第7話「分水嶺」①

   第四話「分水嶺」



 それでは、とグロリアはわざとらしくこほんと咳ばらいをすると、拳を振り上げる。

「キーンくんの手足も直ったことなので、本日よりアルストロメリア社は本格的にお仕事の受注を再開します!」

 おー、とそっけない返事をするティエンにキーンが続く。

「今日はどんな内容なんだ?」

 キーンはしばらくの間、四肢の不具合でまともに働けなかった件を挽回したかった。あと、機械義肢を中古とはいえ交換したので借金が上乗せになってしまう。なので少しでも実入りの多い仕事をこなしたい。

 えーっとね、とグロリアがファイルから二通の封書を出してきた。

「実は、二件の日程が重なってしまいまして……」

「いきなり不穏なはじまりだな。社長の手腕が鈍りすぎだろう」

 ティエンに突っ込みを入れられ、社長のグロリアはしおれる。

 仕事は多ければうれしいが、一度に動ける人員は限られている。というより、この場にいる三人しか従業員はいない。そしてティエンは人数に勘定できるかどうかは微妙な存在だった。

 でも、とグロリアは顔を上げる。

「この機会を逃したくないので、今回は助っ人をお呼びしました」

 じゃーん、という声と同時に、窓から男が顔を出す。

「ハミオンいちの情報屋、ジャンです!」

「ああ、さっきから外をうろうろしているなとは思っていたが」

「助っ人はいいけど、方術士はグロリアだけだろ。二手に分かれたところで対処できないと意味がない」

 少年少女から散々な言い方をされたジャンだが、気にした様子もなくへらりと笑う。

「俺、方術使えるよん」

 まさか、とキーンとティエンにまじまじと見つめられ、ジャンはなぜか得意げに窓から入ってくる。

「おまえらもグロリアが元軍人なのは知ってるだろ。俺もそうだった。で、そこでお嬢に教わってたわけ」

 ふーん、とティエンからあからさまに「こいつ、使えるのか?」と疑惑の目を向けられるも、ジャンは動じず騒がず、グロリアも窓からの侵入を気にも留めない。

「最近よく来るな。情報屋は暇なのか」

「……キーン、男同士つるんで行こうぜ」

 だがティエンのこの一言は痛かったのか、ジャンはわざとらしくキーンの肩を抱いて寄せると一方の封書を手に取る。

「こっちは俺とキーンに任せてくれよ」

 どうやら仕事の分配はすでに決まっているらしい。だが内容もわからないまま連れて行かれるのは困る、とキーンは直ったばかりの足で踏みとどまる。

「何の仕事なんだ?」

 それね、とグロリアが簡潔に答える。

 一件目、ハミオン軍の機兵の調整

 二件目、ハミオン市外にある農園に設置された扶桑の手入れ

 正直、どちらも手間のわりにあまり金にはならない、と彼女は肩を落とす。受けた理由として、ハミオン軍の機兵はグロリアも開発に関わっていた。だからどうなっているのか知りたい。

 農園の方は、軍より前に言われていたのを条件の折り合いがつかないからと延ばし延ばしにしているうちに、前者の依頼が来てしまう。断ってしまえばよかったのだが、農園主はハミオンの議会や商会にも顔がきく大地主でもある。拒否した腹いせに余計な横やりや、最悪、業務取り消しでもされてはたまったものではない。

「仕事の分け方だが、俺が軍、グロリアが農園だ」

 グロリアとしてはハミオン軍の方へ行きたかったが、農園側は手入れというより再調整なので慣れた術者でなければ難しい。軍の方はジャンも触ったことがあるし、汎用型なので農園のものよりは扱いやすいのだという。

「適材適所というやつだ」

「うええ、どうなってるか見たかった」

 嘆きながらもすぐにグロリアが軍の仕様書を出してきてジャンに説明をはじめる。表紙に【機密・複写及び持ち出し禁止】の文字が入っていたが、キーンは読めなかったことにした。見ないふりをしていたが、グロリアの部屋にはその類の書類や術式を記載した書籍や紙が山積みになっている。

 農園の方は初期設定を行った方術士がグロリアではないので、現場を見てからの判断になる。なので互いに必要そうな機材を背負い、町の通りで別れた。


   ■□■


 踏み固められた地面をブーツの底で蹴り、キーンは大きく跳躍する。

 弧を描く身体の下を走り抜けるのは、中型の運送用機兵。キーンは数台連なって走る車両の屋根の上を跳ねるようにして駆け抜け、加速している車両の屋根から飛び降りる。身体をひねりながら倒れ込み、転がる勢いを借りて立ち上がった次の瞬間には走り出す。

 走る、というより、助走をつけて再び跳躍。

 すぐ近くで、がしゅん、と咆哮じみた音がした。

 キーンは音のした方には視線すら向けず、中空で身をひねってさらに飛ぶ。その背中を、何かが通過した。キーンは右足で思い切り地面を蹴って垂直に跳ねる。

 高くなった視界の左右、一方では何かがぶつかった衝撃で転倒する人型機兵。反対側には、人の背の高さほどの台車に似た機械が、前方に装着した複数の頭部から勢いよく小さなつぶてを吐き出している。人型機兵はこのつぶてを受け、倒れたのだろう。

 キーンは台車の機兵を見て、驚愕の声を発する。

「リョウテツ型!」

 それは小型の移動型攻撃機兵で、複数の口から石や鉄球といったものを射出し、周囲を攻撃するものになる。銃よりも威力や弾速は劣るが、小回りが利くのと、そのあたりの石を拾ってくればいくらでも再装填できるので汎用性が高い。

 実際、複数のリョウテツが人型機兵を次々と薙ぎ払っていく。つぶてを受けた機兵は装甲がゆがみ、関節が折れる。

「本当に撃つのか」

 石ころでも当たれば痛いし骨も折れる。キーンはそのまま走り続け、人型機兵を盾にしてリョウテツの攻撃範囲から逃れようとした。

 だがしかし、人型機兵の群れを抜けた向こうには、先だって苦戦した大型機兵シュギョク型が立ちはだかり、キーンの背中に冷たい汗が流れるのだった。


   ■□■


 はい終わり、その声が聞こえた瞬間、キーンは比喩なく倒れ込みそうになる。

 だが倒れるわけにはいかない。これは仕事で、しかも人目がある。

 肩で息をしながら、それでも背筋を伸ばし、ぐるりと視線を一周させた。

 そこは地面を平坦にならした広場で、周囲には小屋があり、一部には階段状の座席が設けられている。そこに集まっている人は皆似たような格好をしていた。

 キーンが機兵の間を走り回っていた場所は、ハミオン軍の練兵場。なので、周囲にいる者たちは、所属や階級は違えど軍に所属している。

 軍にいい思い出はひとつもなかったが、仕事だから、と割り切る。

 今日のキーンの担当は、調整用の機兵の間を駆け回ること。機兵同士で動かすのではなく、生身の人間という不確定要素を放り込んだうえで問題点を洗い出すのだ。

 周囲で見物している兵士を十人ほど使えばよかったのでは、と思わなくもなかったが、許可が下りなかったらしい。

 とはいえ、機兵を傷つけず、こちらは武器もなく、ただ走り回れというのは意外と難しい。キーンも自分以外に人間がいないとわかっていたからこそ、自身の安全を考えるだけでよかった。他者がいれば気を使うし、場が混乱すれば事故も増える。

 リョウテツが人型機兵を何体か破損させたようだが、そこまで責任は取れなかったが。

「いやー、やっぱスコルハの運動能力はすっげえな」

 お疲れさん、とジャンが果実水を出してくる。それを見て、喉が渇いていたことに気がつく。思うよりも緊張していたらしい。なので、ありがたく頂戴する。

 よくやったな、と言ってジャンは手元のバインダーにはさんだ厚い書類に何やら難しい記号や数式などを書き込んでいく。それを横目で見つつ、キーンは流れる汗をぬぐう。天気はよく、練兵場はさえぎるものがないので直射日光に焼かれた肌が熱を持っていた。

「ジャン、スコルハって身が軽いやつが多いのか?」

 何とはなしに問うと、ジャンは書類から視線は上げなかったが答えを返す。

「多いというか、全体的に俊敏で剛腕。何より持久力がある。なにせ、未開発だったころの大陸を生き延びてきたわけだしな」

 ふうん、と言いながらキーンは果実水を飲む。自身こそ、その俊敏で剛腕なスコルハなのだが、同じ部族の民と暮らした経験がないため、数々の伝説を聞かされても実感がわかない。大型機兵の上に飛び乗ったり走り回れるのも、頑丈な機械義肢のおかげだと思っていたくらいだ。

 だがジャンに言わせれば、通常の四肢よりも重い義肢をつけながら、あれほど高く跳躍できる方がすごいらしい。

「他の連中の顔も見て見ろよ」

 言われ、周囲の様子を観察する。練兵場には手の空いていた軍人が多く集まっていた。多くが大量の機兵を動かすさまを見物に来ただけのようだ。

 中には、明らかにキーンを見ている者もいた。芸を見た子供のように目を輝かせている兵士や、こちらを斜めに見ながら複数人で話し込んでいる軍人もいる。

「スコルハは先住民だが、隔離政策や戦争のせいで、実態を知っているやつは案外少ねえんだよ」

 同じ人間であるはずが、誇張された部分やうわさ話が先行してしまい、中には荒野の獣のように忌避する者もいる。

「珍獣扱いは不服だろうが、あいつらは知らないだけなんだ」

「見た目はスコルハでも、俺は共通語しか話せないんだけどなあ」

 スコルハは二百以上の部族に分かれ、言語も異なる。入植者によって部族自体が消滅してしまった集団もあるが、隔離政策以降もこれまでの生活様式を守っている部族も少なからず存在していた。

 だがキーンはそこからはぐれてしまう。いまだに自身の出自もわからず、探す手がかりは髪飾りのみだ。

「まあ、文句つけるやつは放っとけ。何かされたら俺に言え」

 そいつの裏情報根こそぎ調べて報復してやる、とジャンは悪い笑みを浮かべる。そして、よし、と言って立ち上がった。

「問題点はだいたいわかった。あとは裏で調整して、必要なら、すまねえがさっきみたいにまた暴れてくれ」

 今度はこっち、と手招きされ、キーンはあとをついて行くのだった。


   ■□■


 次は屋外の練兵場ではなく、屋内での作業となった。

 外と違い、こちらは一定の環境が整えられているらしく、窓の少ない部屋の空気は乾燥し、少しばかりひやりとしていた。

 そして外の開放的な広さとは逆に、床には隙間がないほどケーブル類で埋め尽くされ、その合間に人の高さほどの箱が林立している。

「それ全部、中に扶桑の根が通ってるから踏むなよ」

 言われても、床には足が入るぎりぎりの隙間しかない。それでも四苦八苦しながら進んでいると、部屋の中央がくぼんでいた。穴のふちに立って中をのぞくと、そこには葉のない木があった。

 正体は、扶桑と呼ばれる大樹だ。

 グロリアがこの木にさまざまな術式を施していくのを近くで見ていたが、いまだにどのような原理で動いているのかわからない。聞くところによると、形状が樹木に似ているだけで、木ではないらしい。

 伝説の巨木から名付けられたもので、呼び方は他にも世界樹・脳樹・疑似神経網と多数ある。成長して質量が増えるのに比例して埋め込める術式が複雑にできるので、ハミオンのように大量の機兵を動かすためには大規模な扶桑が必要になる。

 ただ運用方法は国ごとに異なり、ハミオンの機械部品と組み合わせて独立稼働させて使う方が珍しい。他国では、地面に埋めた扶桑を隆起させて開墾の補助にするといった、部分的な使い方が多い。

「扶桑って、何なんだ?」

「こいつの正体? 俺も知らん」

 ジャンは動けばいいんだ、とそっけない。

「入植者が持ち込んだもので、太陽やら天地創造に関わったものだとか何とか……それ以上はわからん」

 だが扱い方と増やし方はわかっているので、持ち込まれたものから株分けされ、さまざまなところで使われている。

「要はさ、おまえの機械義肢が動いているのと同じ仕組みだ」

 機械義肢は生き残っている神経の反応を増幅させ、機械部分にまで届かせることで指先まで動かすことができる。方術ではその神経伝達を担う部位が扶桑で、要所に埋め込んである珠に脳の代わりにさまざまな術式を記述していくのだという。

 それなら何となく、動く仕組みそのものはわからなくとも、そこまで得体のしれないものでもない、とキーンは納得する。

「で、扶桑の調整で必要なのは、根の成長具合と……」

 といって、階段状にくぼんでいる中へ降りて行く。扶桑の木自体は低く、根の方がよく伸びている。不自然に身体をよじったような形状の幹にはいくつか白い珠が埋め込まれているのが見えた。そして枝には術式の書かれた札や薄い木の板がぶら下がっている。

 相変わらずキーンには何が書かれているのかまるでわからなかったが、ふと足を止める。

「グロリアの字だ」

 中心地点にある札の多くに見知った書き癖の字が並んでいた。ジャンもそうだな、と同意する。

 本当に、ここにいたのだな、と新鮮な驚きを覚えた。

「書いた術式を、あの珠に記憶させるんだ」

 だからこの札は、術式展開が終わったあとのメモ用紙みたいなもの、と短冊がつらなった枝をかき分けジャンはねじくれた幹の前に立つ。

「だから、札を取ったところで取り込まれた式は生きてるし、扶桑も成長を続ける。内部に埋め込まれた玉を取り出さない限り、扶桑は停止しない」

 ただ取り出すためには扶桑を枯らす必要があるので、その段階でほぼ死滅するという。

 枯らす、という単語に互いに同じ案件に行き当たったらしく、視線が合う。以前に放棄されたハミオン軍の施設で稼働を続けていた扶桑を止めるため、キーンは囮、グロリアが内部へ侵入した。そこでグロリアは壁に埋め込んで隠してあった扶桑を枯らしたのだ。

 ジャンは軍の備品を横流ししたからか、少し声を抑える。

「あの放棄された施設にいた方術士は、よっぽど能なしか、術者自体がもういなかったのかもしれねえな」

 あのままの状態で放置すれば、制御されずに成長した扶桑の内部で術式が壊れてしまうという。破損した術式はつながっている機兵にも伝達される。機能停止ですめばいいが、制御不能に陥る場合もあった。

 グロリアが扶桑を枯らしたので、大量の機兵が暴走する事態は避けられた、とジャンは安堵の息を吐く。

「扶桑が入ってない人型機兵は案山子のままだが、シュギョク型みたいな大型機兵が何の制御もなく暴れてみろ、小さな集落くらい、一晩で消えちまうぞ」

「扶桑を枯らすのは大変なのか?」

 大変だ、とジャンは肩をすくめる。

「見た目は植物でも、鋼鉄みたいな無機物だと思え。やたらと硬いし燃えにくい。火薬を詰め込んだ樽を並べて爆発四散だな」

 けれど、完全に枯れていない扶桑は破片からでも成長するという。

「グロリアは薬物で割と簡単に枯らしてたけど」

「あー、それがあの女の強みだよ。あの薬、除草剤みたいに見えるが、液体自体が術式で構成されてんだよ」

 俺もよくは知らんが、とジャンは不満そうな顔をする。情報屋としては、あの薬物についての詳細を知りたいのだろう。だが、と男は静かに言葉をこぼす。

「術式が公開されたとしても、それを再現できる方術士が大陸に何人いるかだよ」

 そこまで、とキーンは驚愕する。

 確かにグロリアは方術の使い手だが、傍で見ている限り、そこまで力量があるとは思えなかった。

「……おまえ、もしかして方術士って、山を砕いたり派手に光ったりするのがすげーって考えてないか?」

「違うのか」

 間違ってはいない、とジャンは言う。

「そんな方術士もいる。まあ、専門色が強い分野でもあるからな。けど、あそこまで扶桑の扱いに特化したやつはそうはいねえぞ」

 ハミオン軍は昔から扶桑を使用した機兵の自立行動化を進めてきた。だが理論としては動かせるはずなのに、想定通りの結果を出せないままだった。長い間、案山子のように直立するか、まっすぐに歩くだけの人型機兵や、人間が裏でほぼ操縦するしかない大型機兵を使っていたのだ。

 そこに現れたのが、わずか十三歳の少女。

 彼女は二足歩行がやっとだった人型機兵に状況判断の取捨選択を与え、重火器類の装備も可能とする。大型機兵は定期行路を巡回し、異常があれば攻撃、あるいは本部へ警報を鳴らす。鳥型機兵は上空から戦況を映し、立体的に部隊の展開を把握できるようになる。

 今でこそ当たり前の技術がわずか数年で提供されたことに、上層部は歓喜どころか恐怖したという。

「どうやった、何をした、って誰もが問いかけたそうだが。あの女は、できるからやった、それだけだ」

 むしろ機兵の方が術式の膨大さに耐えきれずに瓦解したほど。通常、扶桑から機兵に与えられる指示は画一的で、状況の変化には対応できない。それをグロリアは現場に合わせて稼働できるよう、細かく書き換えてしまう。彼女の作り出す術式は、汎用性を捨てた代わりに限定的な条件下ですさまじい性能を発揮した。

「……そのせいで、軍お得意の大雑把な運用ができなくなったのがこちらの扶桑です」

 ああ、とキーンも納得する。さまざまな現場に対応できると言えば便利そうに聞こえるが、選択肢が多すぎても扱いが難しくなる。特に軍隊はある程度平均化された装備でないと、機能を使いこなせず脱落する者が増えてしまう。

「そのあたりを、術者としてはそこそこまあまあな俺がいじってどうにかするのが今日のお仕事なわけ」

 こっちを見ろ、と扶桑の幹を示される。

 そこには、白い珠が埋まっていた。

「これが何かわかるか?」

「グロリアには、術式を貯め込んでおく容器のようなものだって聞いてる」

「その認識で間違ってない」

 白い珠は幹の中にいくつか埋まっている。表面はつるりとしているが、宝石のような美しい輝きがあるわけでもない。そのあたりにある石と何が違うのかはキーンには区別がつかなかった。

「これはな、正確には鱗珠(りんじゆ)と呼ばれるものだ」

「うろこの玉?」

 だが表面には魚の鱗的な模様は見えない。

「伝説によると、これは鮫人(こうじん)の涙が珠になったものだそうだ」

 鮫人とは陸でも暮らすことができる魚で、普段は海で暮らしている。涙が珠になる性質があり、その珠は過去を映すという。

「過去を映す?」

「鮫人は機を織る。その縦糸は人の運命、横糸は時間。さまざまな色に染まった他者の運命を見て彼らは笑い、涙を流すそうだ。要は、そいつで記録ができるんだよ」

 しかも札が複数枚に渡る術式でも難なく飲み込んでしまう。触れて、術を唱えることで記録ができる。術式以外も覚えさせられるが、鱗珠自体が希少な品のため、扶桑に埋め込む以外にはほぼ使われていない。

「昔は金持ちが希少だからってことで、髪飾りとかに使ったそうだぜ」

 もったいねえ、とジャンは爪の先で白い珠を弾く。

「扶桑も鱗珠も、入植者がユージン大陸へ持ち込んだものだ。だが、なんでこんな玉が術式を貯め込んだりするのかは、扶桑同様よくわかってないんだ」

 その仕組みを理解していたとされるは純色の賢者だったが、知識が継承されなかったのか、記録が散逸したのか、現在は残ったものをつなぎ合わせてかろうじて稼働させているだけ。

「鱗珠はメレネロプトでしか生産されないんだ。その製法は門外不出。工業製品なのか、真珠みてえに貝の体内で生成される天然ものかも不明。一説によると、メレネロプトは入植の際に鮫人を連れていたらしく、そいつらの涙を採取しているらしい」

 キーンは不可思議な樹木と、白い珠に視線を落とす。

「機兵は人間が作っているのに、それを動かしている機構は何というか……物語みたいなんだな」

 違いねえ、とジャンは笑う。

「方術自体が現状と合ってないんだろうな。けど、大型機兵を動かしたり、大量の機兵を操る技術は他にない」

 もっと違う動力があれば、大陸横断鉄道は石炭と蒸気だから転用できるはず、とジャンは頭をひねっているが、キーンには話の半分も理解が及ばない。自分の四肢を動かしている仕組みもわかっていないというのに、大型機兵をあんな根っこでどうやって操っているのかなんて、想像の外だ。

「話が脱線しまくっているが、グロリアは天才だよ」

 ジャンは枝につるされた札を手に取り、キーンには記号にしか見えない文字の羅列を指でたどる。

「俺には術式の全体像どころか、先端くらいしか見えねえ。それくらい高度で、緻密で、完結している。だというのに、書かれている単語自体は簡単なものだ。けど、なぜこれらを組み合わせているのかがわからん」

 そんな式が数百列単位で珠に書き込まれ、全体を動かしている。キーンは周囲に下がっている札を見ていく。中心付近にあるものはほぼグロリアの筆跡だった。

「なら、ここにはグロリアが来た方がよかったんじゃないのか?」

「そうなんだが……そもそも、俺もグロリアも、とっくに軍籍を抜けてる。いない人間の手を借りなきゃ動かない仕組みなんて、いくら便利でも使い勝手が悪すぎるだろ」

 それもそうか、とキーンは首肯する。

 調整ならグロリアの癖を知っているジャンならできる。今回の出張整備はその癖を抜いてなるべく平均化し、ある程度の知識と技術があれば並の方術士でも追加や変更ができるようにするのが大きな目的だった。

「っても、偉い人はそのへんわかってねーから、見積金額でごねられたけどよ」

 ちょこちょこいじるだけでこの値段はありえない、と激怒されたが、ジャンは今回の調整を行っておけば、いずれは内部だけで回せる。そうすればのちの整備費用が大幅に減少するので、いずれ利益になると説得したのだ。

「そうしたら、こっちの仕事もなくなるだろ」

「大丈夫、どうせすぐに泣きついてくるはずだ」

 グロリアがこの術式を稼働させてから約三年で今回の大規模調整が入ることになった。ジャンが内部をいじってある程度の汎用性を持たせることは嘘ではないが、言い換えれば三年の間に彼女が作ったものを理解できるほどの人員が育っていないことになる。

「俺がいくら簡素化しても、仕様書すら読めねえんじゃあ機兵の配属変更もできやしねえだろ」

 これからもいいお得意さんだ、とジャンは軽く笑う。

「だから、おまえも方術覚えろよ。記述式にすりゃあ、手間はかかるが確実に動く」

「俺、文字もろくに読めないぞ」

「術式を覚えた方が金になる」

 金の話をされると、興味というより必然性が生まれてくる。少しばかり前のめりになったキーンにジャンはにんまりと意地悪く笑ってみせた。

「俺も教えてやっから、覚えろよ。そんで仕事の幅が増えりゃあ、紹介する俺も助かるってもんだ」

 やはり仕事がらみか、と肩を落とすも、ジャンの提案はそんなに悪い話ではないだろう。

「……方術、グロリアがたまに説明してくれるけど、さっぱりなんだよな」

「あいつはそのへん、ひらめき型というか、発想が突飛というか」

 知識の積み重ねもあるが、何よりそれらを組み合わせた応用力にすぐれている。なので特殊な現場であるほど威力を発揮する。

 その場で術式を組み立てるのが上手いので、彼女はまたたきの間に状況が変わる戦場でその場に合った術式を即座に組み上げ展開することで生き延びたのだ。

「まー、俺のは現場で必要だから覚えたってだけだ。グロリアほど真剣に勉強して身についたもんじゃない」

 だからこそ、教えられる、と男は笑う。

「ここにある仕組みが便利なのもわかるんだけどよ……逆に高性能すぎて、現場の人間は大変だったろうな」

 もっと単純でいいんだ、とジャンは言う。

 軍に集まっている連中は十把一絡げ。機兵をまともに見たこともない田舎者から、それらを何万も集めて指揮する将官までさまざまだ。

「だから、兵士でも将軍でも、いきなり何の説明もされなくとも、見よう見まねで使えるのが理想なんだ」

 とはいえ難しい、と肩をすくめるのだった。

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