第9話

       ◆


 夜明けまでフェンリルⅢ型の人工知能の内部情報の整理をしていたので、日が射すころには目の奥が痛かった。それにだいぶ睡眠不足だったが、ここは戦場だった。眠い、寝させてくれ、などという言葉は存在しない。

 ルザも明け方から動き回っていて、周囲が明るくなる頃には作業が始まり、太陽が頭上に来る頃に、フェンリルⅢ型はきっちり組み上がった。操縦士の要望通り、ソフトウェアの修正も済んでいた。

 ちなみに、その間にディアナはもう一台のトレーラーに積まれるロックドッグの上半身を他のゲリラ兵と工夫して、荷台にがっちりと固定していた。そのトレーラーは野戦砲を積んでいたはずだが、すでにどこかへ設置したようで、空の荷台で戻ってきていた。

 俺が手を貸すまでもなく、ディアナはトレーラーの震動を補正するプログラムを自分で書いたようだ。今の時代、操縦士がただ機体に乗るだけ、などということはない。それは俺がそこそこにスタンドアッパーを操縦できるのと同じだ。

 俺がディアナを呼びに行くと、ゲリラ兵たちは名残惜しそうに彼女を見送った。彼らにはさぞかし、天使のように見えることだろう。若く、美しく、聡明で、強い。欠点が一つもない。

 ただ敵にとってはこのお嬢さんは悪魔のように見えるはずだ。

「言われた通りにフェンリルはリフレッシュしてある。本当に基礎的な動きしかできないから、ちょっとしたイレギュラーで転倒すると思う。そうだな、硬い路面で拳大の石を踏んでもよろけるほどだろうな」

「ここは地面が柔らかいから、逆に常に足を取られる危険性がある、ってことね」

「そういうことだ。どうやら鹵獲される前は沼でも活動していたようだから、歩けないわけじゃない。足首のパッケージは念入りに確認しておいた。仮に沼に入り込んでも、すぐに関節が固まることはないはずだ」

 オーケー、とディアナが答えた時には、四つん這いの駐機姿勢のフェンリルⅢ型の前に来ていた。

「とりあえずはこの狭い空間でお勉強だ。音声は外部マイクで教えてくれ。こちらの声もそっちに届く」

 了解と言いながら、するするとディアナはスタンドアッパーの操縦席へ上がっていく。スタンドアッパーの装甲パネルはそのための足場となる出っ張りやへこみが必ず設けられている。

 操縦シートにディアナが腰掛け、ハッチを閉める。

 俺とルザが離れると、ゆっくりとフェンリルⅢ型が上体を起こしてひざ立ちになる。しかしかなりぐらぐらと揺れていて、はっきり言って怖すぎるほどに怖い。念のために俺はルザの手を引いて更に距離をとった。ルザも同様の心理だったのだろう、自然とついてきた。

 ゲリラ兵が見ている前でまず右足を地面につけ、次に左足を地面に置く。これでしゃがんでいる姿勢だ。ゆっくりと曲がっていた膝が伸ばされていき、両手が左右に大きく広げられてバランスを取る。新品のスタンドアッパーのバランサーでも、しゃがんだ姿勢から立つことは想定しない。一般的なスタンドアッパーは立った状態で整備される。しゃがむこと自体がイレギュラーなのだ。常識的に考えれば、学習の初期段階で四つん這いの駐機姿勢を取らせるのは危険すぎるということになる。

 まぁ、今の俺たちには立ったまま整備する姿勢がないのだから、どうしようもない。

 ついにフェンリルⅢ型が真っ直ぐに立ち、両手が下に降ろされる。気をつけの姿勢になったかと思うと、まず右足が踏み出し、ゆっくりと接地。次は左足。そうやってスタンドアッパーはまるで目隠しされている人間が歩くように、時間をかけて慎重に一歩ずつ歩き始めた。

 十歩ほど円を描くように歩いた時には、もう不安定な雰囲気はなくなった。ゼロから学習しているとはいえ、人工知能の学習は人間の学習速度を遥かに超える。

「イカロス」スピーカーからひび割れたディアナの声。「斜面を上ってみたい」

「オーケー。北西方向に少し傾斜した場所がある。そこで練習だ。ついでにだいぶぬかるんでいると思う」

 了解、と簡潔な返事。

 拠点を勝手に出るのに指揮官の許可が必要だったかもしれないが、ブブはまだ姿を見せていない。誰も代わりに指揮しようとするものがいないことから、くたばったわけではなく、よそにいるんだろう。

 スタンドアッパーは最初とはまるでかけ離れた軽やかな足取りで進み、木の間を抜けていく。それでも不整地というか、起伏がありすぎる地面のせいで姿勢が乱れ、何度か適当な木の幹に手をついて姿勢を保ったが、幹は激しく軋むだけで折れたりしなかった。ディアナの操作は極めて繊細だ。

 俺とルザもついていくが、本来ならスタンドアッパーの動きに徒歩でついていくのは困難だ。スタンドアッパーはその性能を十分に発揮すれば、どんな地形であろうと易々と走り抜けていく。こうしてついていけるのは学習段階だからにすぎない。

 泥濘でもフェンリルⅢ型は慎重に進んだが、派手に滑って片膝をついたときは、さすがに俺も息を飲んでいた。すぐそばに大量の泥が吹き上がって押し寄せたが、そんなことより膝の損傷が気になる。学習が不完全だと、膝をつくだけで人工筋肉に部分的に強烈な負荷が加わり、場合によっては断裂する。

 見ている前で、ゆっくりとフェンリルⅢ型が改めて立ち上がる。さらに泥濘の上を進み、抜けた。大丈夫そうだ。胸を撫で下ろした俺とルザは遠回りして後に続く。

 目的の斜面は大した傾斜ではなく、直立して登れそうだったが、セオリー通りにディアナは四つん這いでまず這いあがらせた。これはバランサーに姿勢の取り方を教えるやり方で、人間の子どもが階段を上がるようなものだ。

 上がった後は、今度は立ってはいるが、横向きで降りてくる。傾斜が緩いが、それでも地盤が不安定で何度か足が滑った。しかしもう膝をつくことはない。ソフトウエアが滑った時の対処法を学びつつある。それも、ディアナが機体の癖を学習し、彼女がどう操作して滑らずに斜面を降りているかを、ソフト自体が解析し、理解しようとしているのだ。

 ディアナがやっているのはまさに教育だった。ディアナは自分のやり方を、まっさらな頭脳に教えていく。

 斜面を繰り返し上り下りして、一時間も過ぎる頃には直立したまま斜面を上がり、軽快に降りることができるようになった。

「これが普通だと思うなよ」

 俺はじっと観察しているルザに声をかける。

「俺もここまでうまくはやれないよ。彼女は間違い無く、一流だ」

「それは、わかります。仲間がスタンドアッパーを何度も転ばせるのを見ましたから」

 ルザの声には畏怖のようなものが見え隠れしていた。内心、それは俺も同じだった。

 伝説的な傭兵組織の一員という経歴は、見掛け倒しではないらしい。

「あまり褒めても何も出ないよ」

 すぐそばに来たフェンリルⅢ型のスピーカーから音声が流れる。俺たちの会話をマイクが拾っていたらしい。

「膝の調子はどうだ。最初に泥で滑ったところだ」

 こちらから問いかけると、ふざけているわけでもないだろうが、スタンドアッパーは片足立ちになり、地面に着いた方の足を宙に浮かせると膝を曲げ伸ばしした。デタラメなやり方だが、文句はぐっとこらえて俺はその駆動音を注意深く聴いた。問題はなさそうだ。

「反応は鈍くない。何かが挟まったりはしていないと思う。パッケージは帰ったら確認して」

 スピーカーからのディアナの言葉に「了解」と答えて、身振りで基地へ戻ることを指示する。いつの間に練習したのか、スタンドアッパーは敬礼のようなポーズをしてから、歩き出した。

 震動を身近に感じながら、俺とルザがそれに続く。

 ともかくこれで、まともに動くスタンドアッパーは手に入った。戦闘機動もディアナのことだからすぐに習熟させるだろう。俺としてはロックドッグの方の面倒を見てやる必要もある。トレーラーとはいえ、移動砲台程度にはなる。

 と言っても、俺たちにはスタンドアッパー用の銃器がほとんどなかった。ディアナが鎖の先の分銅代わりにした銃器は銃身にはまだ不安がある。だいぶ歪んでいて、よく破裂しなかったものだと思うほどだ。あの夜の戦闘では、ディアナの照準の妙技が発揮されたと後で分かった。

 もしここがまともな戦場で、いくらでも補給が受けられるなら、ツツに依頼して物資を運ばせるところだ。しかし彼も今回ばかりは断るだろう。

 アムン解放軍はおそらくこのまま後退しつつ、態勢を整えると思われる。しかし組織同士の勢力圏の認識はどうなっているのか。アムン解放軍に後退する余地があるのかないのか、俺には即座に見当がつかなかった。

 無数の武装勢力が入り乱れていて、お互いに相手に噛み付いているので、もはや戦場は混沌としている。

 後退する場所がなくなることは、想像したくなかった。

 その時は捕虜になるか、死ぬかしかない。

 俺個人は徹底的に逃げることができるが、ゲリラ兵を全て逃すことは難しい。ルザ一人を逃すことも、何か違った。善意だとしても、人道的だとしても、一人生き残ったルザはどんな思いで生きていくことになるだろう。いや、それでも死ぬよりはマシなのか……。

 仮の拠点が見えてきた。見知らぬトラックが停まっており、すぐそばにいるのはブブだった。

 彼を俺を見て顔をしかめたのも短い時間で、すぐに笑顔になって歩み寄ってくる。

 俺としても彼に聞きたいことは多くあったが、この時、気が咎めるような感覚があった。

 俺は彼に同情している? 哀れんでいる?

 何故だ?

 敗軍をまとめることを、不憫に思っているのか?

 答えが出ないまま、俺はルザにファントムⅢ型の膝のパッケージを確認するように言って、ブブも元へ歩み寄った。



(続く)

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