気はしたけど、興味本位で聞いていい事には思えない。


 それに、シンは悪い奴には見えない。

 なんかの間違いかも、と思うオレがいる。

 オレに刺青があるのと同じように、何かの間違いで、誰かの悪意で。


 間違い。


 オレは、誰も殺してない。

 でも、オレはあの日教会に火を点けた。


 零れそうな涙と共に、肉を呑み込む。

 不思議な抑揚をつけて紡がれるシンの声を聴きながら、オレは、焦げた礼拝堂の床を見つめた。

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