第20話

 私たちは一時間ほど電車に揺られて、大型複合施設に来ていた。


「そういえば。雪羽ってどの辺に住んでるの?」

「……なんで?」

「いや、私とは帰る方向違うのに、私の家まで迎えに来てくれたじゃん。無駄に電車賃かけさせてたら悪いなーって思って」

「なんとなく、そんな気分だったから。気にしなくていいよ」


 そんな気分とは、どんな気分なんだろう。

 疑問には思うものの、彼女が私を迎えに来てくれたのは事実だから、それを喜んだ方がいいのだろう。

 私はにこりと笑った。


「そっか。でも、嬉しいよ。雪羽がわざわざ迎えに来てくれて、雪羽の可愛い格好も見られたし」

「……そんなに可愛い?」

「可愛いよ、いつも可愛いけど、今日はいつもよりもっと綺麗。なんか、気合い入ってる気がする」


 夏休みだから、施設内はひどく混んでいる。人混みに流されてしまわないように、強く彼女の手を握る。


 彼女の手の温もりを感じていると、自然に頬が緩んでしまう。

 幸せだなぁと思う。


「夏だから」

「ちょっとわかるかも。夏ってなんか、ワクワクしてウキウキして、色々気合い入っちゃうよね」


 私が気合を入れているのは、それだけの理由ではないけれど。


「……気合い入ってると、いえば」


 雪羽は少し端に寄って、私に顔を近づけてくる。

 え。なになになに。どういうこと。

 困惑していると、彼女はそのまま私の鎖骨の辺りに顔を近づけてきた。


「やっぱり。なんか、いい匂いする。レモンティーみたいな」

「あ、あー。うん、そうだね。香水つけてるから。お茶の香りだって」

「珍しいね、穂波が香水つけてるなんて」

「まあ、私も夏ってことで」


 雪羽はすんすんと私の匂いを嗅いでくる。

 大胆すぎる。いや、これくらい距離が近い友達だって確かにいるけれど。でも、雪羽は普段ここまで距離が近い方じゃない。


 どっちかっていうと人とは距離を取る方だし、匂いを嗅がれたのなんて初めてだ。


 汗臭くないよね。

 いい匂いって言ってくれたし。


 いや、でも。恥ずかしい。友達だったらこれくらいは普通、だと思うんだけど。


「そんなにいい匂いなら、お揃いの買う?」

「それは、遠慮しとく。香水って、つける人によって匂い違うんでしょ?」

「そうだね。でも、そんな劇的には変わらないと思うよ」

「いい。この匂いが好きだから」


 好き。

 私じゃなくて、私についた香水の匂いが、だよね。


 うん。しかし、面と向かって好きと言われたのは初めてな気がする。やっぱりどうしても舞い上がってしまって駄目だ。好きって気持ちが溢れ出して、今すぐ彼女を抱きしめたい衝動に駆られる。


 ちゃんと逃げられる距離で、抱きしめますよっていう姿勢を見せてから抱きしめようとしないと嫌われそうだから、しないけど。


 恋人だったら抱き締めるのも好きって言うのも思うままなのかな。

 ああ、でも。

 友達だから好きって言ってくれたなら、やっぱりこの関係が一番だ。


「どうしたの。今日、なんか大胆じゃない?」

「……夏、だから」

「そっか。じゃあ、夏アイテムとか、色々見に行ってみる?」

「何それ」

「コスメとか、服とかさ。雪羽もそろそろメイク、してみたらいいんじゃないかな」

「肌荒れそうだからいや」

「メイクしたらもっと可愛いのに」

「……可愛くなくてもいいから」


 もったいないなぁ。

 無理にさせるのは違うから、諦めるけど。


 可愛くなくてもいいってことは、やっぱり私のことはなんとも思ってないってことなのかな、と思う。


 だって、私は雪羽にいつだって可愛い姿を見てほしいと思っている。自分の顔が特別優れているなんて思わないけれど、それでも最大限の可愛い姿を好きな人には見せたいのだ。


 でも、雪羽は違うんだ。

 当たり前だけど、私のこと意識していないから、可愛くなくてもいいと言っているのだろう。


 好きな人の前で可愛くなくてもいいなんて言う人はいないと思う。

 ……わかんないけど。


「じゃあ、せめて服選びに行こうよ。雪羽の好きな服、知りたいし」

「ん、いいよ」

「雪羽の服も選んであげよっか」

「それはいい。私、着せ替え人形じゃないから」

「じゃあ私のこと着せ替え人形にする? 雪羽色に染め上げちゃっていいよ」

「……穂波」


 雪羽は呆れたような声を出した。


「穂波って、皆とこんなに距離感近いの?」

「皆って?」

「クラスメイトとか」


 私は雪羽にとっては、ただの距離感の近い友達なのだろう。でも、誰にでもこうしていると誤解されても困る。


 困る。が、しかし。

 雪羽にだけだよと言ったら変な感じになりそうだ。恋愛的な意味で好きだと勘付かれることはないと思うけれど、うーん。


 まあ、いいか。私のキャラクターなら、そういうことを言ってもキモいとは思われなさそうだし。


「誰にでも近いわけじゃないよ。仲良い友達にだけ。特に雪羽は一番仲良いと思ってるから、そのせいかなー」

「一番、なんだ」

「そうだよ。嬉しい?」

「嬉しくはないけど」


 雪羽はやっぱり冷たい。別に照れたり過剰反応することを求めていたわけではないけれど、少しくらい反応してくれたっていいのに、と思う。


 雪羽は相変わらずの無表情で私を見つめるのみで、照れている様子も困っている様子もない。


 でも雰囲気がちょっと張り詰めていて、何かを言わないようにしているみたいな、そんな感じがする。


 キモいとかウザいとか言われたら立ち直れないから、そういうことは口にしないでくれたらいいと思う。

 喜ぶのも、雪羽らしくないと思うけど。


「……そっか。とりあえず、服見に行こっか」


 私は雪羽の口から悪い言葉が出てくる前に、彼女の手を引いて話をうやむやにした。


 雪羽は抵抗せず、私に手を引かれるままについてくる。

 そのまま私たちは、何店か服屋を見て回った。いつもは無表情で無関心っぽいけれど、雪羽もお洒落には興味があるらしい。


 私の服を選んでくれることはなかったけれど、見せた時の反応で大体どんな服が好きなのかはわかる。


 雪羽はパンツよりスカートの方が好きで、フェミニンな感じよりもガーリーな方が好きらしい。意外に少女趣味というか、可愛い感じが好きなようだ。


 今日の私はどちらかといえばガーリーファッションだから、ちょうどいいと思う。持っている服もそっちの方が多いし、これなら今後も可愛いって言ってもらえそうだ。


 私は雪羽の反応が良かった服の中からいくつか選んで購入した。

 雪羽は特に私の好みを聞いてくることはなく、服だって一着も買っていなかった。


 あーあ、と思う。

 少しくらい私の好みとか、聞いてくれてもいいのに。そしたら私だって雪羽にはこれが似合うとか、私はこれが好きとか、色々言えたのに。


 これはどうかな、とか、こういうのが可愛いとか言っても、雪羽の反応はイマイチだった。


 私が着て見せたときは、ちょっと反応があったのに。

 でも、まあ。


 彼女の好みの服が買えたから、よしとしよう。彼女が私好みになってくれなくても、私が彼女の好みになれるのならそれでいい。


「雪羽。次はどこ見に行く?」

「見に行くっていうか、お腹すいた」

「あー。朝割と早かったもんね。何食べる? ラーメン?」

「なんで急に若者感出したの。やだよ、ラーメンなんて。……穂波は何食べたい?」

「どうせこういうところ来たんだし、なんかお洒落なものがいいな」

「……お洒落なものって?」

「さあ。とりあえず、探してみようよ」


 人混みをかき分けて、二人で歩く。


「……ねえ」


 歩いている途中で、雪羽が小さな声を発する。

 私はちらと彼女を見た。

 目が合う。


「私も穂波のこと、一番仲良い友達って思ってる」

「え」


 心が跳ねる。

 思わず足を止めると、今度は雪羽に引っ張られた。


「それだけ。穂波が去年話しかけてくれたこと、感謝してる。ほら、行こう」

「う、うん」


 雪羽は冷たい。

 冷たいけれど、私のことを一番仲がいい友達だと思ってくれているのが、嬉しい。


 私がなれる一番って、これのことだったんだろうか。でも、私は全く困っていない。むしろとても嬉しくて、心がふわふわして、どうにかなってしまいそうだった。


 微笑んでみるけれど、笑い返してくれることはない。

 それでも一番という響きが、私の心を揺らし続けていた。

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