第2話 仕事の前に

「チェックメイトだ。」


 高級な木材でできた盤の上にトンッと、きめの細かい精巧さと綺麗に光を反射する光沢さを併せもつ、磁器でできたルークの駒を置く。


「……ふむ。これはもう、詰みじゃな。」


 白く長いあごひげを右手で撫でながらつぶやくアモ爺。



 ここは冒険者が仕事終わりに終わる酒場の地下。冒険者は表のドアから入り1階にある酒場で朝まで飲んだくれるが、地下はそんな場所じゃない。簡単に言うと貴族らの密会場である。


 地下には1階から行くことができない。酒場から30mほど離れた場所に4カ所存在する裏口の門番に、『雲外蒼天の片時雨』というフレーズを入れて会話をすることで、安全に入れてもらえる場所である。


 そんな一般人では絶対に見つけることができないこの地下室は、広場と呼ばれる場所と密談に使うことができる個室とに分かれている。

そして、俺が今いるのは広場の方。ルーレット、ミニバカラ、ブラックジャック、テキサスホールデムなど多種多様な台が存在する場所である。


そんな場所の隅にある机で、俺は白いひげを生やした御年70歳くらいの外見をしたよぼよぼの爺さんとチェスをしているのである。別に賭けをしているわけではない。ただ暇をつぶしているだけである。


 ちなみに酒はシャンパーニュで、つまみは白カビチーズである。どちらもこの酒場で出せる最高級品だが、値段は気にせず飲み食いする。それくらいしか金の使い道がないのだ。


「ところで、今回の標的は誰なんじゃ?」


 アモ爺が駒をもとの位置に戻しながら、俺に向かって聞いてくる。


「いや、まだ標的となったわけじゃない。彼女が信頼に当たる人間であればいかすように言われているだけだ。」


 今回俺があいつに命じられたのは、彼女が信頼できる人間なのかを調査することだけ。彼女は信頼できるのなら活かしようがたくさんあるからだ。まあ、もし信頼できない人間だと分かれば生かすことはないだろうが。


「ほっほっほっ。それはまた物騒な話じゃ。これからお主と話すその彼女が少し不憫に思えてきたぞ。」


 ショットグラスに注がれていた酒をグイっと一息で飲みながら楽しそうに話すアモ爺。……こいつ、絶対そんなこと思ってねえだろ。


「じゃが、彼女の能力は少しばかり厄介だと聞く。お主には少し荷が重いんじゃないかのう。」


 酒を飲みほしたアモ爺は、今度はこちらをニタニタとした笑みを浮かべながら俺に話を振ってくる。……やっぱこいつ、絶対に楽しんでやがるな。……あれ?


「おい、俺はその彼女が誰かはまだ言ってないと思うんだが。」


「ほっほっほっ。お主が出張らなければいけないほどで、女性で、最近急激に有名になった人物となれば、もう彼女しかいまい?そんなことより、本当にお主で大丈夫なのか?うん?」


 にやついた顔を直すことなく、いやむしろ顔を近づけてきてよりうざったらしく絡んでくる。


「はっ。俺にできないわけないだろ。というより、やらなきゃなんねえんだよ。俺がやらなかったら今度はあいつらがやる羽目になるからな。」


 たとえ俺がこの仕事を失敗しても、俺一人なら逃げ延びることくらいはできるだろう。だが、後輩たちは違う。まだまだ未熟なあいつらにはこの仕事は荷が重すぎるし、失敗したら逃げることもできないだろう。


 あいつらがしっかり育つまで、俺がやらなければならないのだ。


「お主はやはり優しすぎるのう。どう考えてもこのような仕事には向いておらんじゃろう。」


「ほっとけ。お前も似たようなもんだろ。子どもたちを喜ばせるためにボランティアで芸を披露しているって聞いたぞ?」


 今度は俺がニタニタした表情でアモ爺をからかう。


 こいつは日が出ている時間帯は毎日孤児院でマジックのような芸を披露しているのである。何でも子どもたちは常に笑顔でいなければいけない存在だし、そんな子どもの笑顔は自分の心を浄化させてくれるそうだ。………まだこんな仕事してるってことは浄化されてねえだろ、とは思うけれど。


「まあな。お前と長くいたせいか、どうやら感染しちまったみたいだな。」


「まあかれこれ5年ほどの付き合いだからな。というか、口調乱れてるぞ。今のお前はアモ爺だろ。」


「そうだったのう。ついお主といると気が緩んでしまうわい。」


 何事もなかったかのように自然と口調を戻して白いあごひげを触り始めるアモ爺。髭を触るという行為が爺さんらしいとこいつは思っているのだろうか。



 俺と一緒にチェスをしていたやつの本当の名前はアモルファス。今の見た目は70歳くらいの爺さんだが、実際は俺と同い年でまだ18歳である。つまり今年ようやくお酒が飲める年になったばかりの青年なのである。


 こいつの得意分野は変装とマジック。特にこいつの変装はまだ誰も見破った人間がいないほどのもので、俺も本気で変装されれば見分けることができない。もはや神業である。ゆえにこいつのコードネームは【プロテウス】。様々な物に変化しながら相手を化かす様と、その神業のごとき変装術から、豪勢にも神の名前を冠されているのである。




―――チリンチリン



 入り口の扉が開いたときに鳴る小さな鈴の音が聞こえてきた。


 入ってきたのは綺麗な赤い長髪を上でまとめ、肩や鎖骨、胸の部分を惜しげもなく魅せる漆黒のドレスを着た女性であった。


「ほう。どうやら彼女みたいじゃな。少しきょろきょろしている点はマイナスじゃが、自信に満ち溢れ肝の座っておることがわかるのお。儂はお邪魔じゃろうから失礼するが、お主も気をつけるんじゃぞ。」


「まあ問題ないと思うがな。なにせ俺には、こいつがいるからな。」


 俺は首に下げているネックレスを指さしながら立ち上がるアモ爺に問題ないと告げる。


このネックレスは俺個人のためだけに作られた特注品である。といっても、何か特殊な力があるとかそういった物ではない。見た目は銀色の鎖に大きめのルビーのような宝石が付いているだけという簡素な物である。


「まあそうじゃな。ではの。また院で会おう。」


 アモ爺は腕に付けているトパーズのような宝石の付いた腕輪を撫でながら、彼女が入って来た扉に向かって歩いていく。


「よし。そんじゃま、一仕事といきますか。」




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