第31話

 私は普通の人間だ。

 自分の魅力を人に説明することなんてできないし、あえて言うなら普通なのが悪いところでもあり良いところでもある、といったところだろうか。


 でも好きな人には可愛いって言ってほしいし、好きって言ってほしい。

 そういうわがままさはある。


 この前雪羽に「愛してる」と言われて、私の中に少しだけ変化が生まれた。


 あれは遊びだったけれど、もし叶うなら。彼女に愛してると本気で言ってもらいたい。どうしようもなく普通な私だが、そのために努力したい。


 無駄かもしれないけれど。

 あの愛してるが、私の心をどうしようもなく駆り立てていた。


 最近は雪羽と手を繋いで歩くことが多いから、彼女と並んでも胸を張って歩ける自分でいたい。

 そのための努力を今日、私はしていた。


「……穂波。どうしたの、その服」


 今日は雪羽とお出かけをする日だ。

 この日のために私は、コートもセーターもスカートも、全てビビッドカラーのものを購入した。


 痛い出費だったけれど、仕方がない。

 可愛いにはお金がかかるのだ。


「買ったの。どう? 目立つし、可愛いでしょ」

「穂波にはもっと、薄い色の方が似合ってると思うけど」

「でもそれだと目立たないじゃん」

「目立ちたいの?」

「たいの。影薄いままの私じゃ嫌だし」


 雪羽の前で、くるりと回ってみせる。

 雰囲気から、彼女が呆れているのがわかる。


 私だっていきなり何をしているんだろうって思っている。


 思っているけれど、止まれない。好きな人に、私のことをもっと好きになってほしい。これはそのための努力だ。

 努力の方向性をミスってるかもだけど。


「別に、影薄いとは思わないけど」

「薄いよ。激薄だよ。だって友達とすれ違っても絶対気づいてもらえないもん」

「私は気づくよ。どんなところにいても、どんな服を着てても」

「そりゃ、雪羽はそうなんだろうけど……」


 雪羽はいつだって私を見つけてくれる。それは嬉しいし、そういうところも好きだけど。でも、それじゃ駄目なのだ。


 気配は薄いけれど、雪羽は可愛い。顔のバランスが絶妙で、十人中九人は必ず振り返るってくらい可愛い。まるでお人形さんだ。


 そんな雪羽と並んだ時見劣りしない自分になりたいのだ。

 雪羽と同じくらい目立てれば、私ももっと自分に自信を持てるようになるはずである。


 そうなったらもっと雪羽に可愛いと言ってもらえるだろうし、もしかしたら何かの間違いで好きとか愛してるとか言ってもらえるかもしれない。


 恋人になれなくても、一緒にいられればいい。

 それは確かだ。恋人と友人の違いがあまりよくわかっていないし、友達として一緒にいられるこの時間が一番幸せではあるけれど。


 でも、やっぱり。

 好きな人と恋人になりたいと思うのもまた確かで。


 ……でもまだ自信が足りない私は、雪羽に告白することができない。


「でも、私はもっともっと! もーっと目立ちたい! もっと可愛くなりたいの!」

「今のままでも十分だと思う」

「……今日は全肯定雪羽ちゃんだね」

「何それ」


 雪羽は小さく息を吐く。完全に呆れられているけど、それでもいい。

 好きな人に誇れる自分になるって決めたのだから。


「そもそも、なんで目立ちたいの?」

「理由は色々だけど。普通って言われないような私になりたいし、もっと可愛いって言われたいし」

「可愛い可愛い可愛い可愛い。はい、これで満足してね」

「心がこもってないよー」

「……もう。いいから、早く行こうよ。遊ぶ時間が減っちゃうから」

「はーい」


 雪羽は手を差し出してくる。

 まだ辺りに人はいないけれど、最近の雪羽はサービス精神がさらに旺盛になっている。


 去年はこうやって簡単に手を繋げるようになるなんて、思ってもいなかった。


 雪羽も少しずつ私のことを以前より好きになってくれているのかもしれない。


 これから、もっと好きになってもらいたい。

 自分に自信はないけれど、雪羽を好きってこの気持ちだけは誰にも負けないと思う。雪羽への気持ちだけが、普通な私の唯一普通じゃないところだ。


 雪羽ともっと触れ合いたい。一緒に笑って、楽しい時間を過ごしたい。

 好きって言い合えれば、それが最高だけど。


 でも、今はこうして手を繋げるだけで嬉しくて、楽しい。ドキドキもして、自然と笑顔になれる。


 雪羽の前にいる私は、いつも最高の笑顔を浮かべられていると思う。

 私の笑顔を見て、雪羽が可愛いと思ってくれたらいい。


「私は穂波のこと、普通って思ったことはないよ」

「え?」

「可愛いと思ってる。嘘じゃない」


 抑揚のないその言葉だけで、心がふわりと浮かぶ。

 最高だと思っていた自分の笑顔が更新されて、もっと笑顔になるのを感じる。私は雪羽の手を引いて、彼女と顔を合わせた。


「ありがと、雪羽。雪羽もめちゃくちゃ可愛いよ!」

「……うん」


 雰囲気が少し、柔らかくなる。

 これが照れた時の彼女の雰囲気だということを、私はこの前知った。


 雪羽の感情は大体雰囲気でわかるけれど、時々よくわからない雰囲気になる時がある。でもそれが柔らかいか硬いかで、大体の快不快がわかるのだ。


 照れるという感情は、彼女にとって不快なものではないらしい。

 可愛いと言って不快になられたら悲しいから、今彼女が発している雰囲気が柔らかくて良かったと思う。

 私は笑顔を浮かべたまま、彼女と一緒に駅まで歩いた。




 風が吹くと、体が震えた。

 秋も深まり、後数週間で冬になるこの季節。まだ朝だからか、風がひどく冷たかった。手を繋いでいてもやっぱり寒いものは寒い。


 厚手のコートを着てきたから、これ以上体を温めることはできないよな、と思う。


 雪羽は私が震えていることに気がついたのか、じっと目を見つめてきた。


「寒いの?」

「うん。雪羽は平気そうだね」


 無表情だからそう見えるだけかもしれないが、雪羽はこの寒さを全く意に介していないようだった。


「私、寒さには多分強い方だから」

「そっか。ちょっと羨ましい。私、意外と寒がりなんだよね。もうすぐ冬が来るって思うとすごい憂鬱」

「……」


 雪羽は私から手を離して、一歩後ろに下がった。

 それから、少し迷ったように両手を握ったり開いたりして、今度は私の方に腕を伸ばしてきた。


 ハグしてくださいみたいなポーズだ。

 雪羽が自分からハグしてなんて言ってくるわけないから、別の意図があるんだろうけれど。


「ん」

「ん?」


 ん、だけじゃわからない。

 雪羽は相変わらずの無表情で私を見ている。

 けれど雰囲気が少し硬いから、どうすればいいんだろうってなる。


「寒いなら、電車くるまではいいよ」

「いいって?」

「だから。穂波がいつもしてくるようなこと、していいよってこと」

「え」


 いつも雪羽にハグしようとしているわけではない。けれど、この状況でいつもしてくるようなこと、なんて言われたらハグしか思いつかない。


 まさか雪羽がこんなことを言ってくるなんて。

 頬をつねってみるけれど、夢じゃない。最近の雪羽はどうにも優しいというか、スキンシップを許してくれるようになった。


 今でも私は雪羽が嫌だったらちゃんとやめられるように、スキンシップを取るときは準備をしている。でも、もうそれも必要なくなるのかもしれない。


 こんなに幸せでいいんだろうか。


「いいならするけど、噛まないでね?」

「私のこと、犬かなんかだと思ってる?」

「あはは、どうだろ」

「もう、穂波——」

「はい、ぎゅー」


 広げられた腕の中にそっと体を預けて、そのまま背中に手を回した。

 雪羽は逃げない。


 逃げないどころか、自分から私を迎え入れてくれた。それがどれだけ嬉しいことか。私は今日この時を決して忘れないように、強く彼女を抱きしめた。


「雪羽湯たんぽだ。あったかい」

「穂波の方が多分、体温高いよ」

「もしそうでも私の方があったかさ感じてると思う」

「なんで?」

「んふふー。なんでだろうね。雪羽が今日は優しいからかなー」


 大好きな人に、抱きしめていいって言われたから。

 私の体温を、受け入れてもらえたから。


 今の私はきっと、誰よりも熱くなっていると思う。全身余すところなく熱くて、顔だって絶対真っ赤だ。


 でもそれを見られるのは恥ずかしいから、彼女に見えないよう肩に頭を押し付ける。


 大好き。

 いつも心の中で呟いているその言葉を、彼女に伝える日は来るのだろうか。


「……穂波」


 名前を呼ばれた。かと思ったら、頭をそっと撫でられた。

 今日はいい日だ。今日の思い出だけで数年は生きていけそうってくらい、嬉しくて、あったかくて、幸せだった。


 やっぱり私は雪羽のことが好きだ。

 ちょっとしたことでも心が躍って、受け入れられたら何より嬉しくて。


 いつか私の思いも受け入れられたらって思う。今は自信がないから駄目だけれど、ちゃんと胸を張って雪羽の隣に居られるようになったら、そのときは。


 断られてもいいから、ちゃんとこの想いを伝えたい。

 叶わない恋でもいい。


 友達でいられる時間が今は一番幸せだけど、愛してるって言われたいって気持ちに嘘はつけない。

 だから私は、一歩前に進もうと決意した。

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