第35話 ラオグラフィア②
数秒後、部屋の中からそんな返事が返ってきた。
女性の声だ。
直後――ひょこり、とカウンターの下から人が現れた。
「お帰りなさいませ~リリー様~、ご無事でなによりですよ~」
えらく語尾が伸びる、おっとりとした独特の話し方をする黒髪の女性。
背丈は低めでリリーより僅かに低く、チャットよりは高いくらい。
服装は全体的に白を基調として青・黄などの色があしらわれ、
他の特徴としては――
「! コリンさん! コリンさんもお変わりなく」
「アルニトの街では~大変だったと聞いてますよ~。よくぞお戻りに~なられました~」
――表情が全く動かない。
絵に描いたような無表情だ。
俺は読心術の達人などではないが、それでも表情や目の動きで相手の考えを読む術は多少心得ている。
なのだが、この女はまるで何を考えているのか読めない。
今の発言だって、本気でリリーを心配していたのかどうか……
俺とリリーは彼女の前まで移動し、
「ご紹介しますね、ラクーン。彼女は『
「どうも~コリンと申しますよ~。気軽に〝コリンさん〟とさん付けで呼んでくださいですよ~。ここでは私がエンペラーなので~逆らっちゃダメですよ~」
相変わらずピクリとも表情筋を動かさないまま、ペコリとお辞儀するコリンという女性。
顔立ちは整っているが、ここまで表情がないのはちょっと怖い。
というか表情と声色に対して発言がとてもふてぶてしい。
「ふふ、コリンさんって可愛らしい方ですよね。私も凄く仲良くしてもらっていて……」
「あら~可愛らしいだなんて~お世辞ですよ~ぶっ飛ばしますよ~」
「まあ! うふふ♪」
「ふふふふ~~~」
楽し気に笑い合うリリーとコリン。
いや、コリンの方は本当に楽しいのかわからないが。
オマケに会話の内容が微妙に物騒だった気もするが、本当に仲が良いのだろうか……?
他人の心がわかるリリーにだけは、なにか伝わるモノがあるのかもしれん。
「それでコリンさん、この人が新しい【神器使い】のラクーンですよ。
「ほお~」
リリーの紹介を聞くと、コリンはずずいっとカウンターから身を乗り出し、俺に顔を近づける。
「みすぼらしい格好ですね~とても【勇者】様には見えませんよ~。でも~私と同じ無表情なので~仲良くやれそうですね~」
……苦手だ、この女は。
できれば関わりたくないタイプだ。
確かに俺もあまり表情を崩さない方だが、それにしたって同じにされたくない。
コリンはすぐに元の態勢に戻ると、
「新しき【勇者】様~『ラオグラフィア』へ~ようこそお越しくださいました~。私たちはあなた様の来訪を~歓迎しますよ~」
コリンはそう言って、カウンターの下から幾つかの書類を取り出す。
「さて~まずはあなた様が【神器使い】である証を~見せてほしいのですよ~」
――まあ当然、そうくるだろうな。
俺は小さく頷くと右腕を上げ、
「――〝
唱える。
すると金色の光が手の内に現れ、やがてそれは
「おお~間違いありませんね~。ありがとうございますですよ~」
ぱちぱちぱち、とコリンは小さく拍手し、さっそくインクの付いた羽ペンで書類に記載を始める。
「あなた様で登録20人目ですね~。キリ番ですよ~よかったですね~」
「20人目? 【神器使い】は全部で108人いるんだろう? えらく少ないな」
「いえ、それは〝『レギウス王国』に現れた【神器使い】の数が〟という意味なんです」
俺の疑問にリリーが答えてくれる。
「【神器使い】は世界を救う存在――故に、選ばれし者は世界中に現れます。それでも『レギウス王国』は国内における【神器使い】の出現率が高い傾向にありますが、単純に〝国土の大きさに比例しているから〟ですとか、〝マナの神木の存在やフォルミナ聖教の信徒が多いから〟など、色々な理由が唱えられています。『フォルミナ聖教会』の信徒である私としては、後者を推しますけれど」
「相変わらず信心深いですね~。ちなみに『
74人――ということは、まだ全ての【神器使い】が『ラオグラフィア』に登録されたワケではないのだな。
それは見つけていないだけなのか、あるいはまだ現れていないのか……あの
そんな会話をしている内に、コリンは書類への記載を終える。
驚くほどの手際の良さだ。
「こんなところですね~。【神器】に関する詳しい記載は~『
……俺が他人の品性など語れたものじゃないが、それでもこの口の悪さはどうにかならんのだろうか。
悪意があるのか天然なのか、表情から読み取れないから余計に質が悪い。
まあ、世界の命運を担う組織の人事担当ともなると、これくらい肝が据わってないと務まらないのかもしれんが……
ともかく、俺は彼女が始める説明に耳を傾けることにした。
「よろしいですか~? まず『ラオグラフィア』及び『
「……世界の救済に興味はないが、俺はリリーと共に戦うと決めた。危険など、とうに承知している」
アルニトでの一件もあったのだ、今更だな。
それに生きる意味もなく各地を放浪して、暗殺者ギルドの追手に追われ続けるよりも、彼女と一緒にいられる方がずっと良い。
それに『
「それで、特権というのは?」
「まず~あなた様には『
「フン……地位や金なんてロクなモンじゃない。それに、俺には親兄弟もいないしな。リリーと一緒にいられるなら、他にはなにもいらん」
「ふぇ!? あ、あの、それは……!?」
途端に顔を真っ赤に染め上げるリリー。
俺は、なにかおかしなことを言っただろうか?
リリーは俺に〝自分のために生きてほしい〟と言ったのだから、彼女と共に在るのは至極当然だと思うのだが。
「あら~お熱いですね~。でも~そういうのは余所でやってくださいね~。特権に関しては自動に付いてくるので~適当に行使しちゃってくださいね~。それじゃ
そう言って、コリンは1枚の書類を俺の前に出す。
俺の個人情報を記載するらしいが……そもそも俺には〝個人情報〟と呼べる類のモノはない。
戸籍はおろか、本名や生年月日すら不明なのだ。
当然、生まれた頃の記憶などあるワケもない。
とりあえず羽ペンを手に取り、どうしたものかと考えていると、
「あ……ラ、ラクーンはご自身の誕生日などは……」
なにかを察した表情で、リリーが聞いてくる。
そういえば彼女は俺の身元――と言えるかは微妙だが、それを知っているんだったか。
「一応……決めてもらったのはある。生まれた日なんてどうでもいいし、それでいいか。ただ……〝名前〟はな……」
そう、名前だ。
〝ラクーン〟というのは暗殺者ギルドで使っていた
つまりは動物の名称なのである。
それをそのまま書き込むのは問題だろうし、なにより俺には〝姓〟がない。
……ま、適当な偽名でいいか。
暗殺者ギルドに属していた頃から、そんなのは幾つも持っていたし……
――と、俺が思った矢先。
「で……では……では……〝ラクーン・アルスターラント〟では如何でしょうか!?」
――――リリーの口から出たそんな言葉が、俺の思考を途絶させた。
シン、と静まり返る室内。
数秒間ほど、この場にいる者たちの動きが
「あ……あの……ダメ、でしょうか……?」
「いや、ダメではないが……〝アルスターラント〟はリリーの姓だろう? それを――」
「い、いいんです! ラクーンは、私と共に歩むと決めてくださいました。で、ですから、その、これくらいのことはさせてください!」
……いいのか?
いや、よくないと思うんだが。
というかよくない。
俺は元
今後、もし俺の過去の罪を国から言及されることがあった場合、俺に姓を分けるなんてしたら真っ先に関係を疑われてしまう。
最悪無実の罪で共犯者に仕立て上げられるかもしれない。それは避けねば。
「気持ちはありがたいが、それはダメだ。何度も言うが俺は――」
「いいんです! 私は大丈夫ですから!」
「リリー、あのな――」
「大丈夫ですから!」
……これである。
リリーは一度言い出すと、もうテコでも動かない。
仕方ない……彼女の気持ちを無碍にするのも気が引けるし、もしもの時は俺がリリーを騙して利用したってことにしよう。
やれやれ、と俺が折れる決心をすると、
「あ~あ~、なんていいましょうか~アレですね~なんというか~その~なんていいましょうか~う~ん~なんというか~まあなんていいましょうか~そのまあ~……もう1回言いますけど~そういうのは~余所でやれっつってんだろうがこの色ボケ共が、とエンペラーは厳しく注意しておきますよ~」
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