第25話

 ミルク味の飴は、去年と全く味が変わらない。

 コロコロ飴玉を口の中で転がしていると、友達に肩を叩かれた。


「穂波、サボるなよー」

「ちょっと休憩してるだけだって」

「じゃあ私も休憩。なんか飲み物買ってこよ」

「そうね」


 私たちは教室の外に出て、廊下を歩いた。

 文化祭の準備が始まってから一週間。学校は完全にお祭りムードになっていて、廊下にも準備に勤しむ生徒たちの姿がある。


 ペンキの匂いとか、段ボールの匂いとか。

 そういうものが廊下に満ちていると、今年ももうこんな季節になったんだなぁと実感する。


 廊下にはペンキの跡が点々と残っている。

 ちょっと視線を変えると、雪羽のクラスが見えた。

 やっぱり隔たりを感じるよなぁ、と思う。


 クラスTシャツが届いてからは、余計にそう思うようになった。当たり前だけど私の着ているTシャツと、雪羽の着ているTシャツは違う。


 その程度の差異なんて気にする必要ないのかもしれないけれど、雪羽が遠ざかってしまうような気がするのは確かで。


 私って結構面倒臭い性格してるんだろうか。

 いや、でも、うーん。


「何百面相してんの?」

「え? いや、別に」

「なになに。二組に気になる男子でもいるの?」


 二組は雪羽のクラスで、一組が私のクラスだ。

 どうしても二組の前を通ると、雪羽の姿を探してしまう。


 朝は一緒に登校しているのに、今も顔を見たいと思ってしまう。目が合うだけでもいいけれど、雪羽は教室の中にいるらしい。


 廊下を歩いても、彼女の姿は見えない。


「いないけど。皆頑張ってるなーって思って」

「婆くさいよそれ。私たちも迷宮作り頑張ってるじゃん」

「まあね」


 入り口から教室の中を覗いてみる。

 雪羽が友達と一緒に何か作業をしているのが見えた。


 去年とは違って、雪羽はちゃんとクラスメイトとにこやかに接することができている。


 それを見ていると、すごいなぁ、よかったなぁ、なんて思う。

 一体何目線なんだって話なんだけど。


 笑いながら見ていると、目が合った。

 じっと私を見てきたから、笑顔のまま小さく手を振った。


 雪羽は手を振り返してはこなかったけれど、ほんのちょっと笑った、ような気がした。


「どしたの?」

「ん? いや、雪羽と目が合ったから、手振ってた」

「ふーん」


 雪羽と目が合っただけで、私は満たされていた。

 同じクラスにいない雪羽に少しずつ慣れて、彼女が遠くに行ってしまったような気がして胸が苦しくなって。


 それでもこうやって彼女の姿を見つけて、手を振るだけで幸せな気持ちになれる。


 私はやっぱり、単純だ。

 私たちはラウンジの自販機で各々飲み物を買って、それを飲みながら休憩する。


 この時期の学校の雰囲気が、私は結構好きだったりする。

 皆で一つのことを頑張って、楽しんで。そういう皆の感情が、ふんわりした空気を生んでいるような気がする。


「私秋空のことってあんまよく知らないんだけどさ、どんな性格なの?」

「どんなって……あんな感じ? クールっちゃクールだけど意外に素直、みたいな」

「ふーん……。悪戯とか好きだったりすんのかな」

「なんで?」

「いや、前に穂波がぐっすり寝ちゃって起きなかった時さ。起こそうとしたら秋空に私が起こしとくから帰っていいよーって言われたことあって」

「え」


 それは、今年の二月ごろのことだろう。

 あの時私は友達皆私の起こそうとせずに帰ってしまったと思っていた。


 でも、雪羽が帰らせていたのか。

 わざわざ他の友達を帰らせて私を起こそうとしたってことは。私と二人っきりになりたかった、とか。


 そんなことあるんだろうか。

 雪羽が私のことを一番の友達と思ってくれているのは確かなんだろうけれど。だからって私と二人でいたがるだろうか。


 いや、でも。

 前にお泊まり会を開いた時も、仕方ないから二人でやろうなんて言われた。あれもやっぱり私と二人っきりでいたかったから、そう言ったのだろうか。


 うーん、しかし。

 あの雪羽がそんなことを思うだろうか。一番っていうのがどのくらいの一番なのかもわからないし。


 いやいや。

 じゃあ起こしてくれなかったことを友達に言った時、会話に割って入ってきたのはなんだったのって話になる。やっぱりあれは一種の照れ隠し的なものだったのかもしれない。


 雪羽が照れ隠しなんて、する?

 わからない。


 わからない、けど。

 もし雪羽が私と二人でいたいと思ってくれているのなら、嬉しい。そこに恋愛感情なんてなくたって、私が彼女の中で特別なら、それでいいと思う。


 ……本当に?


「秋空がああいうこと言ってくるの珍しかったから。なんか悪戯でもされたのかと思ってた」


 雪羽のことが気になりすぎて、友達の言葉があまり頭に入ってこない。

 結局そのあとどんな話をしたのか、自分でもよくわからないまま休憩の時間を終えた。





「穂波。……穂波!」


 手を引かれて、自分がぼーっとしていることに気がついた。

 放課後に文化祭の準備をずっとしていたから、すっかり日が暮れている。


 駅までの短い時間しか一緒にいられないのに、呆けていたら勿体無い。

 そうは思うんだけど。


「どうしたの? 心ここにあらずって感じだけど」

「なんでもない。ちょっと、疲れたのかな」

「……どこかで休憩していく?」

「あはは、大丈夫。あとはもう帰るだけだし」

「……だめ」

「え?」


 そういえば、なんで私は人混みでもない場所で雪羽と手を繋いでいるんだろう。


 どっちから手を繋ぎ出したのかもわからない。ただ、雪羽が私と手を繋ぐことを自然に受け入れているのは確かだ。


 雪羽と手を繋げただけで、今日はいい日だなんて思っていた頃が懐かしい。


 私はあの頃よりも欲張りになっているのかもしれない。手を繋いでいるのが普通になって、むしろ繋げないのがおかしい、みたいな。


 どうかと思う。

 でも彼女の小さな手には、私をどうしようもなく欲張りにする効果があるらしい。


「そのままだと、電車に轢かれそうだから。来て」

「ちょ、ちょっと雪羽!」


 いつになく強引だ。

 雪羽は私の手を引いて、早足で歩いていく。雪羽は私の前を歩いているから、その表情はわからない。


 雰囲気はちょっと、いつもより硬いと思う。

 私が疲れていることを心配してくれているせい、なのかもしれない。


 雪羽に心配をかけるのは忍びない。けれど彼女に心配されるのはちょっと嬉しくて、もっと私のことを想ってほしいなんて、そんなことを願ってしまう。


 私のことを見てほしい。

 可愛いって言ってほしい。

 ずっと一緒にいてほしい。


 こういう感情はどうしようもなく恋だ。私が物事を簡単に諦める人間じゃなかったら、雪羽の恋人になれるよう努力したのかもしれないけれど。


 見てもらうために、可愛いって言ってもらうために努力はしている。

 けれどそれは、恋人になろうとする努力とはまた違う。私は最初から諦めているから、一瞬だけでも満たされたいと思って今まで彼女と付き合ってきた。


 好きって言ったり、少しでも自分を可愛く見せようとしたり。

 その瞬間だけ満たされても、結局虚しくなるだけなのに。


「もう、強引だよ雪羽」

「穂波のせいだからね」

「なんのこと?」

「色々だよ。……ほんとに、色々」


 どこに連れて行かれるんだろう。

 雪羽と一緒なら、どこでもいいけれど。


 そう思いながら、私は彼女と一緒に歩いた。

 なんとなく笑ってみても、雪羽と目が合うことはやっぱりなかったけれど。

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