第10話「先住民と異邦人」①

   第五話「先住民と異邦人」



 どういうことだ、とつめ寄ってもティエンは首を振るだけ。

 知らないというより、説明できる言葉を持っていないように見えた。加えて、ずいぶんと消耗している様子だ。キーンも混乱していたため、その日の夜は互いに離れず、ひとかたまりになって眠った。

 互いに言葉にはしなかったが、他者が側にいて欲しかったのだ。

 人の形をしている器物は変わらず冷たかったが、キーンの身体も冷えていた。肉体と機械義肢の接続部から熱が逃げていくようで寝付けず、明け方に起き上がる。

 キーンが立ち上がると、ティエンもついてきた。

 そのまま出て行って、向かった先はジャンの店。そこ以外、行くところがわからなかったから。

 まだ朝もやの残る中、現れた訪問者がキーンだとわかると、ジャンは何も言わずに迎えてくれた。


   ■□■


「すまねえ、全部知ってた」

 開口一番に頭を下げてきたジャンにキーンは言葉をつまらせる。迷って視線を外すと、隣のティエンまで肩を落としていた。

「……我もだ」

 つまり、一人と一振りでキーンに隠し事をしていたことになる。

「説明はするからよ、ひとまず朝飯でも食え」

 店内へ招き入れられ、そのまま席に案内される。ジャンは昨日の残り物だが、と言いながら手早くいくつか料理の皿を持ってくると、キーンの前に並べてくれる。

 食べろ、と言われ、機械的にそれらを口に運ぶ。あまり空腹は感じていなかったが、それでも食事する姿にジャンが少しばかりほっとした顔をしたので、ただ噛んで飲み下す。

 そこでジャンが告げる。

 グロリアは目的のために会社を閉めて出て行った。キーンの保護者役はジャンに頼んであるという。

 先だって交換した機械義肢の代金はグロリアが完済した。戦災孤児の給付金、というより、人体実験についての口止め料は、これまでどおりキーンの口座に振り込まれる。

「一応、俺が管財人って指名されている」

 つまるところ、世話役が変わっただけでキーンの生活に変化はない。暮らしていた家も、そのまま使っていいとのことだ。

「グロリアの目的って、何なんだ」

 ついに胃が受け付けなくなったので、キーンは匙を置いた。ジャンはその間に用意していた果実水を出してくる。

「だな、そこ訊きたいよな」

 ジャンは手早く空いた皿を片付け、今度は焼き菓子が入った籠を出してくる。食べ物はもういい、と目線で訴えたが、まあまあと言いながら押し付けてきた。この男はとにかくキーンに何か食べさせるのが好きなのだ。そういう趣味だと割り切り、ひとまず焼き菓子は脇へ置く。

 ジャンも自分の果実水を持ってカウンターから出てくると、キーンのいるテーブル席の方へ座った。まだ早朝の店内は静かで、それでも窓外から入ってくる陽光が日中の騒々しさを予感させた。

「まあ、いろいろあってな」

 ジャンはゆったりと果実水を口へ運ぶ。ティエンにも座ったらどうだと水を向けるも、少女は光の届かない隅の方に立って動かない。

「とにもかくにも、あいつは自分勝手なだけなんだよ。やりたいことのために動いて、他は何も見ない、聞かないで放り出す」

「勝手って、そりゃあ、いきなりこんなことになったのは……その、驚いた」

 キーンもまだ事態について行けず、睡眠不足もあって頭が回らなかった。それでも相対するジャンがグロリアに対し、少しばかり腹を立てている様子なのはわかる。

 ふん、とジャンは不機嫌さを隠しもせず鼻を鳴らす。

「だから、おまえを拾って来た時もやめておけって言ったんだよ。どうせこうなることはわかってたんだからな」

 怒ってはいるが、口調はあっけらかんとしている。予想通りだと肩をすくめる様には諦念の色があった。

「途中で投げ出すくせに、半端に抱え込みたがるんだ。俺からすれば、追いかけてる目的の方がくだらねえよ。そのために、家族も、居場所も、何もかも置いてくなんて……」

 馬鹿げている、とこぼした声は小さくかすれていた。

 ジャンはにこやかな態度を崩さない男だ。グロリアも同様だが、男の笑顔はどこか表面上だけのものに思えてキーンは少しばかり苦手意識があった。だが、ここで机の表面を指で叩いていらだちを表現している様子はあまりにも素で、そんな飾り気のない様は驚愕と同時に、この男にも感情があるという当たり前のことにいまさらながら気がつく。

「ジャンは、グロリアのことが嫌いなのか」

「嫌いって言うか。あー、あー。そうだな、あんなやつ、嫌いだ」

 はっきりと断言はするものの、椅子を揺らしたり頬杖をつく態度が子供の癇癪のようだ。普段とは違う態度に、キーンは逆に男に見入ってしまう。

「……そんなに見つめるなよ……。おまえ、目がでけぇしまっすぐ見るから視線が痛い」

「ごめん」

 謝るな、とジャンは手を振ると姿勢を戻す。

「で、グロリアの件だけどな……」

 口火を切るも、すぐさま言い淀む。教えるとはいっても、どこまでキーンに語っていいものか、判断に苦しんでいるのだろう。

「我は、キーンがいることは間違っていないと思う」

 断じる言葉は、店の隅からだった。

 ティエンが発した声音は、水底のように静かだった店内によく通った。

 透んだ声にジャンは小さく息を吐くと、だな、と同意する。

「俺の言い方が悪かった。キーン、おまえがグロリアのとこにきたのは、いい傾向だったんだよ」

 ただし、とジャンは眉間にしわを寄せる。

「あの女、自分で面倒見る、とか言っておきながら、料理もろくにできねぇし風呂も入れられねえ。キーンが熱出しても看病どころか仕事があるからって店に置いて行くし……ていうか、おまえのいろいろな手続きとか、記録とか、そのあたりを調べたのも全部、俺だからな!」

 だから、実質おまえの面倒を見ていたのは俺、と指さされ、キーンも返す言葉につまる。

 というより、その通りだったから何も言えなかった。

 収容所から実験施設送りにされ、四肢を奪われ戦場へ放り出されたキーンはかろうじて生還する。だが施設側は人体実験の記録を破棄して非人道的行為をなかったことにしようとした。その捨てられた断片を拾い集め、スコルハの子供がどのような経緯をたどってこの状態になったのかを探ってきたのはこの男だ。ジャンの手腕がなければ、ハミオンの市民登録申請が通ったかは五分五分だろう。

 赤い髪に揺れている、金の飾りを手渡したのはグロリアだったが、それを見つけてきたのはジャンだ。

 俺が育てたようなもんだぞ、とジャンに髪をかき回される。

 グロリアも手を尽くしてくれたのは確かだが、あと一歩どころか三歩ほどつめが甘かったのは事実だ。といっても、キーンが彼女の不器用さと要領の悪さに気づくのはずいぶん後になってからになる。それまでの悪環境のため、比較対象としてジャンがいなければ、いまだに缶詰の豆を温めただけのスープや、塩漬けの乾燥肉をかじっても何も感じなかったかもしれない。

 何となく机上にあった焼き菓子を手に取って口に運ぶ。ほろほろとした食感で、口の中に砂糖の甘さとバターの香りが広がった。

 美味い、と感じることができるようになったのも、ジャンが手を変え品を変え、いろいろなものを食べさせてくれたおかげだ。以前は何を口に入れても、飲み下せるか、そうでないか程度の差しかなかった。

 腹はいっぱいのはずなのに、つい二つ三つと焼き菓子を食べていると、ジャンはその様子を見て深く息を吐く。

「けどなあ、おまえを見つけたのが俺だったら……多分、そのまま放り出してただろうな」

 そうだろうな、と落胆するでもなく納得する。ジャンが冷たいのではなく、この男は自分が抱え込める範囲を自覚し、許容量を越えてしまったものを切り捨てる判断が速いだけ。情報屋が己の力だけでは持ちきれない荷物を持てば周りがよく見えなくなり、他の客に適切に分配することができなくなるからだ。

 けれど荷物の重さにふらついている者がいれば、助けの手を出すお人よしでもある。

「……話がそれたが、おまえが来てからグロリアも変わったと思ってたんだが……根っこの部分はそのままだったわけだ」

 ふいー、とジャンは大きく息を吐く。酒飲みてぇとこぼしたが、酒瓶に伸びた手を引き戻す。これから長い話をしなければならないが、アルコールで口をなめらかにするのはあきらめたらしい。

「あーっと、キーン、おまえ、純色の賢者について、どれくらい知ってる?」

「名前とかは、何となく聞いたことがある」

「我は知らんぞ」

 いやおまえはわかっておけよ、とジャンが突っ込みを入れるも、器物に人の歴史など関係ないと、ティエンは無知さを逆手に取って胸を張る。あまりにも堂々とした様子にジャンは相手にするのをあきらめたらしく、キーンに向き直った。

「グロリアの件を話す前に、前提知識ってやつを共有してくれ」


   ■□■


 およそ百年ほど前、人々はユージン大陸に入植を開始する。

 その目的というより理由は、世界規模の伝染病。病の津波に飲み込まれまいと、人々は感染から切り離されていた未開の大陸へ逃げ込む。

 そうして逃げ延びた先で、のちに純色の賢者と呼ばれる者たちが、秘術を用いて大陸の封じ込めを行った。大陸は外界から遮断され、隠され、病どころか大陸の外側にいる人間からも見えなくなる。

 そこまでして、ようやく伝染病から逃げきることができたのだ。

 これが、入植者のはじまりの物語であり、先住民であるスコルハは、滅びへのはじまりだった。

「っても、そのあたりの伝承はあいまいでな。賢者は複数人いたし、入植開始時期もバラバラ。それぞれの国に伝わっている話に共通点はあるが、つじつまが合わない事も多いんだよ」

 伝染病に関しても、風邪のような症状から、脳が溶ける、といった奇病まであり、どのような病気だったのか詳細はわかっていない。そもそも移住に関しても、入植者ら全員が結託して行った行動ではなかった。

 共通点としては、元いた土地で病が流行り、多くの者が亡くなる。そのため生き残っていた数十人ほどの集まりが移住を決めたところ。

 当時、同じ行動に出た集団が複数あり、大陸の沿岸部に点々とたどり着く。彼らを先導した者が賢者と呼ばれ、現存する国の枠組みを作ったとされている。

「ただ、方術という特殊な能力を有した者が何人かいたのは本当だ」

 純色の賢者。

 そう呼ばれる者たちは、己の身ひとつでさまざまな奇跡を起こした。

 入植開始当時、元いた大陸から逃げるようにしてやってきた彼らの装備は、とても貧弱なものだった。そこで方術を持った者たちが前に出る。

 岩を砕き、川の流れを変え、獣を退ける。

 逃げる原因となった伝染病こそ治せなかったが、原野の中で彼らの持つ力と知識は人々が前へと進む光となった。

 入植者らは、たどり着いた海岸線を中心に開拓を進め、定住を開始する。

 そして、先住民、飛び駆ける獅子(ス コ ル ハ)の民との接触が起こった。

 そもそも、入植や未開の大陸という言葉には語弊がある。ユージン大陸には入植者らが到達する前からスコルハがいた。彼らは入植者が大陸を発見する何万年も前からこの地で暮らしていたのだ。

 多くの部族が独自の文明を作り、それぞれ暮らしていたが、入植者との最初の接触自体は良好だった。資源は有限だったが土地は広かったため、互いの領分を侵すこともない。それに、当時の入植者の中には自分たちの方が異邦人であると自覚的な者も多く、接触から即座に互いに敵意を向け合うことは少なかった。

 だが、すぐにその関係性は瓦解する。

 入植者が持ち込んだ伝染病で、多くのスコルハが倒れた。

 さらに入植者側が生活領域を広げていくうちに、スコルハが代々暮らしていた土地を浸食しはじめる。そこで入植者側はあろうことか、囲いを乗り越えてくるスコルハを容赦なく射殺、あるいは追い立てて虐殺したのだ。

 その囲いを作り、勝手に境界線を敷いたのは自分たちだというのに。

 次第に入植者たちは初期の謙虚さを忘れ、自らこそがこの土地の支配者だとばかりに横暴に振る舞うようになる。

 大半のスコルハが定住も耕作もしていなかったことを理由に土地の所有権を認めず、彼らの土地を奪い、持ち込んだ文明を使って性急な開拓を進めてしまう。

 スコルハは部族が二百以上存在し、数で言えば入植者よりも圧倒的に勝っていたが、部族単位の連携は取れていなかったため反抗は散発的なものになり、入植者の重火器類を前に死体を積み上げていく。

 虐殺だけでなく、奴隷として大陸横断鉄道といった事業にも多くのスコルハを駆り出し、労働を強制した。多くのスコルハが事故や病気で倒れ、線路の枕木の数だけ赤い髪の死体が埋まっている、と揶揄されるほど。

 さらに入植から年月が経過したことにより世代交代も進む。伝染病の脅威も収まるにつれ、入植者らは次第に自らを現地人と呼称するようになり、むしろ自分たちがこの何もない荒野を人が住めるようにしたのだと豪語しはじめる。

 そのころにはスコルハの社会は崩壊していた。入植者が到達する前のスコルハの人口は推定で三十万人から百万人になる。人数の幅が大きいのは、入植者がたどり着いた場所が大陸の東側に集中し、中央より西側は未開の地となり詳細が不明のため。

 それだけ多く存在していたスコルハは、数十人、多くても百人ほどの入植者が持ち込んだ伝染病や奴隷狩り、単純な虐殺のため数万人にまで激減する。

 そこまで追いやられてもスコルハは野にいる獣と同じ扱いを受け、迫害の対象となり差別と虐殺は終わらない。部族ごと消えてしまった集団も多数あった。

 そして年月が過ぎ、入植者側の生活基盤が安定したことで、彼らはようやく自らが追いやった先住民へ向き合うようになる。だがそれは、「消えゆく民」として保護するもので、実態とはかけ離れた政策だった。

 入植者の提案はどれもスコルハの権利回復ではなく、決められた保護区へ押し込めるだけの隔離措置でしかなかった。反抗すればまた容赦なく蹂躙され、純色の賢者の末裔が興した国同士が戦争となれば、その境界にいる彼らはまた住処を追われる。

 そして、七年前に勃発したクアール武装蜂起では、衝突する国家間の狭間にいたスコルハもまた、各所から重火器類を入手し立ち上がった。帰属する国を持たないスコルハは、自身の部族以外のすべてに銃口を向ける。そのため争いは泥沼化し、収束までに五年もの歳月がかかってしまう。

「おまえらスコルハを理不尽に追い立てたのは入植者だ。しかも差別は現在も続いている。そこには入植者側のゆがんだ選民意識というものがある」

 自分たちの力で切り開いたという自負。先住民よりもすぐれた技術や能力を持っているというおごり。過酷な環境ゆえに、誰かや何かを下敷きにしてしまう精神的な弱さ。

 この大陸の百年には、そういった要素が複雑にからんでいる。

「その選民思想のトップにあるのが、純色の賢者だ」

 話が長くなったが、とジャンは髪をかき回す。

「グロリアがここを出て行ったのは、その賢者がらみ。あいつは賢者の直系だ。その生家の問題が発端なんだよ。だがそれは、トラヴァース家のことじゃない。あいつは養女で、生まれた先のごたごたに巻き込まれた形になる」

 グロリア・トラヴァース。

 キーンの欠けた手を取り、四肢を与え、立ち上がらせてくれた。

 だがその彼女にも、逃れられない過去があったのだ。

「あいつは生みの親に呼び戻された。その一族は黒。純色の賢者のうち、もっとも相手にしたくねえって評判のメレネロプトの支配者だ」

 メレネロプト。キーンは口中で繰り返す。

 方術至上主義の国とは聞き及んでいたが、実態はよく知らない。方術士というと、たまに街中で袍服を着ている術師とすれ違う程度だ。

 だが、そこでジャンが立ち上がった。

「すまねえ。全部話してやりてぇが……労働の時間だ」

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