リセール公は否定する

 その日、輝耀城の玉座の間は新年節の祝賀の宴もかくやというほど、人で溢れかえっていた。

 王都アスターの高官、貴族の大半の顔ぶれは揃っていたし、地方の領主や役人たちも、駆けつけられる者たちはこぞって集っている。

 国王ジャックは、一体何を考えているのか。リセール公の釈明の場に、王城に上がれる者なら誰でも大歓迎とばかりに、布告を出すのと同時に王都、各地方の身分ある者たちに傍聴する資格があると通達したのだった。もちろん、傍聴しなくても罰せられることはない。ないけれども、金銭的にも時間的にも余裕がない者以外は皆駆けつけた。つまり、資格を与えられた者たちのほぼ全員が、今、玉座の間にひしめき合っているのだった。

 世間を騒がせている噂に関心を寄せない者などいないし、噂が事実ならかなりの大事だ。『リセール公』は、水の都リセールの行政長官とリセール地方の領主を兼任する者のみに与えられる栄えある称号だった。その称号を百年ぶりに最年少で我が物とした男が謀反など起こそうものなら、王国崩壊の危機に陥りかねない。


 国王ジャックは、一体何を考えているのか。

 本当に、マクシミリアンは謀反を企てたのか。仮に噂が事実だったとして、なぜ釈明の機会を与えるのだろうか。

 彼らは、さっぱりわからなかった。

 わからないからこそ、直接見届けたい。釈明を聞きたい。

 彼らは、まさしく平和ボケした野次馬だった。


 真偽のわからない噂を、下々の者たちのように大きな声で喋り合うのは品格が疑われる。けれども、口を閉じてじっと待っているのは、とうてい耐えられなかった。声をひそめて「貴殿はご存知だろうか、リセールでは……」などと、一体誰が最初に言い出したのか。言葉遣いこそ上品ではあるものの、言っていることは巷とそう変わらない。

 そうしてようやく国王が姿を表すと、皆一斉に口を閉じた。


 ヴァルト王国の若き国王ジャック・フォン=ヴァルトン。

 五年前の新年節直後に崩御したコーネリアスに代わって王位を継いだのを機に、彼は王太子時代にほとんどトレードマークとなっていた三編みをやめ、肩のあたりでゆるく一つに束ねるようになり、口ひげを生やすようになった。若いと侮られないようにとでも考えたと言われている。臣民からすれば、口ひげの有無だけで威厳が増したとは思えなかった。ようするに、「微妙」というのが正直な世間の評価だった。

 けれども、今日は違った。

 いつになく厳しい顔のジャックに、実はのっぴきならない状況なのではないかと、誰かがごくりと固唾をのむ。

 いつもなら、ともに現れるジャスミン王妃が不在なのも不穏だった。

 静まり返っているのに空気がざわついて落ち着きがない玉座の間に、宰相の息子エリック・スプリングの声が響いた。


「マクシミリアン・ヴァルトンを、これへ!!」


 宰相グレッグ・スプリングの姿がないことに、ごく一部の者がふいに気がついた。

 これは、とても不可解なことだ。コーネリアスが即位した当初から、宰相としてこの国を支えてきた彼が、呼ばれていないなどありえない。さらに、彼がマクシミリアンの妻デボラの後見人でもあることに思い至った者は、この不可解さに寒気を覚えた。

 いったい、国王は何を考えているのか。リセール公は何をしたのか。噂の真偽などは問題ではないのではと、思えてきた。もしかしたら、例の噂は意図的に広められたのでは。いったい、なんのためにこれほどの人々がここへ集められたのか。なにか、想像もできないとんでもないことが起きるのではないのか。


 衛兵に囲まれたマクシミリアンが玉座の間に現れると、たちまち衝撃が走った。

 今日、わざわざ輝耀城までやってきた彼らが、もっとも見たかったのは落ちぶれたリセール公の姿だったのだろう。リセールの伊達男と呼ばれ、常に流行の最先端をいく洒落者の無様な姿が見たいというのは、悪趣味ではあるけれども、理解できないわけではない。


 たしかに今日のマクシミリアンの姿は、普段の彼なら絶対にとらないだろう装いをしていた。

 瞳の色によく似た藍色のジャケットは、肩幅を強調していて、裾も長く重苦しい。生地や仕立ては良くても、ひと昔前、いやふた昔前だろうか、流行遅れもいいところのジャケットではないか。それから、髪型。背中まであった黒髪をバッサリと短く切り、前髪をすべて後ろになでつけている。これもまた今ではすっかり廃れたスタイルだった。

 若い者たちは、ジョークだと考えた。いささか奇妙だけれども、リセール公ならではの常人には理解し難いおふざけなのだと。

 年長の者たちは、まったく笑えなかった。これがジョークだと言うなら、どんな罵詈雑言だってジョークになる。不謹慎だと憤りを覚える者までいた。


 マクシミリアンは、亡き父クリストファーが好んだ装いを真似る姿をしてきたのだった。

 中には、クリストファーの亡霊が現れたと危うく悲鳴を上げそうになった者もいたほどだ。


 いったい、リセール公は何を考えているのか。噂の真偽はともかく、今日、この場で彼は謀反などしないと表明しなければならないというのに。

 これではまるで、婚外子であるジャックよりも正統な血筋だと見せつけているようではないか。

 王位継承権の正統さで対立しているふりをして、実は結託し不穏分子をあぶり出し一網打尽にしたと、今回の噂に引きずられるように話題に上がっていたせいで、不遜な装いに見えてしまう。


 いったい、国王は何を考えているのか。

 いったい、リセール公は何を考えているのか。

 いったい、これから何が始まるというのか。


 六王子の悲劇の長兄クリストファーを尊敬していたエリックは、しばしほうけたようにマクシミリアンを見つめていた。

 エリックと同じ世代の中で、まごうことなき英雄はクリストファーただ一人だった。後にも先にも、ただ一人。できることなら、クリストファーに仕えたかった。叶わぬ夢をいまだに捨てられない宰相の息子には、いささか刺激が強すぎた。


 どれほど亡き父に似た装いをしたところで、マクシミリアンはマクシミリアンだ。クリストファーではない。


 すぐに我に返ったエリックは、忘れられない憧れを汚されたようで腹が立った。とはいえ、なぜか欠席を決めた父から任された大舞台だ。咳払い一つで憤りを抑える。顔に出るようではまだまだだと、もうすぐ孫も生まれるという歳だというのに、父から叱責されてしまう。


「リセール公マクシミリアン・ヴァルトンをリセールより連行したのは、今世間を騒がせている噂について釈明させるためである」


 中肉中背のエリックの声は、意外にもよく通る。


「問題の噂について知らぬ者はいないだろうが、わたくしから簡単に説明を。リセール公マクシミリアン・ヴァルトンが謀反を企てているという噂の出どころは今のところ不明だが、流れ始めたのは四月の半ば頃――つまりまだひと月と経たっていない。にもかかわらず、国中で噂を知らぬ者はいないほどの騒ぎになっている」


 エリックは一度言葉を切った。マクシミリアンの様子をさり気なくうかがうけれども、堂々と背筋を伸ばし目を伏せたままだ。まるで、聞き飽きた説教を聞き流そうとする不遜な子どものように、エリックの目に映った。


「リセール公、なぜこれほどの騒ぎになっているのか、わかっているのか!?」


 とうとう感情をあらわにしたエリックに、マクシミリアンは小さく息を吐いた。

 どうやら、エリックは彼が謀反を企てるなどありえないと考えているようだとわかってしまったからだ。


(これは、俺の人望があるってことかな)


 喜ぶべきなのだろう。けれども、マクシミリアンとしては、もっと容赦なく追求してほしいところだ。なにしろ、罪人のように玉座の間に連行されるという貴重な機会は、もう二度とない。残念だと思うことも贅沢だとわかっているけれども、残念なものは残念だ。

 彼がそんなことを悠長に考えていられるのは、今のうちだ。わかっている。

 こんな機会は、もう二度とない。

 失敗するわけにいかない。いかないのだ。


 マクシミリアンは伏せていた目を上げ、かすかに片方の口角を上げてから口を開く。


「なぜこれほどの騒ぎになっているかと問われましても、わたくしめには答えようがございません。そもそも、わたくしにとっても不本意極まりなく大変心苦しい限りです」

「なにを……」


 いけしゃあしゃあと何をと気色ばんだエリックをなだめるために、マクシミリアンは笑いかける。彼のいつもの人好きのする朗らかな笑みのはずだった。けれども、死んだ父を真似た装いのせいで、寒気がした。


(そうだ、そうだった。クリストファー殿下も同じように笑われる方だった)


 マクシミリアンが、これほど父に似ていたとは。

 おののいたのはエリックだけではない。二八年前(あと半月ほどで二九年前になる)、灰になったクリストファー王子が、蘇ったのではないか。あるいは、息子の体を介して何かを訴えにきたのではないか。たとえばそう、いまだに謎のままの――いや、そんなことあるわけがない。あるはずがない。馬鹿馬鹿しい。仮にそうだとして、なぜ、今なのだ。今さらではないか。


 ありえないと強く言い聞かせて気を取り直せば、やはりマクシミリアンはマクシミリアンでしかない。

 人好きのする笑顔は、彼が幼い頃から亡き父にそっくりだと言われていたではないか。


(なんだって、そんな格好で来たんだ!!)


 噂の真偽などよりも、昔憧れた人を真似る装いをしている理由を納得がいくまで説明してもらいたい。そんなエリックの本音など、もちろん知る由もないマクシミリアンは続ける。


「なので、はっきり申し上げましょう。噂は噂でしかなく、謀反を企てるなど、たとえこの身が灰になろうともありえない。ヴァルト王国で、このマクシミリアンより忠義を尽くしている臣下は他にいないでしょう。そのわたくしが、どうしてどうして謀反などだいそれた裏切りをできましょうか」


 ピンと張り詰めた空気が、一気に白ける。

 この国で『灰になろうとも』とは、そう簡単に口にできる言葉ではない。一生涯貫けるほどの固い決意を宣言できる者がどれほどいるというのか考えれば、彼の発言にどよめきが起こったのは少しもおかしなことではない。

 否定するにしても、他に言い方があっただろうに。

 彼の不敬ともとれる態度に、思わず横目で国王の顔色をうかがった者は少なくない。即位したあともマクシミリアンを親しみを込めて「従兄上あにうえ」と呼び、実の兄弟でもめったにいないほどの仲の良い二人だ。このまま笑って拍子抜けするくらいあっさり許してしまうのではないか。そんな光景がありありと思い描けるほど、二人は仲がいい。

 けれども、ジャックはあいかわらず厳しい顔つきのままで、冷淡な視線を差し向けただけだった。

 エリックは、びくりと肩を震わせた。まだ追求しなければならない事柄が残っている。自分に丸投げした父を恨めしく思いながら、大きな咳払いをした。


「リセール公、噂をすべて否定するわけではあるまい。密かに西海のピュオルに行った件と、ドローア監獄で囚人と接触した件は事実であると、調べはついている。この二件に関しては、どう説明するのだ。謀反とは関係ないと、はっきりと釈明できるのか」

「もちろんです」


 マクシミリアンは、笑顔で続ける。そのためにわざわざ来たのだから、当然だと言わんばかりに。


「たしかに、今年の三月、西海のピュオルにおもむき、チャールズ叔父上とリチャード叔父上を秘密裏にリセールに連れ帰りましたし、ドローア監獄に収監されている元反体制派のヒューゴ・ウィスティンと手続きをふまずに接触しました」


 なんということだ。エリックが把握していたよりもずっとひどい話ではないか。


(いったいどうすれば、あの双子王子を連れて帰ったなどと言えるんだ!?)


 頭がくらくらしてきたのは、彼だけではなかっただろう。先の王ですら、ついぞ呼び戻すことが叶わなかったチャールズとリチャードを連れ帰ったなど、謀反よりも信じがたい。ことによっては、謀反と同じくらい罪に問われるのではないのか。

 胸を張って言えることではないのは、確かだ。


「無断で領地を……いえ、国を離れ短い間とはいえ責務を放棄したことは、まぎれもない事実。この件に関しては、当然厳しい罰を与えられて然るべきだと覚悟しております」


 国王に深々と頭を下げたマクシミリアンは、「ですが」と続けために顔を上げる。もう笑ってなどいなかった。


「ですが、どちらもわけあってのこと。決して、気晴らしや遊びのためにしたことではありません」


 相応の覚悟があってのことだと、痛切に訴える。


「すべては、我が父クリストファーと母パトリシアの死の真相を突き止めるために、必要なことだったのです!!」


 マクシミリアンの訴えは、広間の隅から隅まで響き渡った。


 二八年前の王太子夫妻暗殺事件。

 病弱な体と引き換えにと揶揄されるほどの明晰な頭脳を持った先王コーネリアスですら、犯人を突き止められなかった。長兄クリストファーを心から尊敬していた彼ですらついぞ解けなかった難事件に、両親の顔すら覚えていないはずの遺児マクシミリアンが挑んだというのだ。

 非業な最期だったと、この国の者なら誰もが知っている。

 まったく予想していなかった答えに、水を打ったように静まり返る。


 クリストファー王子を敬い慕っていたのは、エリックだけではない。多くの者に慕われていた。そうでなければ、狂王ロベルトの暴政を終わらせられなかっただろう。待ち望まれた戴冠を目前に控えた彼がなぜ暗殺されなければならなかったのか。彼の無念は、察するに有り余る。

 暗殺された王太子夫妻を直接知らない者も、もちろん謎のままの事件の真相は気になる。

 沈黙を破ったのは、それまで沈黙を貫いていた国王ジャックだった。


「それで、真相は突き止められたのか? 余の父さえも匙を投げたほどの謎を解き明かしたと言うのか」


 不快感すらにじませた冷ややかな声に、なぜか無関係な聴衆の多くが震え上がる。

 ところが、当のマクシミリアンは堂々と答える。


「もちろんです。お許しいただけるなら、この場で真相を明らかにしたく存じます。長い話になりますが、リセールを離れたことも、納得していただけるかと」


 そのために髪を切り、流行遅れの服を着た。

 マクシミリアンの痛いほど切実な眼差しで、国王に訴えている。

 いつの間にか玉座の間に集った聴衆たちも真相を明らかにしてもらいたいと、彼に追従するように真剣に国王に無言で訴えている。

 もはや誰一人として、謀反の噂を信じていない。すっかり頭にない者も少なくない。

 ジャックは誰にも気がつかないほど小さく嘆息した。玉座から見下ろす人々の顔は、存外よく見える。彼らが皆従兄と同じ目をしていることに、なにも思うことがないわけがないだろう。

 胸中がどうであれ、若き国王は鷹揚に彼らの懇願に答えなければならない。


「いいだろう。もとよりリセール公の話を聞くために、この場がある。余のみならず、ここにいる者すべてが、証人となろうぞ」


 思わずといった安堵の声が、ちらほら聞こえてきた。

 マクシミリアンもまた肩の力が抜けたようだった。


 意外なことに彼は父母の無念を晴らしたいとは、まったく思っていなかった。むしろ、こんなところで望んでいないだろうとすら考えていた。

 顔も覚えていない父母のためだけに、ここまでしてこれたはずがない。

 不甲斐ない自分のため。

 それから、きっかけを遺してくれた偉大な叔父コーネリアス、背中を押してくれたアンナとデボラ、


『いつか――たとえばお前が父になるときなどに、自分の父母のことを知りたくなるはずだ。そんな日が必ず来ると、確信しているし、そうであって欲しいと願ってもいる』

『悩み続けるなんて、まったくもってナンセンスよ。目の前に解決する手立てになるかもしれない物があるってわかっているのに、ためらう必要なんてないの。わかった?』

『行ってきなさい、マクシミリアン・ヴァルトン。正直、行ってほしくなんてないわよ、もちろん。でもね、今行かなかったら、あなたは絶対に後悔するでしょう。必ず帰ってくるって信じているから、行ってきなさい!』


 慣れない船旅の果てで出会った双子の叔父とアウルム族のチェチェ、


『たしかに今さらだな。だが、それがどうした』

『そういうところ、クリス兄そっくりだ。まったく、うらやましいったらない。しかたがない、最後までつきあってやるよ』

『マクマク、できる! アウルたち、言っテる。マクマク、スゴいて言っテる。アウルいっぱい、味方!! チェチェも、味方!!』


 自分が不甲斐ないばかりに監獄に追いやってしまったにもかかわらず、協力してくれたヒューゴ、


『再びお役に立てる日が来るなんて、夢にも思いませんでした。マクシミリアン様なら、間違いなく立派にやり遂げてくれると信じてます』


 そして――――、


『今でもふとした時に思う。二人を殺した人の皮を被ったケダモノが、今この瞬間ものうのうと生きているかもしれない。そう思うだけで、怒りで目の前が真っ赤になる。今でもだ!! 何度も何度も、夢の中で八つ裂きにした。大河に沈めてやった。何度も何度も、何度も何度も何度もッ……何千回、何万回殺しても足りない。だが、野放しにしている原因は、わたしだ。わたしのせいで……ずっと後悔している。なぜあのとき――』


 死んだ父母のためではない。

 今を生きている自分と、彼らのためにここにいる。


 ――――――ィン


 鳴らない鈴の音を、マクシミリアンは聞いた。


「陛下の寛大なる御心に、心より感謝いたします」


 リセール公マクシミリアン・ヴァルトン一世一代の告発が、今始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る