真実を

追う人

 死は、いつ訪れるのだろうか。


 一説によるとそれは忘れられた時。しかしまた別の説によるとそれは肉体が終えた時。はたまた別の説によるとそれは魂が消滅した時。


「どうかお願いします。息子の死の真相を解き明かしてください」


 机を挟んだ向こう側、必死な声で頭を下げる女性を見ながら思う。はたして『死』とはナニモノか。


 やつれてこけた頬、どんよりと黒ずんだ目の下。つい3ヶ月ほど前に亡くした息子を悼み続けて嘆く母親は痛々しいし、こんな探偵にまで縋り付く様はいっそ滑稽だ。クライアントの手前、間違ってもそんなことは口にしないが心の中で思うには自由だろう。可哀想な人だな、なんて思いつつも大きく頷いた。


「お任せください奥様。必ず真相を暴くとは約束しかねますが、できる限りのことはさせていただきます」


 途端にほっと息をつき肩の力を抜く女性。まぁ身内……しかも愛おしい1人息子が突然の不審死だ、無理もない。未だ蒼白い顔をした女性の背をさすりながら玄関まで送り、少しばかり帰路を見送る。


 弱々しく曲がっている背が帰路をたどり見えなくなったその瞬間、ボクは玄関の扉を閉めて鍵をかけると扉にもたれかかって座り込んだ。


 重いため息と共にずるりと玄関に背を預ける。


「なぁにが『お任せください』だ、ボクの馬鹿」


 先ほどの女性から開示された情報を思い出しながら自分で自分を罵倒した。


「衰弱・不審死、外傷なし、争った形跡なし、遺書も無し。極めつけには謎のコップとお猪口」


 なにをどうすればいいのか、とんと見当がつかない。こんな時、かの有名なシャーロック・ホームズがいれば、きっと鮮やかに真相を暴いてくれるのだろうけど。


 生憎と僕はただの人。ホームズのような頭脳を持ち合わせていなければ、ワトソンのような助手も何もいない、しがなく売れないただの私立探偵。


 分かっている情報を整理しつつ、無い道を解き明かすしかなさそうだ。



 不審死した子供について依頼を受けてから数日。この間に様々な出来事がこの身に起きた。


 まずはその依頼者から「息子の部屋の様子を見てくれ」と言われて、依頼者のお宅を訪問したこと。事件後、そのまま放置していた、というよりもどうしていいか分からなかったという依頼者は、依頼時よりも詳細にご子息のことを語ってくれた。

 どんな部活をしていただとか、なにが好きだとか。部屋を案内してくれた母親は、部屋を見て息子さんを思い出してしまったのかついに案内の途中で泣き崩れてしまったが、彼女の心の痛みはなんとなく理解したつもりだ。どうにかして真相を届けたい。


 2つ目は、件の依頼を受けた次の日辺りから、黒と白のまだら模様の猫がうちの事務所に住み着いたこと。

 真っ黒な体毛にところどころ散る白い毛の猫は、気づいたら日の当たる窓際や、事務作業を行っている執務机で寝転がっていて。野良にしては整った身なりをしているものの、しかし首輪などは見当たらない。くるりとしたまぁるく大きな金色の瞳は「追い出さないで」と、口にしている訳でもないのに雄弁に訴えていて。なんとなくそのままにしていたら、まんまと住み着かれてしまったという訳だ。まぁ、アニマルセラピーよろしく、見ているだけでこちらも幾分かほっこりできる為、何事もない限りは無理に追い出そうともしないつもりだが。


 最後3つ目は、近所の人に飼い猫探しの依頼を受けたこと。いなくなってからもう1週間。いなくなってしまった猫の特徴としては、空色の瞳を持つ老齢の茶トラネコ。

 猫という生き物は実に不思議で面白い生き物でもある。彼らは賢い。自身の死期を悟ればふらりと姿を消すこともある。今回の依頼主さんもそれを理解していたのだろう。生きているかもわからない、それでも見つけて欲しいと切に願われて引き受けたのが昨日の夕方。



 今現在、ボクは薄暗い路地を泥にまみれながら捜索中である。そんな僕の視界の先には、数日前から事務所に居ついている斑の猫。どうしてかボクが猫の捜索に行くということに気づいた彼は、事務所を出た時から先導するように尾を揺らして前を進んでいて。


 はじめのうちは「散歩か、いってらっしゃい」と斑猫を見送ろうとしたのだが、そうすると今度は尻尾でペチペチと足を叩かれてしまったのだ。


 もしかしたら、猫同士なにか知っていることがあるのかもれない。半信半疑に思いつつも彼の後ろを付いてきた。


 しかし進めど進めど、続くのは薄暗い路地のみ。イヤな臭いに鼻が曲がりそうだし、足場が悪くてつまずいて転んだ回数だって両手を超えてからは数えていない。毎朝、丁寧にセットしている髪だって汗で崩れて目も当てられない。スーツだってもうぐちゃぐちゃだ。


「はぁ、はぁ……なぁ斑、ちょっと待ってくれ……」


 斑猫を追い続けていったいどれほど経っただろうか。もともと運動が得意ではないボクは、もうずっと前から身体が悲鳴を上げていたのだが、気力で持ちこたえていた。しかし、限界というものは必ず訪れる。


「ちょっと……タイム」


 荒い息をつきながら、淀んだ灰色の壁に手を付き座り込んだ。斑猫はというと「情けない」とでもいうように尾を揺らして、数歩先のゴミ箱の上でのんびりと毛繕いしている。こちらは死に物狂いで走っていたというのに、呑気だなぁ。


「ジム、通い始めようかなぁ」


 地面が汚いとか気にせず思いっきり座り込んだボクは、そのまま壁に背を預けて息を整えた。体力がないという自覚はあったが、ここまで酷いとは思ってもみなかった。ため息をつきながら空を仰ぎ見る。


「……ん?」


 空を見上げて首を傾げた。空とは、澄んだ海のような、晴れ渡った色をしているものだろう。


 ならば、今ボクが見ている『空』は一体なんなのだろうか。


「紫色の、空?」


 朝空や夕暮れの空、台風の前触れなどで稀に見られる紫色の空。しかしながら、ボクの記憶が正しければ今は真昼間。しかも台風も遠い春の季節。ならばなぜ、頭上には空色ではなく紫色の空が広がっているのだろうか。


 それだけではない。色がおかしいというのはまだ理解できる。しかしただの『空』ではないと、肌の感覚で本能的に察知してしまっていて。


 鮮やかとは言い難い、黒にもよく似た深い紫。そこを泳ぐ雲の色も、やはり白ではなく暗闇のような黒。それから時たま迸る、緑色をした閃光。


「ここは、一体」


 あんぐりと口を開いたまま思ったことをそのまま口にする。よもや異世界にでも迷い込んでしまったのだろうか。


 あ、そういえば。


「斑」


 先ほどまで案内人として目の前を悠然と歩いていた猫、彼の名を呼ぶ。空から目を離して彼のいたゴミ箱へ、彼の姿を探すように目を走らせたが、ここでもまた嬉しくない驚きが。


「え」


 辺りに広がる景色はいつの間にか薄暗い路地ではなく、もたれかかっていたはずの灰色の壁は消え、斑猫のくつろいでいたはずのゴミ箱も跡形もなくなっており。


 その代わりにと広がるのは、広大な森。深い色の草木に、さわさわと楽しそうに踊る花々。それから、見たことも無いような異形の虫のような奇天烈な生き物。


「えぇ……?」


 いつの間にか知らない場所に迷い込んでいたようだ。困惑しながら辺りをキョロキョロと見渡して目を瞬かせる。もしかしたら本当に異世界に迷い込んでしまったのだろうか、そう思ってしまうくらいに空模様も異常だし、見覚えのない景色に気がおかしくなりそうだ。


「あ、そうだ斑!」


 呆然と知らない景色の中で立ち尽くしていると、ふと案内猫のことを思い出し、勝手につけた彼の名を口にする。


 斑のいたはずの場所、もといゴミ箱が鎮座していた場所を見るも、そこにはゴミ箱の代わりに草木が生い茂っているだけで。果たして彼はどこに行ってしまったのだろうか。



 ざくりざくりと土を踏み。かさりと落ち葉を踏みしめて。訳の分からない景色の中を進んでいく。こういった異常事態に対する定番の対処方法としては、やっぱり周囲の探索だろう。斑を探すという目的もあるが、今の自分が置かれている状況を正確に把握するためにも、静かな森の中を歩いて行った。



 それにしても、本当にここはどこなのだろうか。



 歩いてみてもその疑問は解決することはなく、なんならむしろ謎が一層深まってしまった。空の色が異常だということ以外にも、可笑しな事実が次々と目に飛び込んできてしまい。


 例えば太陽。常日頃、肉眼で見る太陽は白っぽいというか、黄色やオレンジのような温かな色をしていたはずだ。しかし、今この紫の空に浮かぶ太陽はというと、見るも見事な赤色。夕日や朝日のような穏やかで心温まる色ではなく、血のようにどす黒い赤色だ。まるで世紀末のようだ。


 例えば辺りに茂る植物。気のせいなのか、それともボクがおかしくなってしまったのか。先ほどから至る所から声がするのだ。「ヒトガ」「ドウシテ」「アソボウアソボウ」と。耳をすませば、それらの音の発生場所はどうやら周囲を覆う植物たち。


 あぁ、やっぱりここは、異世界だ。


 のんびりと気ままに歩を進めていながらも、認めざるを得ないその事実に項垂れる。どうやって元の場所に帰ればいいのか、それとも帰る術さえも存在しないのだろうか。最悪の事態を想定してしまい、ぞっとした悪寒が体を駆け抜ける。その拍子にぐらりと体から力が抜けてしまい、咄嗟に近くで悠然とそびえ立つ木の幹に手を付いた。


 のが、いけなかったのだろう。


「キィィー‼」


 耳を塞ぎたくなるような甲高い音、いや声だろうか。まるで警告音のように、何重にも重なって悲鳴のように劈く。声は四方八方から発せられ、耳を塞ぐ間もなく今度は何かに顔を打たれた。


 ベチン!


「うわ!」


 あまりの勢いにそのまま地面へ吹っ飛んだ。何事だ、そう思い顔を殴って来たものの正体を確かめようと顔を上げる。しかし、眼前にあるといえば緑の葉を付けたただの『木』のみ。


 ……ちょっと待った。ただの木は、こうも自由に幹や枝が伸縮したりするものだっただろうか?

 目の前で威嚇するように伸び縮みしながら葉を揺らす木を見て首を傾げた。



「キィィ!」


 いやそんなはずない。というかそもそも、普通の木は喋らないし、伸縮自在なんてもってのほかだ。


 なるほど異世界、こんなこともできるのか。なんて。


「言ってる場合じゃないよね!」


 威嚇フェーズはついに終わってしまった。明らかに敵意と殺意を持ってこちらに枝を伸ばす木。間抜けにも地面に転んでいた体勢からなんとか立ち上がると、怒れる木々の声をバックに走り始める。


「はぁ、はぁ……今日ずっと走ってばっかじゃん!」


 「アソボアソボ」「ヒトダ」「コロセコロシテ」「コロンジャエ」「チカンヨ」。周囲から聞こえる声は先ほどよりも大きく、そして内容も明瞭に聞き取れるようになってきた。


 それにしても、「遊ぼ」はまだわかる。「殺せ殺して」ってなんだ、矛盾していないか? それに時たま小さく聞こえる「痴漢よ」ってなんだ。植物に対する痴漢ってなんなんだ一体。


 突っ込みどころはそれだけじゃないのだけど、そもそもここは暫定異世界だ。律儀に突っ込みを入れていく方が疲れる。背後から聞こえる声に渋い顔をしながらも、せっせと足を進めていた。



 走る、走る。

 耳を劈く声に顔を顰めながらもただただ前へ。

 枝が引っ掛かろうが、葉に叩かれようが、それでも前に。



 体感で五分ほど走っただろうか、森の端に到達したのか先の方に光が見える。


 よし、これで!


 淡い光の中に飛び込んだ。



「おや、やっと来たのか」


 光の先、開けた場所にいたのは、2人の人らしきモノ。


 1人は暗い色の着流しに、これまた暗い色の羽織を肩に下げ、目元を包帯のような黒い布で覆い隠している。顔の半分が隠れているのにもかかわらず、にんまりと弧を描いた口元から嬉々とした様子が窺える。

 もう1人は黒い浴衣に身を包んでいるが前の部分をはだけさせた洒落男。目を細めてこちらを見やる彼は腕の中に一匹の猫を抱えていた。


「あ、茶トラ猫!」


 よくよく見るとその猫は自身が追い探していた猫で。黒い浴衣の男の元にぱたぱたと近寄る。


「茶トラ猫、捕まえてくれてありがとうございました!」 


 黒浴衣の男の目の前にたどり着くと、がばりと頭を下げてお礼を口にした。視界の先には浴衣男の足が移る。現代では珍しい足袋と草履を身に着けているその人は、「いいよ~」とのんびりと間延びした声で応えた。なんだろう、想像していたよりも高い声だ。


「さ、もう用事も澄んだことだし早く帰ることをお勧めするよ」


 猫を受け取って腕の中に納めると、暗い色の着流しの男にそういわれる。

 彼の声は不思議だ。さっきの浴衣の人の声よりは明らかに低いはずなのに、ゆらゆらと揺れていて。噛めば噛むほど味が変わるお菓子のような、聞けば聞くほど妙な気持になる。不思議な声だ。


「それもそうだね。ここはヒトのいて良い場所じゃないし」


 黒浴衣の男も同調して手をひらりと振った。ひらひらと、左右に振られる手を見ていると、最近よくいる斑のことを思い出す。尻尾の揺れ方となんとなく似ているのだ。

 それにしても、斑はどこに行ってしまったのだろう。


 ま、とりあえず斑のことは置いといて。


「え、でも……どうやってここから出ればいいんですか?」


 自身の置かれている現状に焦点を当てる。


 路地裏にいたはずなのに気が付いたら森の中。前も見ても後ろを見ても木々しかない。しかもその木々は喋るし、縦横無尽に枝を伸ばしたり縮めたりするし。帰り道が分からないどころの話じゃない。


 助けて欲しい、切実に。


「簡単さ。帰りたいと願えばそれで帰れるよ」


 着流しが言う。さも「当たり前のことなのになぜ分からない?」と言外に滲ませながら。


「え、それだけですか?」


 素っ頓狂な声を上げて尋ね返す。

 

 だって、そんなのあまりにも。


 ここは異世界のはずなのに、定石はやっぱり「○○を見つけて来い」とか、「○○を倒してこい」とか。なんらかのトリガーが必要だと思うのだが。


「ここは異世界でも何でもないよ。君がそう勘違いしているだけで、ここは君の生きる世界のすぐ傍さ」


 にんまりと笑いながら浴衣の男が笑う。そんな男の姿に、最近住み着いた斑の姿が重なったような気がするのはなぜだろう。斑は猫のはずなのに。

 

「はぁ、なるほど……」


 風船から空気が抜けるような、そんな力ない返事が零れ落ちる。

 

 あぁもうだめだ。

 頭が動かない。


 ここはどこなんだ、何故ボクはここにいる……?

 そもそもボクとは一体誰なんだ……?


「おやおや」


 着流しの男の声がぼやけて聞える。


「吞まれかけてるねぇ」


 次いで聞こえた男の声も、もう輪郭さえ失っていて。


「――、――――」

「―! ――?」


 ダメだ、何も聞こえない。

 足元がぐらりと揺れて、体から力が抜けた。

 だんだんと瞼が下がってくる。

 まるで即効性の麻酔や睡眠薬を使用した時のような、意識が急激に暗がりへと引き込まれる。


「――。―――?」

「―、――。――!」 


 意識を失う直前、緑と土の香りに包まれて、チリンッと軽やかな鈴の音が聞こえたような気がする。



「申し訳ありません。私にできたのはここまででした」


 目の前で紙の束を見つめる女性に向かって頭を下げる。女性はしばらくその束をめくったり紙面を踊る文字に目を滑らせていたが、ややあって「ありがとうございました」と言うと、静かに涙を流し始めた。


「真相を暴けなかったからと言って責めるつもりは毛頭ありません。ただ、あの子を受け入れるために色々と整理をつけたかったのです。こちらこそ無理を言ってしまってごめんなさいね」


 繊細な刺繍の施されたハンカチで目元を拭う婦人。依頼を受け取った日から丁度一か月経ったが、彼女はあの日のようなやつれた姿ではなくなっている。隈はなくなり、こけていた頬もふくよかさを取り戻し。なにより、地に足を付けているような気がする。


「ありがとうございました、本当に」


 何度も何度も頭を下げる女性。

 あの時とは違って今度はしゃんと伸びた背を見送った。


 女性が返ったのち、女性に手渡した今回の調査結果の資料のコピーを手に取る。


 結局のところ、彼女の息子の死因は分からなかった。しかし、息子さんが悩みを抱えていたこと、窮屈な思いや苦痛を抱えていたことなどなど。直接的な原因ではないかもしれないが、しかし母親の知らない情報はたくさん入手できた。それが少しでも救いになればいいのだけれども。


「なぁん」


 ふと背後から鳴き声がした。


「ん? どうした~斑」


 トテトテと近寄って来た斑を抱えて尋ねる。しかし、彼はお気に召さなかったのかクルリと体をひねると、ボクの手から抜け出し華麗に地面へと降り立った。


 紫の空に喋る木々というアリスもびっくりな経験をした日、一時行方不明になっていた斑だが、ふと気が付いたらまたここに姿を現していた。

 猫は気まぐれとはよく言うが、気まぐれにもほどがある。心配したこちらの気持ちを返して欲しいくらいに、けろっと帰って来た

斑はあまりにもいつも通りで。


「なかなか上手くいかないもんだね」


 ため息をつきつつ斑の背中を見送った。

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