第9話 【神器】②

 ――私たちは、薄暗い通路の中を歩いて行く。

 道の左右には鉄格子で封じられた牢屋が並び、その中には煤汚れた囚人たちが閉じ込められている。

 牢屋の中には寝心地の悪そうな簡易ベッドの他には何もなく、鉄柵が立てられた小窓から夕暮れの赤い光が僅かに差し込むだけ。

 囚人たちは如何にも街でゴロツキをやっていましたという感じの風貌で、私やチャットが牢屋の横を通り過ぎる度に、ギラギラとした卑しい視線が増えていく。


「女……女だ……」


「若い女がいる……」


「おい嬢ちゃんたち、こっちに来て良いコトしようぜぇ……」


 囚人たちの半数以上が鉄格子に張り付き、薄ら笑いを浮かべる。

 中には鉄格子の隙間から手を伸ばし、こちらを掴もうとする者までいる。

 大都市と比べれば確かに治安は良い方なのだろうが、こういう人々はどんな場所にも一定数いるということらしい。


「コラ貴様ら! 大人しくしないか!」


 看守を務める警備兵の怒号が飛ぶ。

 確かに、牢屋の数に対して看守の数が多い。

 明らかに厳戒態勢だ。

 警備兵たちの雰囲気もピリピリとしており、お世辞にも居心地の良い雰囲気ではない。


「わ、わかってはいましたけど、なんかヤな感じっスね……」


 怯えた様子でチャットが言う。

 彼女もこういう場所には慣れていないのだろう。

 本音を言えば私だって怖いけど、【神器使い】にして年長者の私が臆するワケにはいかない。


 気をしっかり持つのよ、リリー・アルスターラント。

 あなたは強い子……! などと心の中で自分を鼓舞していると、


修道女様シスター! おお修道女様シスター! どうかお助けください!」


 ガシャン!という鉄格子に身体を叩きつける音と共に、1人の囚人が私たちに叫びかける。


「終末が! 世界の終末が迫っている! 恐ろしい魔族が、もう目の前にいる! 今度こそ世界の終わりだ!」


 その囚人は焦点の定まらない目でこちらを凝視し、涙と唾液を垂らしながら必死に訴えかける。

 誰の目から見てもハッキリとわかる狂人だ。


 ……去年から、こうして気が触れてしまった人は数知れない。

 それは何故か?


 ――世界中に〝魔族〟が現れ始めたからだ。


 遥か昔、〈神魔大戦レギオンズ・ウォー〉で神々と戦い『深淵ジ・アビス』へと封印された魔族たち。

 けれど数百年に一度、神々の封印の力が弱まった『深淵ジ・アビス』とこの『地上グラン・ワールド』は繋がってしまう。

 聖歴上ではこれまで2度その出来事があったらしく、その度に人類と魔族の生存を賭けた〈終末戦争ラグナロク〉が起こってきた。


 そしてまさに今、魔族が現れ始めたことによって3度目の〈終末戦争ラグナロク〉――《第三次終末戦争サード・ラグナロク》が勃発しようとしている。

 世界は再び暗黒の渦に呑まれようとしているのだ。


 そんな〈終末戦争ラグナロク〉を目の前にして、魔の恐怖に抗えない。

 正気を失う人の数は、今年に入ってから世界中でさらに急増したと聞く。

 ……この人も、目前に迫った〝人類絶滅〟という恐ろしさに立ち向かえなかったのだろう。


「いやだ! いやだいやだ! 俺は死にたくない! 魔族になんて食われたくない! おお修道女様シスターよ! どうかお救いください! 慈悲を! どうか神の御慈悲を!」


「……ええ、良いでしょう。あなたのために祈ります」


 私は立ち止まり、狂人となった彼を正面に見る。


「り、リリー様……?」


「きゅーん……」


 不安気なチャットやカーくんを余所に、私は指を組んで祈る。

 けれど、それをすぐに離して、


「……でも、あなたは1つだけ間違っています。世界は、決して滅びません。私たち【神器使い】が救います。そのために……神は私たちを選んだのですから」


 毅然とした口調で、私は彼に言い放った。

 彼は焦点の合わない目で茫然とし、言葉を失う。


「行きましょう、チャット」


「え? あ、ハイ!」


 私は足早に歩きだし、チャットもそれに続く。

 私は狂人となった彼に振り向くことはなかったけれど、彼が声を荒げて救いを求めることはもうなかった。

 正気を失ってしまった彼の心が、少しでも救われてくれれば――そう思う。


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