十五 魂降り


 祭祀の支度をしてご神体へたどり着いたシシとコマの上に、バラバラと大粒の雨が降りつけてきた。御酒みきの徳利に手で蓋をしてコマが文句を言う。


「酒が薄まる」

「今そこは問題じゃないよな?」


 如何いかなる時でも余裕を忘れないこの相棒のことをシシはとても頼もしく思っているが、一応突っ込みは入れておいた。


 問題は酒の味よりも、ぐんぐんこちらに近づいてくる二羽の烏天狗からすてんぐである。

 石座神いすくらのかみへの冒涜ぼうとくに怒って、本社もとやしろたる雨降山あふりやまから放たれた烏天狗。

 彼らは口から火を吐くと言われているが、それは雷となって地を襲う。雨を降らす山の天狗たる所以ゆえんである。

 神というものは荒ぶり始めると地上や人がどうなろうと知ったこっちゃないところがあるが、無茶をしないでほしいものだ。こちらはこちらで物事を治めようとしているのだから、少し待ってもらいたい。


 二人がかりで岩に注連縄しめなわを掛ける。紙垂しでは雨に濡れても霊力を失ってはいなかった。

 強くなる雨の中、御饌みけと御酒、榊を並べ、シシはその前にツイと座る。

 雷鳴が少しずつ近くなっていた。

 コマが目を細めて雨の叩きつける空を見上げる。


「連中は、引き受けた」

「任せる」


 シシは頼もしい相棒に背中を預け、二人の使える神に向き合った。


けまくもかしこ石座大神いすくらのおおかみ御前おんまえに、の獅子のかしこみ恐みてもうさく―――」


 凛として静かに魂降たまふりの祝詞のりとを述べ始めるシシを守り、コマは烏天狗の動向を見定める。

 石座神を降ろし、鎮め、祀りさえすれば、阿夫利神あふりのかみも鎮まるのだ。そうすればあの天狗達も引き揚げるだろう。

 それまでシシの邪魔をさせない。それがコマの役目だった。


大神おおかみ堅磐ときわいわまつり、さきわえ奉りたまい―――」


 空に稲妻が走り、ドンともりに落ちた。

 何をしやがる烏天狗どもめ。

 コマは犬の姿の時のように鼻面に皺を寄せ、空を舞う影を睨みつけた。


郷々さとさと御氏子みうじこに、恵み給い、導き給いて―――」


 また閃光が走りダン、と衝撃がくる。

 どうやら結界を破った者の眷属けんぞく丸ごと消し飛ばしにかかっているのではないかとコマは危惧した。

 なんとまあ乱暴なブチ切れ方だ。虫の居所でも悪かったとみえる。


子孫うみのこ八十続やそつづきに至るまで、弥栄いやさかえに栄えしめ給い、守り給い、さきわええ給い―――」


 シシの口から言霊ことだまが渦巻く。

 ずぶ濡れになりながらも渾身の力を乗せたことばあるじたる石座神に届き、ここに引き寄せ降ろすはずだ。


 だがピリ、と総毛立つ物を感じてコマは咄嗟とっさに霊力を全開に空にぶつけた。


 ドオォン!


 降ってきたいかづちがコマに弾かれて横に飛んだ。

 それは杜を焦がしお堂をかすり、斜めに空を走って消えた。

 さすがにひっくり返ったコマはフラフラしながらも跳び起きようとして、ゾッとした。


 神気が霧消むしょうしようとしている。


 ここは今やほぼ現世うつしよの石座神社だった。

 今の雷でお堂にあった鏡が割れた。神鏡でほそく繋がっていた神の気が弾け飛んだのだ。

 こうなったらこれを機に、雲散うんさんした気を一気に収斂しゅうれんさせるしかない。コマはシシの後ろに立ち、共に霊力を重ねた。


よろず生業なりわい弥進いやすすめに弥栄えに、栄えしめ給い―――」


 シシは据わった目で言霊を紡ぎ続けている。

 とろりとした神気が、シシの上に集まりつつあった。


四方よも民安たみやすおだいに立ち栄えしむために―――」


 く。疾く来られよ、石座神。


「この石座に依賜よさしたまい、神留かむづまりたまいて、たいらけく知食しろしめし給えと、かしこみ恐みももうす――――」


 雷とは比べ物にならない衝撃が降り、コマは吹っ飛んだ。




 顔に打ちつける雨を感じて地面に転がったまま目を開けたコマは、そこが再び常世の神気に満たされていることに気づいた。

 首を起こすと、平然と振り返るシシの姿がある。立ち上がってコマの所まで来ると、腕を差し出した。その腕をがしっと掴んでコマも立ち上がる。


「突っ立っているから弾き飛ばされる―――だが助かったぞ、狛犬」

「いや。さすがだな、獅子」

「ところであいつらは私達を殺す気か?」


 忌々しげに上空を睨むと、くるくると旋回していた烏天狗が北へと飛び去って行くところだった。我に返ったらしい。


「天狗のいかづちで死ぬかどうかわからんが、あれで魂降りが中断したら、消えてもおかしくなかったぞ」


 カリカリと怒るシシだった。祝詞に没頭しているのかと思いきや、周りは見えていたらしい。




 ―――しかし、このように常世が戻せた今。

 気になるのは、童子のことだった。







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